【闘病】突然、大動脈解離の宣告。一生向き合うことの苦悩とは(2/2ページ)

心の支えは家族

編集部
大変でしたね。退院後は無事に生活出来ていますか?
ゆみさん
退院後、3か月くらいは胸帯を巻いて、養生していました。傷が痛み、ロキソニンを手放せませんでしたね。食欲も無く、家に閉じこもっていました。3か月たった頃から、少しずつ元の生活に戻りましたが、痛み止めは1年くらい飲んでいましたね。食生活は減塩を気にかけていました。
編集部
今回の体験で心の支えはなんだったと思いますか?
ゆみさん
家族でしたね。病室には10分しか居られない病院に片道45分かけて、毎日来てくれました。娘たちも休みの日に来てくれたり、「お母さんが必要!大好き!愛している!」とLINEをくれたりしたので「生きなければ、生きたい」と思いました。
編集部
病気に対して気づいたことや読者への助言はありますか?
ゆみさん
私の場合、「なぜ大動脈解離に?」と考えてばかりでした。痛みに苦しいときは、死んだ方がマシと思った事も何度もありましたが、今では、生きていて良かったと思います。大動脈解離は、高血圧等の予兆があるそうですが、私のように、これといった原因が無くても起こる事があります。手術をしても、完治はしません。また、後遺症に苦しむ方もいらっしゃることを知っておくとよいかもしれません。
編集部
同じ病気の方との交流はありましたか?
ゆみさん
Instagramでたくさんの大動脈解離の方と繋がる事ができて、寒くなると傷が痛むとか、情報交換をしています。これが、とても心強いです。手術後の苦しみは、経験者にしか分かりません。周りに大動脈解離の人がいないので「大動脈解離の会」みたいなのがあったらいいなと思います。
編集部
現在の体調などについて教えてください。
ゆみさん
血圧を下げる薬を飲んでいるので、安定しています。肩甲骨辺りから足の付け根まで、まだ大動脈が解離しています。もう、見た目は健康そうに見えますが、死ぬまで大動脈解離は継続します。それでもあの辛い経験をして、今、生きていることが奇跡なんだと前向きに考えるようになりました。食べる事も大切にしてウォーキングも始めました。できる限り健康でいたいと思います。
編集部
医療従事者に言いたことはありますか?
ゆみさん
医療従事者の方には、感謝しかないですね。ICUで意識が戻ってからは、痛みで泣いてばかりでした。息をしても痛みに襲われ、涙が溢れるんです。看護師さんは、いつも寄り添ってくれました。時には手を握って「大丈夫だから」と、声をかけてくれました。先生方も、私の痛みや不安に寄り添ってくれ、いつも暖かく見守ってくれています。感謝しかないです。
編集部
最後に病気を意識していない人に向けてメッセージをお願いいたします。
ゆみさん
減塩食を意識しているのですが、最近、主人から「病院食みたいだ」と軽く嫌味を言われます。元々、血圧が高めで肥満気味な主人です。口癖は「もうすぐ還暦。好きな物を食べて死んでも、もういいやろ」「好きな物を我慢してまで長生きしたくない」と言います。でも、それは命に関わるような病気をしたことが無いからだと思います。
編集部
あまり身体を気にされておられないんですね。
ゆみさん
今は医学が進歩していますので助かる命は多いと思います。ただ、その後色んな苦しみも待っています。私も解離性胸部大動脈瘤になり、1度は死にかけましたが、それでも今生きています。運良く、後遺症は少し足が痺れる程度です。ただ、治療中は死ぬより苦しい経験をしたと思っています。健康な身体は、自分が作るものだと思いますので、「食事」「睡眠」「ストレス」色んな事を見直して、今ある健康を大切にしてほしいですね。
編集部まとめ
大動脈解離と一生付き合うことになったゆみさんですが、家族に見守られながら、少しずつ以前のような生活を取り戻しつつあります。ゆみさんは「一度健康を手放すと、取り戻すには大変な努力が要りますし、取り戻せないかもしれません。健康な身体があってこその幸せな人生だと思います」と最後に話されていました。いつどんな病気になるかわかりませんが、ゆみさんのように信頼できる医療従事者が近くにいると気持ちは楽になるでしょう。
今後は、いつ病気になっても助けてもらえるように、病院や医師との付き合い方を考えていくことが大切ですね。




