【闘病】『死んでしまいたい』と追い込まれた「特発性大腿骨頭壊死症」と「線維筋痛症」
舞台俳優としてキャリアを築いていた服部杏奈さん。しかし、彼女はある日突然、「特発性大腿骨頭壊死症」と「線維筋痛症」という2つの病に襲われました。歩くことすらままならない日々、そして、舞台を諦めざるを得なくなったそうです。そんな服部さんに闘病中の苦労などについて、赤裸々に語ってもらいました。
※(前編)『【闘病】「特発性大腿骨頭壊死症」で元舞台に戻れないかも… 「線維筋痛症」も発症』からの続き
体験者プロフィール:
服部 杏奈さん
1994年生まれ。現在は一人暮らし。診断時の職業は舞台俳優。23歳で難病指定されている特発性大腿骨頭壊死症を発症し、そのための検査・治療を進めていく中で、線維筋痛症を抱えていることが発覚。現在も2つの病気の治療とリハビリ継続しながら、音楽や今まで俳優時代にやりたくても時間がなくてできなかった趣味(語学勉強や絵など)を始めるなど、前向きに人生をリスタートしている。
記事監修医師:
馬渕 青陽
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
編集部
特発性大腿骨頭壊死症はどのような治療を行っていますか。
服部さん
最初は杖を使って歩行してみたり、少しきつめのリハビリをしたりもしましたが、痛みと体力的にそれを継続するのは厳しかったです。結局、保存療法で治療していくことになりました。とにかく安静にして、出来るだけ動かず、寝たきりの日々を過ごしました。また、大腿骨を守ることを目的に、股関節専門リハビリに通って、股関節周辺の筋力を付けたりもしていました。
編集部
線維筋痛症は、どのような治療をしているのでしょうか?
服部さん
線維筋痛症を専門的に扱っている病院に何軒も足を運びました。完全にメンタル面からアプローチするタイプの先生もいれば「薬で全部コントロールできる」という先生まで様々でした。現在は痛みの抑制に関係する神経伝達物質であるセロトニン、ノルアドレナリンの量を調整する作用があるとされる「サインバルタ」(抗うつ薬)を服薬し、痛みをコントロールしています。あと、理学療法士さんからの施術を受けています。自分でも自宅でできるケアなどを調べては、実践する日々です。今は「痛む身体とどう向き合うか」というより、「痛みを感じた時に、自分の心とどう向き合うか」という方に考えをシフトしました。
編集部
現在、それぞれの病気はどういう状況なのでしょうか。
服部さん
特発性大腿骨頭壊死症は国の指定難病でもあり、完治という概念がまずありません。ですが、大腿骨に負担をかけない生活が功を奏したのか、先日5月18日のMRIで少し壊死した部分の骨が再生していました。心から嬉しくて、涙が止まりませんでした。まだ走ったり跳んだりなど、できないことは数多くありますが、経過としては良い方向に向かっています。線維筋痛症は服薬しながら日々痛みと闘っています。一時は「完治したい」と強く思いましたが、逆にそれが精神的プレッシャーになってしまいました。近頃は「いつか完治したらラッキーだけど、線維筋痛症と手を繋いで生きているんだ」と、ポジティブに考えています。
編集部
2つの病気はともに認知度も低く、他人の理解を得られにくいのではないですか?
服部さん
それはありますね。線維筋痛症の場合、ひどい時は顔面の筋肉が痛くて動かせない日もありますが、その痛みは翌日には感じなくなっていることも珍しくないので、「昨日辛そうだったのに、今日は元気そう」と言われたりもします。
編集部
働くことも難しい状況で、金銭的な苦労はないのですか?
服部さん
市区町村によって違うかもしれませんが、指定難病の特発性大腿骨頭壊死症は、医療助成金の対象となっていてありがたかったです。ただ、線維筋痛症の場合は難病に指定されていないので、金銭的にも圧迫されます。現在はこれまでの経験を活かして収入が得られるような状況に恵まれましたが、当初は治療を続けていくために親に金銭的に援助してもらう必要もありました。また、俳優として磨いた技術で蓄えてきたお金が、すべて医療費に消えてしまったときはすごく切ない想いをしました。これだけ辛く原因も明らかになっていない病気なのに、難病に指定されていないことが正直言って理解できません。
編集部
闘病生活の中で、一番辛かったことはなんですか?
服部さん
子役から17年近く役者として仕事をしてきたので、今後舞台に立つようなことはできないと主治医の先生から言われたときは、ものすごくショックでした。今でもまだ舞台やドラマを見ることがすごく辛く、最後まで鑑賞できません。途中で止めてしまいますね。自分の存在価値は、完全にそこにあるものだと思って生きてきたので、それができないと言われたとき、死んでしまいたいと考えたこともありました。
編集部
その苦労をどうやって乗り越えることができたのですか?
服部さん
これまで俳優として活動する中で告知などに利用してきたSNSに、今患っている病名と今の状況を書いて、心の内も包み隠さずに打ち明けました。すると、もともと俳優としての自分を知ってくれていた人だけでなく、同じような闘病生活を送っている私の存在を知らなかった人たちとつながることができて、励まし合えるようになりました。「舞台をやっていなくても、車いすでも車いすでなくても、あなたはあなたに変わりない。あなたの笑顔が好きだから応援してるよ。泣きたいときは泣いていいし、等身大の自分をぶつけてくれていいからね」という言葉が忘れられません。SNSでいろんな人の想いが「見える化」されていることが助けになりました。私はこの時代に闘病生活を送れて良かったと思っています。
編集部
難病と闘う上で大事だと思っていることを教えてください。
服部さん
自分の病気との向き合い方を受け入れてくれて、足並みを揃えて共に闘ってくれる先生を見つけることが一番だと思います。「この人だ」というお医者さんを見つけるのには相当な時間と体力を使いますが、見つかれば本当に心強い味方を得ることができます。
編集部
最後に読者へメッセージがあればお願いします。
服部さん
正直、私はこの闘病人生の意味を見つけきれておりません。ただ日々を必死に生きていたら、支えてくれる人たちへの感謝、お箸を持ってご飯が食べられる日がある幸せ、何者でもない自分でも愛してくれる人がいることなど、今まであまり見えていなかったことが少しずつ見えてきました。健常者であれ闘病者であれ、みんなが何かと闘いながら生きていることに変わりはありませんし、私を特別視してもらいたい訳でも、記事を読んで何かを感じてほしい訳でもありません。ただこの病気のことを知識として広く知ってもらうことが大事だと思って、この取材を受けさせてもらいました。同じ瞬間に難病と闘いながら、金銭的、身体的、精神的に自分をすり減らしている人には、「めげても大丈夫、泣いても大丈夫です。会えなくても一緒に闘っていきましょう」と伝えたいです。
※この記事はMedical DOCにて《【闘病】舞台女優を襲った難病と、もう1つの“難しい病気”》と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年5月取材。