~実録・闘病体験記~ 「卵巣がんへの向き合い方を決めた3人の女性」
中学生のころに悪性卵巣胚細胞腫瘍(あくせいらんそうはいさいぼうしゅよう)という、卵巣がんが見つかった浜崎さん。胚細胞とは、再生医療で注目されている、「いろいろな部位に分化可能な組織」のことです。摘出したがんの中には、髪の毛のようなモノに育っていた胚もあったそう。はたしてその後、どのような人生を送り、なにを希望として暮らしてきたのでしょう。20代の女性が、少女から母親へと成長した過去を振りかえります。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年4月取材。
体験者プロフィール:
浜崎さん(仮称)
東京都在住、1993年生まれ。現在は結婚し一児の母。中学校の卒業を控えた学生時代に卵巣がんを発症。すぐに摘出手術を受け、抗がん剤の投与期間もあったが、まもなく定期検診で要観察を続けるだけの状態まで復帰できた。そのときの体験から医療へ従事することを決め、さらに今ではフリーライターとして、医療側と患者側、双方の目線に立った情報発信を続けている。
記事監修医師:
楯 直晃(宮本内科小児科医院 副院長)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
【転機-1】身近にいた親しい友だち
編集部
今回の症例である「悪性卵巣胚細胞腫瘍」とは、どのような病気なのでしょうか?
浜崎さん
当時、担当医師から受けた説明によると、「生殖器の一部が異常をきたした」とのことでした。私がまだ15歳だったので、詳細な説明は省いたのでしょう。後に「胚細胞性腫瘍の好発年齢は10代から30代」であることを知るのですが、そのときは「こんなに若い子が」と驚かれたようです。
編集部
痛みや異変の自覚はあったのですか?
浜崎さん
痛みは全くなかったものの、下腹部の膨れが顕著でしたね。体重計に乗ったとき、おなかのぽっこりでメーターが見えないほどでした。私としては「太ったのかな」と思っていましたが、背中側から見る限り、体形に変化はないんです。衣服で隠せていたので、家族も気付きませんでした。ただ、脂肪によるおなかの出方とは違って、「明らかになにかが入っている感」がありました。
編集部
受診のきっかけになったのは?
浜崎さん
テニス部の友だちに打ち明けたとき、「お腹にガスがたまってるんじゃない? 薬買ってみたら?」と言われ、お薬代をもらおうと親に話したことがきっかけになりました。幸いなことに「見せてみて」と言われ、私の膨らんだお腹を見た親が異常に気付き、病院受診に繋がったという経緯です。もし、母親が普通にお金を渡してくれただけだったら、さらに受診機会は遠のいていたでしょう。
【転機-2】医師の判断を疑った看護師
編集部
最終的な診断はすぐに出ましたか?
浜崎さん
最初に、最寄りの内科へ行きました。結果は、「おなかに水がたまっているだけだ」とのことでした。しかし、一緒に診ていた看護師さんが、同じ女性である私のことを心配してくれたのか、後でこっそり、「婦人科を受けたほうがいい」と諭してくれたのです。そこで、私の生まれた産婦人科で診てもらったところ、「すぐに大学病院へ行ってください、おそらくすぐに入院・手術になると思います」と言われ、初めて事の重大さに気付きました。
編集部
その後、どのような治療を受けることになったのですか?
浜崎さん
大学病院ですぐに、入院と左側の卵巣を摘出する手術が決まりました。がんかどうかは、摘出した組織を調べてみてから確定するそうで、それまで約2週間の入院です。ただ、私は直接、知らされていないんですよね。医師は母にだけ説明していました。そして、肝心の母は私の気持ちを考えてか何も言ってくれなかったので、むしろ「がんじゃなかったのかも」と思っていました。
編集部
その一方、がん治療の準備は進んでいたわけですよね?
浜崎さん
そうなんです。心の準備なしに、いきなり「抗がん剤」でしたから、さすがに泣きました。病気も心配でしたが、なにも言ってくれない親への気持ちが複雑でしたね。また、最初の投薬時にアナフィラキシーショックが生じて、呼吸困難になったことを覚えています。ただし、お薬の種類を変えたらなんともなくて、気になっていた抜け毛も、そんなに起きませんでした。
編集部
その後もずっと、入院が続いたのですか?
浜崎さん
いいえ。1週間くらい点滴を打ちながら入院して、その後の3週間は自宅療養でしたね。そんな生活が3カ月続いたのですが、夏休みと前後していたので、学校の単位の心配はありませんでした。ベッドで受験勉強をしていたのが懐かしいです。
編集部
さすがに、抗がん剤の説明はあったのですよね?
浜崎さん
ケガが治りにくかったり感染症に弱くなったりするので、「今までのような生活は、難しいだろう」と言われました。医師によると、投薬中、体の免疫力が下がるそうです。なお、説明にはなかったことですが、全身がかゆくなってかいていたら、跡になって残ってしまいました。先生に相談したら、氷を当ててかゆみを抑えましょうとのことで、ずっと寒がっていた思い出があります。
編集部
将来的な妊娠の可否についての説明はありましたか?
浜崎さん
とくに問題ないとのことでした。気になったのは、摘出した左の卵巣の中に、髪の毛や歯のようなものが散見されたことでしょうか。私は直接、見ていないものの、「悪性卵巣胚細胞腫瘍の未熟奇形腫」というそうです。なお、結婚した後のことになりますが、希望したタイミングで妊娠できましたし、子どもも健全に育っています。
編集部
その後、現在までの経緯を教えてください。
浜崎さん
約3カ月の抗がん剤投与で治療は終了です。ただし、定期検診には通っています。私は高校卒業後に医科歯科大学へ進むことになるのですが、学内で検診が受けられるようにしてもらいました。その後に就職した大学病院や、離職後の近所の病院なども、次々と紹介してもらえました。今では、通院期間が1年に1回ほどになっています。
【転機-3】不安を安心に変えた女医
編集部
どうやって心の整理ができたのですか?
浜崎さん
泣くだけ泣いたら、前を向けました。病院では治療の準備がどんどん進んでいくので、受けいれざるをえないですよね。むしろ、親のほうが不安定だったような印象です。また、メインで付いてくださった女医さんは信頼できるベテランで、私がこの道を目指すきっかけになった方です。カッコ良さに憧れましたね。治療中の心の支えになってくれました。
編集部
治療の転機はどこにあったと思いますか?
浜崎さん
私の場合、友だちに打ち明けたのが大きかったようです。やはり、自分だけで抱えていると、なにごとも進まないのではないでしょうか。一方、他人に対するアクションを起こすと、目の前に道が開けてきます。必ずしも近道ではなかったかもしれませんが、早めに第一歩を踏み出せたことが大きかったです。
編集部
インターネットでの情報収集についてどう考えますか?
浜崎さん
今、私がこの年でがんになったら、たぶんインターネットで調べると思います。しかし、第一声を、まずは身近な誰かに投げかけてほしいですね。私の場合、友人に“相談”というより、ネタ的な軽いノリで話したのですが、それでも運命が動きだしました。
編集部
当時を振り返って、現在の心境は?
浜崎さん
投薬治療を終えてから今まで、とくになにかが起きたわけではないんです。ですが、がんを患っても普通に生活できることが伝えたくて、このインタビュー企画に応募しました。卵巣が片方なくても子どもは産めます。また、こういう経験をすると、「がん検診の必要性」が身に染みますよね。これも、伝えたいメッセージのひとつです。
編集部
がん検診は若くても受けるべきですか?
浜崎さん
正規に就職していないと、40歳過ぎの特定健診まで費用負担が得られません。それでも自費でもいいから、なにかの機会にがん検診を受けていただきたいですね。がんは誰でもかかる病気になってきましたし、「40歳以上」という好発年齢の実態も変わってきているのではないでしょうか。妊娠時期と重なる“若い女性”が安心して暮らせる仕組みを期待します。
編集部
保護者は子どもの病気について、目を光らせるべきでしょうか?
浜崎さん
自分にも子どもがいますが、難しい問題ですね。子どもの年代によっては、反発を招きかねないと思います。親から詮索するより、なんでも話しやすい環境を整え、子どもから自発的に相談できるような家庭にしてあげることが、大切なのではないでしょうか。たった1回のサインでは拾いきれないかもしれませんが、たびたびサインが出れば、それだけ気付きやすいでしょう。
編集部
最後に、読者へのメッセージをお願いします。
浜崎さん
重篤な病気の診断結果を受けると、誰でも落ち込むと思います。そんなとき、自分で調べると先入観をもってしまいますので、まずは、視野を広くしたままで、リアルな人に接してみてはいかがでしょう。きっと、誰かが支えになってくれるはずです。
編集部まとめ
出会いが人生を動かす。信頼できる人に相談し、前を向いていけるような支えがあったことが、浜崎さんにとってとても大きかったようですね。卵巣がんの場合、検診での早期発見も難しいと言われますが、なにかおかしいな、と思った場合は過信せず、医療機関の受診を考慮しましょう。