【闘病】冷たい缶ジュースから始まった恐怖。「死ぬかもしれない」14歳女子中学生を襲った『膠原病』

14歳のある日、缶ジュースを持った手がろうのように白くなった――それが、矢吹さんの長い闘病生活の始まりでした。中学3年生で「膠原病(こうげんびょう)」の一種である「混合性結合組織病(複数の異なる膠原病の症状が混在して表れる自己免疫疾患)」および「シェーグレン症候群(涙腺や唾液腺などに炎症が起き、目や口の強い乾燥を引き起こす自己免疫疾患)」と診断され、「血球貪食症候群(免疫細胞が自身の血液細胞を破壊してしまう疾患)」を発症。死の恐怖と向き合いながらも、彼女は病と共に生きる道を選びました。現在は医療従事者として、また社会活動にも積極的に関わりながら、同じように病と向き合う子どもたちを支えている矢吹さん。彼女が自身の闘病記を語ります。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年10月取材。

体験者プロフィール:
矢吹真菜さん
冷たい缶ジュースがきっかけで発覚した病気

編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
矢吹さん
中学3年のある日、通っていた塾の帰りに冷えた缶ジュースを買った時のことです。缶を持っていた手が、ろうのように白くなってしまったんです。白くなった手を見た母が心配して、近所の小児科を受診することになり、血液検査で「混合性結合組織病」と「シェーグレン症候群」であることが分かりました。最初は、小児科の先生も「ほとんど引っかかることはないけど、念のために検査してみよう」という感じでした。
編集部
診断がついた時、どう思いましたか?
矢吹さん
最初は症状もぼんやりしていて、あまり自覚がありませんでした。でも、その後血球貪食症候群になった時は症状がかなり激しくて、「あ、やばい。死ぬかもしれない」と思いました。中学生でしたし、死と向き合うのは想像以上に怖かったですね。でもこの経験が、私の死生観や、患者さんを支援する考え方につながっています。
編集部
自覚症状などはあったのでしょうか?
矢吹さん
最初は、レイノー症状(寒さや緊張によって手足の指先の血管が収縮し、皮膚の色が白や紫に変わる症状)以外ありませんでした。ただ、明らかに体力が落ちていて、学校から帰ると一度眠らないと動けないような状態でしたね。
編集部
血球貪食症候群は、どのような経緯で発症したのでしょうか?
矢吹さん
もともと入院して治療する予定でしたが、予定の3日前くらいに40℃を超える高熱が出て、緊急入院した際の検査により、血球貪食症候群が発覚しました。当時の血液データはかなり乱れていて。特に驚いたのは、体内に貯蔵されているはずの鉄分(フェリチン)が血液中に正常時の10倍以上も溶け込んでいたことです。血球貪食症候群は、若年性特発性関節炎(JIA/16歳未満で発症する原因不明の慢性的な関節炎で、小児リウマチの代表的な疾患)などでは比較的よく見られる合併症である一方、私が患っていた混合性結合組織病では非常にまれで、先生は診断するのにかなり苦労したそうです。一時は感染症の可能性も疑われました。
編集部
血球貪食症候群の具体的な症状を教えてください。
矢吹さん
私の場合、主な症状は、高熱と体内に貯蔵されているはずの鉄が放出されてしまう「高フェリチン血症」でした。そのほかにも、免疫細胞が皮膚を攻撃することで起こる発疹やかゆみ、激しい疲労感、めまいなどにも悩まされました。免疫機能が暴走している状態だったので、後遺症が残るのではないかという不安も少しありました。実際、私も発症から10年近くたってから、てんかんと診断されたんです。その際、医師から「膠原病患者の中には、てんかんを発症する人もいて、重篤な状態だった人ほど、その傾向がやや強い。全く因果関係がないとはいえない」という説明を受けました。もし血球貪食症候群を合併した場合は、しっかりと長期的なフォローアップを受けることが重要です。そして、不審に思う症状があった際には、必ず過去の病歴を医師に伝えることが大切だと思います。
「健康はお金で買えない」14歳の私が学んだ痛み

編集部
治療方針について医師から説明がありましたか?
矢吹さん
私の場合、かなり状態が悪かったので内服薬からの治療開始は難しく、ステロイドパルス(短期間に大量のステロイド薬を点滴で集中投与し、強力に炎症を抑える治療法)を行う必要がありました。先生からは「ステロイドパルスの後は免疫抑制剤とステロイドを飲み続けることで、元気に生活できる」という説明がありました。ただ、私の場合は治療の過程で合併症や副作用も出たので、100%元気な状態ではないと思っています。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
矢吹さん
血球貪食症候群で退院してからの3年間は、体力が明らかに低下していました。膠原病を発症した時期は中学3年生ですが、ようやく人並みに生活できるようになったと感じたのは大学生になってからです。その時々で気を付けることは変わっているものの、医師と相談しながら「なるべく制限はない、でも安全な生活をする」をモットーに過ごしています。
編集部
病に向き合う上で、心の支えになっているものを教えてください。
矢吹さん
趣味や社会とのつながりですね。中学生の時に命の危険を乗り越えてから、「今は第二の人生だ」と思うようにしているんです。そして「第二の人生をどう生きようか」と考えた結果、世のため人のために生きたいという結論に至りました。大学時代は病院でのボランティア、現在は子ども向けの実験教室など、幅広く活動しています。趣味だったスキーは、寒さによって症状が出たり、治療の影響で膝の骨が壊死(えし)したりしたことで10年近く滑れない状態が続いていました。でも、パラスポーツのイベントで出会った障害者スキー連盟の人に誘ってもらい、再び滑ることができています。こうした周囲との関わりは、病気と闘う上で本当に大切だと思います。
編集部
もし昔の自分に声を掛けられたら、どんな助言をしますか?
矢吹さん
唯一言えることは「早く病院に行って」です。診断された時期は2013年11月でしたが、実は9月にはレイノー症状に気付いていました。「2カ月早く受診していたら違ったかもしれない」と思うこともあります。当時は高校受験に気を取られていて、それどころではありませんでした。14歳で学ぶには重すぎる内容かもしれませんが、「健康はお金で買えない」ということを痛いほど学びました。
医療従事者への願い、「小児膠原病」を見逃さないでほしい

編集部
現在の体調や生活について教えてください。
矢吹さん
服薬は朝晩2回です。朝はステロイド(4mg)、免疫抑制剤のミコフェノール酸モフェチル、ベラプロストナトリウム、鉄剤を服用しています。週1回、関節炎のためにメトトレキサートの注射剤も打っています。夜はミコフェノール酸モフェチルとベラプロストナトリウムです。研究をするようになってから昼は不規則なので、昼に服用しなくていい薬をリクエストしています。2025年9月にステロイドの影響で眼圧が上がってからは、寝る前に眼圧を下げる目薬を点眼しています。ステロイドも眼圧上昇を受けて5mgから4mgに減量しましたが、やはり身体に負担があり、生物学的製剤(生物が作り出す物質を応用し、炎症の原因をピンポイントで抑える薬)の点滴を導入しました。仕事は通院や作業内容など、合理的配慮を受けながら楽しく取り組んでいます。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
矢吹さん
私も医療従事者の端くれなので、「まさかないと思っていた」病気に遭遇することがあります。そうした疾患はまれな上、年に1回あるかないかの頻度なので、つい見逃してしまいそうになります。特に小児膠原病は患者数が少なく、診断に至るまでが非常に難しい病気です。膠原病は不定愁訴(原因がはっきりしない、さまざまな体の不調)のような症状が多いことも、診断を難しくしているのかもしれません。疑いがある患者さんたちを見落とさないよう、ぜひ注意を払ってもらいたいと思います。まずは「子どもでも膠原病にかかる」という事実を知り、診療の中で意識してもらえたらうれしいですね。また、私は主治医と相談し、「100%の完治」を目指すのではなく、自分のキャリアや生活を考慮した治療のゴールを設計することで、充実した日々を送ることができています。ただ薬を増やすのではなく、患者さんの生活観や人生観と向き合った治療戦略を立ててもらえたらと思います。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
矢吹さん
子どもや若い人の膠原病は珍しく、先が長い分、生存率などの統計も不十分です。保護者にとっても不安は尽きないと思います。でも、病気によって新たな道が開けたと思える部分や、広がった世界もあります。新しい世界との関わりを楽しみながら、自分の気持ちを大切にして、長く病気と付き合っていってほしいと思います。小児膠原病は今のところ、人生を通して付き合っていく病気です。初めは小児科や小児の膠原病を専門とする医師に診てもらうと思いますが、いずれ大人の診療科に移る時が来ます。その際には自分で治療法を選択する力だけでなく、通院や社会資源の受給を継続する力、何より「病気と共存しながら人生をデザインする力」が求められます。この力は、さまざまなことに挑戦し、医療従事者とも主体的にコミュニケーションを取ることで身に付いてきます。また、病気の子どもたちを対象とした心理・社会学的な研究成果から、分かっていることがあります。それは、幼少期は自身が病気であるという自覚が乏しい場合があることや、他人と違うことをしたくないという気持ちから、治療に前向きになれず内服を拒否する時期があるということです。この問題に対しては、ある程度大きくなってから取り組める「振り返りビーズ(闘病中の子どもたちが、つらい検査や治療を乗り越えた証しとしてビーズを集める心理支援プログラム)」もあります。しかし、どんなプログラムよりも日常生活での成功体験ほど、家族の絆を強くしてくれるものはありません。まずは病気が自分の全てになってしまわない人生設計、子育てをしてもらえたらと思っています。
編集後記
矢吹さんの体験は、病気の早期発見の重要性と、病と共に生きる覚悟、そして支え合う社会の大切さを私たちに教えてくれます。小児膠原病という希少疾患の診断の難しさや、治療と生活の両立の苦労、そしてその中で見出した生きがいや希望。医療従事者としての視点から語られるメッセージは、患者さんと医療の関係性に新たな視座を与えてくれます。「健康はお金で買えない」――この言葉の重みを、私たちは今一度胸に刻むべきかもしれません。
本稿には特定の医薬品、医療機器についての記述がありますが、情報提供のみを目的としたものであり、医療上の助言や販売促進などを目的とするものではありません。
なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

記事監修医師:
田島 実紅(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。



