【闘病】「くも膜下出血」で救急車に、目覚めたら1カ月が経過…大きすぎた“過労のダメージ”
仕事先の沖縄から東京へのフライト後、空港で突然「くも膜下出血」を発症したチチカさん。救急車で運ばれてから目覚めるまでに、なんと1カ月かかったそうです。それまでのチチカさんは、仕事やプライベートで多忙な日々を送られており、はっきりとした前兆はありませんでした。そこで今回は、チチカさんがくも膜下出血を発症してから現在までの様子や、病気を発症して気がついたことなどについて語っていただきました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年4月取材。
体験者プロフィール:
チチカさん(仮称)
56歳。東京都世田谷区在住。診断時は合同会社の代表を務め、コロナ禍前に独立。ソーシャル(社会貢献事業)をテーマに沖縄で活動する。月に2回ほど東京と沖縄を行き来し、15案件ほどのプロジェクトに携わる。2022年3月末に沖縄から羽田に着いた空港内で突如倒れ、くも膜下出血を発症。
記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
突然オンライン会議中に倒れる。多忙な日々が招いた不調
編集部
チチカさんは突然くも膜下出血を発症し、救急車で運ばれたそうですね。何か前兆などはありましたか?
チチカさん
予兆はまったくなく、突然起こりました。ですが、今思うと倒れる前の1カ月間はとても忙しかったことを覚えています。
編集部
運ばれたときの様子を教えてください。
チチカさん
飛行機を降りて、空港到着口のスペースでアメリカとのオンライン会議に備えていました。オンライン会議の相手に当時の様子を聞いてみたら、私は「気持ち悪い」と言いながら椅子から崩れ落ちて画面から消え、周りには人だかりができて「救急車を呼べ」という声が聞こえたそうです。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
チチカさん
沖縄から東京に帰ってきた途端倒れて、1カ月後に目が覚めた時は突然集中治療室にいたので、自分に何が起こったかさっぱりわかりませんでした。しかも、記憶部分に損傷があったようで、当初はその日の朝食を食べたかどうかも覚えられなかったのです。記憶力はかなりいい方だったので、その落差をなかなか受け入れられませんでした。そんな時に、脳科学に詳しい友人が「記憶力はトレーニングすれば必ず戻る」と脳トレやクロスワードの本を差し入れてくれたんです。それらを少しずつでも解くことが、入院中の暇潰しになりつつも励みになっていました。
高次機能障害の影響で、やる気が起きない
編集部
救急車で運ばれてから1カ月の間に起こったことは、何か説明がありましたか?
チチカさん
救急車で運ばれた翌日から旅行の予定があったため、一緒に行く友人に救急車から電話をかけたようです。後日、その留守電を聞いてみると「今、救急車で運ばれているので、明日の待ち合わせには行けないと思う……」と私が喋っていました。後ろでは「血圧が低下しています」「脈が……」という救急隊員の声が聞こえ、最後は「今、救急車内で処置中ですので、電話切りますね」という救急隊員の声で切れていました。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
チチカさん
「高次機能障害」と診断されました。医師からは、「ひとまず日常生活に戻ること。ただ無理はしないように」と言われました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
チチカさん
高次機能障害の影響で、やる気が起きません。医師はよくあることだと言っていましたし、友人からは「更年期の影響かもよ。あるある」と言われました。
編集部
闘病に向き合う上で心の支えになっているものを教えてください。
チチカさん
かつて会った人たちに忘れ去られていないことです。
編集部
もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
チチカさん
「何にでも意味がある」「一つひとつ丁寧に」と助言したいです。
編集部
なぜそのような助言をしたいと思われたのですか?
チチカさん
今思えば、仕事や予定を過度に詰め込みすぎていたと思うからです。倒れた当時はかなり忙しく、東京に戻ったら4〜5日ほど友人と旅行にでも行ってゆっくりしようと思っていたところでした。忙しいことを言い訳にして、いろんなことが雑になっていたと反省しています。
※この記事はMedical DOCにて<【闘病】「くも膜下出血」発症後、目覚めたら1カ月が経過。前兆すら感じることのできない多忙さの結果…>と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。