~実録・闘病体験~ 難病の赤ちゃんと過ごした10カ月に及ぶ入院生活《ヒルシュスプルング病》
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年8月取材。
闘病者の母プロフィール:
江川 翔子
東京都在住、1986年生まれ。夫と全結腸型ヒルシュスプルング病の患者である息子と暮らす。2018年、妊娠36週に妊娠高血圧症候群になり、急きょ帝王切開で出産。無事誕生するがその後の様子が優れず大学病院に搬送されたところ、緊急開腹手術に。入院後、4~5カ月で全結腸型ヒルシュスプルング病と診断。息子は3歳となり、ようやくご飯も少量から食べられるように。現在は病院中心の生活ではなくなり、当たり前の日常を噛みしめながら笑顔のあふれる日々を送っている。
記事監修医師:
菅谷 雅人(ふかしばこどもクリニック 院長)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
ヒルシュスプルング病は1歳を過ぎてようやく判明
編集部
聞き馴れませんが、ヒルシュスプルング病とはどのような病気ですか?
江川さん
ヒルシュスプルング病とは、腸の動きを制御する神経節細胞が生まれつき欠損している病気です。そのことによって自力で排便やおならを出すことができません。5000人に1人の割合で起こるとのことで、症例も少なく原因不明と言われました。大半が生後すぐの排便がないことや、お腹がパンパンに膨らんでいる状態で発覚するのですが、ウチの息子の場合はなぜか1歳になっても判明しなかったため、入院も長期になりました。
編集部
息子さんは、産まれてからの様子がおかしかったとのことですが、いったいどのようにでしょうか?
江川さん
私が妊娠36週に突然、妊娠高血圧症候群になり、急きょ帝王切開で出産することになりました。無事に生まれましたが、2122gの低体重で、数週間は保育器にいました。その後、体重も多少増え、小さいながら元気に退院したのですが、生後1カ月頃より排便が数日なかったり、ミルクを飲んでも大量に吐いてしまったり、またお腹が膨れているような症状があり、定期的に通院することになりました。その後も何カ月も排便は綿棒やこよりなどを使わないとほとんど出せない状態だったのです。
編集部
それは不安になりますね。
江川さん
生後10カ月のときに、ミルクをほとんど飲まなくなり、嘔吐することが多く、排便もせず、明らかに元気もなくなっていきました。それまでの間にも近くの病院で診てもらい、浣腸してもらったり、加療をしてもらいましたが、よくなりませんでしたね。その後、忘れもしないクリスマスの夜のことでしたが、大学病院に緊急搬送され、小児外科で診てもらうと、身体のなかで炎症が起きているときに上昇するCRPという値が非常に高いという結果が出ました。通常、赤ちゃんだと0.3mg/dlのところ13mg/dlという値でした。結局、原因不明で緊急開腹手術をすることになったのです。
編集部
手術後に入院が長く続いたそうですね。
江川さん
はい。そこから10カ月間入院することになりました。入院後もしばらくは原因がわからず、息子は高熱が出たり、ウイルスに感染したり、熱性けいれんで意識がなくなったり、1時間で10本も注射をしたり、絶食を続けたりと、とてもつらい入院生活だったと思います。
編集部
結局、どのように病名の診断がついたのですか?
江川さん
入院して4、5カ月ごろにようやく生検ができ、「ヒルシュスプルング病 全結腸型」と診断されました。もともと疑いのあった病名でしたが、担当医からは入院前に多少なりとも排便できていたので恐らく違うだろうと言われていましたし、ヒルシュスプルング病の中でも難病にあたる全結腸型だったことで、家族全員が大きなショックを受けました。
編集部
ヒルシュスプルング病にはどのような治療法があるのでしょう?
江川さん
神経のない腸の部分を摘出してつなげる根治術があります。また、トイレトレーニングなどの訓練をすることで、改善していくことはあるそうです。
「必ず今よりもよくなる」という言葉を希望に治療
編集部
息子さんの場合は、どのように治療を進めましたか?
江川さん
入院当初は、長期間の絶食でおなかを休めることになりました。小さい子どもが飲まず食わずでガリガリになっていく様子は、見ていてとても悔しかったですね。ミルクなどを飲み始められるようになっても5㏄、10㏄と少量ずつ増やしていく状態。何カ月も入院していたので、どこがゴールなのか、いつ退院できるのか、将来どうなってしまうのか不安だらけでした。ただ、担当医から「将来的に必ず今よりもよくなっていく」という力強い言葉をいただいていたので、それを希望に頑張っていました。
編集部
その後は退院されたのですか?
江川さん
はい。その後、1歳のときストーマ造設(人工肛門)をしました。医師からは3カ月くらいで閉鎖すると言われていたのですが、結果的には2年近くストーマがある状態でした。その後も体調のアップダウンがあったものの、ついに入院10カ月にして退院しました。
編集部
退院後の様子はどうでしたか?
江川さん
退院してからも入退院を何度も繰り返し、ストーマ陥没というイレギュラーな症状によるひどい皮膚炎などに悩まされました。退院しても、ご飯もほぼ食べられずにいたのですが、2歳でついに8時間にも及ぶ根治術をおこない、腸の神経のない部分を摘出。息子の場合は、神経のない大腸全てと小腸数十cmを摘出しました。
編集部
手術による生活への影響はないのでしょうか?
江川さん
便を固める大腸がないことで、便は水っぽく、飲み物や食べ物にかなり気を付けないと、すぐにひどい下痢を起こします。嘔吐や脱水症、体重減少などが起こりうるので、健常児と同じご飯や量を食べることは難しいですね。
編集部
3歳になった今の様子はどうですか?
江川さん
その後、3歳でストーマ閉鎖術を乗り越え、便がお尻から少し出るようになりました。しかし排便障害はあるので、自力ではほとんど便やおならが出せない状態です。ひどい腹痛に悩まされています。1日に2、3度の洗腸は毎日欠かさずおこなっています。ただ、それまで3歳にも関わらずフォローアップミルクや栄養剤などの水分しか口にできなかったのですが、ようやくご飯も少量から食べられるようになりました。少し前は1日のご飯がボーロ一粒ということもよくあったので本当によかったです。
息子のかわいさと笑顔が闘病中の心の支え
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
江川さん
ヒルシュスプルング病でない可能性が高いと言われていたので、検査で病気が判明し、しかも全結腸型と聞かされたときは、頭が真っ白になり言葉が出ませんでした。私たち夫婦と祖父母みんな落ち込んでしまい、悪いドラマのような状態に夢なのかなと思うことが何カ月も続いたのを覚えています。
編集部
息子さんのヒルシュスプルング病が発覚後、生活はどのように変化しましたか?
江川さん
結果的に10カ月も入院することになり、私もその間3日くらいしか家に帰らないほどずっと付き添っていたので、全く違う生活になりました。夫や祖父母は、週に何度も面会に来てくれ、病棟一面会の多い家族だったと思います。こんなに長く付き添っている親は周りにいなかったので、周りの患者さんのママや看護師さんからはいつも感心され、驚かれていました。
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
江川さん
親ばかですが、一番は息子のかわいさや笑顔でした。どんなにつらい処置をしてもその後笑ってくれる健気な姿には、いつも勇気をもらっていました。それから担当の看護師さんが息子を好きでいてくれて、とてもかわいがってくれたのが凄く嬉しかったですね。いつも明るく、病気のことをよい意味で気にしないでいてくれて、毎日とても元気をもらえました。
編集部
現在の息子さんの体調や生活などの様子について教えてください。
江川さん
体調が悪くならない限りという制限付きですが、病気になってはじめて、次回の入院や手術予定がないというところまでたどり着きました。自力で便が出せないので、ひどい腹痛に悩まされおり、自宅での毎日の洗腸は欠かせません。しかし、体中点滴などの管だらけだったことが、うそのように今はとても元気です。飲み物や食べ物は、健常児と同じという訳にはいきませんが、ご飯も生まれてはじめてしっかりと食べられるようになってきました。当たり前の毎日に感動と笑顔があふれています。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
江川さん
望むことよりも、享受していることが山ほどあるので、感謝の言葉しか出てきません。びっくりするくらい献身的に一人ひとりの子のことを考えて処置をしてくださり、本当にありがとうございます。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
江川さん
私たちは大変な思いもしていますが決して、かわいそうでも不幸でもありません。とてつもない幸せを感じて日々過ごしています。子どもの笑顔で幸せになれる日々というのは、健常児も病児の親も変わらないと思います。
編集部まとめ
「幸せな日々を過ごしています」と語ってくださった江川さん。3歳になった今は少しずつではありますが、食べられるようになったことを嬉しそうに話していただきました。見た目ではわかりませんが、病気と闘っている子どもたち、病気を患っている子どもたちがいます。病児と暮らすということは大変ではありますが、不幸ではありません。今回の取材を通して、一人ひとりが優しい気持ちを持った社会になることを願います。