【闘病】交通事故前後の記憶なく、突然「高次脳機能障害」に(2/2ページ)

医師、看護師、家族、周囲の支えがあって今がある

編集部
病気と向き合っていく上で 心の支えになっているものを教えてください。
河野さん
交通事故でどこかに行こうとしていた命を引っ張り戻してくれた病院の先生や、看護師の方達、それに母や兄、妹など、私の周りにはいろいろな形でフォローしてくれる人達がたくさんいます。そんな人達に良い報告ができるように、「日常がリハビリになる」と思い、いろいろな事に取り組んでいます。 今の私があるのは、そういった人達のおかげだと思っています。
編集部
現在の体調や生活などの様子について教えてください。
河野さん
忘れっぽいところもあり、言葉もおぼつかず、話したい言葉が見つからず感情だけが置き去りになってしまうこともあります。また、構音障害(発音がうまくできない状態)、軽めの失語症(言葉の理解や使い方などがうまくできなくなった状態)もあるようなので、メモやtodoリストを使って対応しています。仕事は、障がい者雇用での清掃や洗濯などの軽作業をしています。理解のある会社で、いろいろと相談に乗ってもらって、無理をしない程度で働かせてもらっています。無理はせず、よく睡眠をとっているので快調です。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
河野さん
これ以上ないくらいに医療従事者の方に感謝をしています。私がこうして普通に歩き 、生活をしていられるのは医療従事者の方のおかげだと思っています。感謝しかありません。
編集部
最後に読者に向けてのメッセージをお願いします。
河野さん
「高次脳機能障害」は健常者が想像する以上に複雑で、様々な壁が立ちはだかり、当事者の胸の中ではいくつもの葛藤があります。少しでも多くのみなさまに高次脳機能障害を知ってもらえることで、当事者は安心し、住みやすい社会になるのではないかと思います。私の体験談を最後まで読んでいただきありがとうございました。
編集部まとめ
突然の事故で高次脳機能障害になり、多くのストレスや不安を抱えていたことと思います。取材の中で、おっしゃられていた「どこかに行こうとしていた命」という言葉がとても印象に残っています。医療従事者や家族や周りの人たちの支えがあり、河野さんご自身もそれをしっかりと受け止めてリハビリに励んだことで今があるのだと思います。私たちにできることは、高次脳機能障害などの見えない障害を理解し、知らない人にそれを伝えていくことだと思いました。





