もし、嗅覚の衰えが、軽度認知障害(MCI)や認知症の先駆けとして現れるとしたら。運用次第では、早期発見や進行を防ぐ治療に役立ちそうです。他方で、鼻炎や風邪などによる嗅覚の衰えとは混同しないのでしょうか。さまざまに湧く疑問を、「くまがい内科・脳神経内科クリニック」の熊谷先生に投げかけてみました。
監修医師:
熊谷 智昭(くまがい内科・脳神経内科クリニック 院長)
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日本医科大学医学部医学科卒業。同大学の付属病院にて臨床研修後、神経内科助教、脳神経内科医長・講師などを務める。北村山公立病院(山形県)神経内科医員、東京都立多摩老人医療センター(現・多摩北部医療センター)神経内科医員などを務める。2019年に神奈川県横浜市に「くまがい内科・脳神経内科クリニック」開院。大学病院や地域の基幹病院で培った神経内科専門医としての経験を、地域医療に生かしている。医学博士。日本内科学会総合内科専門医、日本神経学会神経内科専門医・指導医、臨床研修指導医、認知症サポート医ほか。
嗅覚と認知症の深い関係
そうですね。認知症とは違う「物忘れ」などは誰でも起こりえますから、自覚を難しくさせていると思います。ただ、90年代くらいから「記憶障害よりも先に、匂いがわからなくなる」ということがわかっていて、その研究も進められています。
どうやら認知症では、記憶を司る海馬よりも先に、脳の外側にある「嗅内皮質(きゅうないひしつ)」が冒されるようなのです。嗅内皮質は文字通り嗅覚に大きく関わっていますから、認知症の初期症状として捉えることもできます。ただし、風邪や鼻炎などで嗅覚の失調を起こすこともありえますから、慎重に見極めていく必要があるでしょう。
「嗅内皮質」が冒されると、匂いを感じなくなるのですか?
匂いを感じないというよりは、匂い自体には気づいていても、なんの匂いだかわからないということが起こります。その結果として、食べ物が腐ったことに気づかず食べてしまったり、調味料とジュースの区別が付かずに飲んでしまったりするのです。ただし、ご本人にはその自覚がありません。嗅覚機能などの検査をして、初めてそのことに気づくのが現状です。
認知症は、特殊なタンパク質が脳細胞にたまることで起こると聞いたことがあります。
そのとおりです。最も多いアルツハイマー型認知症なら、大脳皮質にアミロイドベータというタンパク質の一種が付着することで、神経細胞を減少させていきます。この仕組みが、嗅内皮質で先んじて起こると考えられています。
アルツハイマー型以外の認知症も、嗅覚と深く関わっているのでしょうか?
じつのところ、嗅覚障害と聞いてパッと思いつくのは、むしろレビー小体型認知症です。アルツハイマー型認知症とは別のタンパク質、「レビー小体」が関わっています。パーキンソン病として現れることもありますが、簡単にまとめると、「ほかの認知症でも、嗅覚と深く関係している場合がある」ということです。
運用を難しくさせている「落とし穴」
嗅覚の衰えは、認知症よりどれくらい前に訪れるのでしょう?
ご本人の自覚を伴わないので、「調べようがない」というのが正直なところです。健常者も含めたご高齢者のグループを追跡するなど、大がかりな比較研究でもしない限り、実態の把握は難しいと思われます。
いまのところ、「軽度認知障害(MCI)や認知症と診断された方を調べたら、嗅覚が衰えていた」ということしかわかっていないのです。認知機能は健常で、嗅覚のみ衰えている方がどれくらいいるのか。また、そのうちの何割が認知症に進んでいくのか。その辺のデータは、まだ明らかになっていません。
嗅覚の衰えを認知症のマーカーとして運用するのは、現実的じゃないと?
「なんの匂いかわからない」という症状に気づけば、認知機能を検査してみてもいいと思います。しかし、その段階での認知機能が正常で、MCIや認知症と診断されないこともあるのです。一方、診断が付いてしまったら発症前の予防に結びつきませんし、“初期の初期”に相当するグレーゾーンをどう扱うかですよね。
でも、嗅覚が関係していることだけは、知っておくべきことですよね?
そう思います。認知症が疑わしい方がいらっしゃったら、本人には見えないようにしてカレー粉を嗅がせてみるなど、できることはあるはずです。
現状からすると、嗅覚異常だけでは早期発見の手法にはなりえない
はい。鼻炎や副鼻腔炎(ふくびくうえん)、花粉症、風邪などさまざまです。ただし、嗅覚検査と認知機能検査は別のものです。嗅覚の衰えが、これら「ほかの要因によっては起こっていない」とわかったとしても、それをもって認知症とは診断されません。この点も、嗅覚の衰えと認知症を結びつけにくくしています。
いよいよMCIだとわかったとき、どのように治療していくのですか?
MCIはあくまで認知症の前段階ですから、経過観察が大切です。そのうえで、慎重に診断していく必要があるでしょう。なお、日本認知症予防学会では、非薬物性療法として「アロマセラピー」を推奨しています。嗅内皮質は記憶に関連する海馬と神経線維で結ばれていますので、新しい神経線維ができれば、認知症の進行を遅らせられるかもしれない。つまり、「嗅ぐ力」のトレーニングによって予防していこうという考え方です。
続いて、認知症と診断された場合の治療法についてもお願いします。
薬物療法が主だったところですが、生活スタイルの改善や行動療法を併用することもあります。発見が早期であればあるほど、医療の介入は低く抑えられるので、早い段階からのご相談をお願いします。
問われるのは、MCIの前段階にあたるグレーゾーンの究明や診断方法でしょう。嗅覚との関係にしても、まだまだ研究途中の段階で、早期発見の手法としては確立されていません。ただし、その可能性は見えていますので、期待をしていきたいですね。嗅覚検査から認知症を診断していくプロセスができれば、その恩恵は計り知れないと思われます。
編集部まとめ
嗅覚と認知機能との間には一定の関連性がみられるものの、“初期の初期”段階に相当する枠組みや診断基準が確立されていないのでした。つまり、「平常か、MCI以降か」で二分されてしまうということです。この隙間が埋められるには、まだまだ時間を要する模様。ただし、うっすらとした輪郭は、つかめてきているようです。
医院情報
くまがい内科・脳神経内科クリニック
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一般内科、脳神経内科 |