~実録・闘病体験記~ 脳出血による半身麻痺と失語症を12年で克服できた秘訣
闘病者の木下さんは12年前に脳出血を発症したことによる後遺症で、右半身が麻痺し、失語症で会話もままならなくなりました。そこから現在まで、長期にわたるリハビリを続け、毎日1万歩以上の歩行ができるようになるまでに回復。それでもなお「12年経った今でも、日々身体の回復を実感している」と言います。果たして、木下さんはどのように脳出血を発症し、どんなリハビリに取り組んできたのか。これまでの12年間の話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年7月取材。
体験者プロフィール:
木下 智次
東京都在住、1963年生まれ。発病当時、妻と3人の子どもと5人暮らし。現在は母親と2人で暮らす。診断時の職業は不動産売買の仲介営業。2009年9月10日に重度の脳出血を発症し、急性期病院に運ばれる。手術で一命を取りとめたものの、右半身に麻痺が残り、併せて失語症も発症し、それまで通りの会話ができなくなる。そこから長期にわたるリハビリを始め、およそ12年間のリハビリ生活の結果、現在は会社勤めができるまでに回復し、毎日電車に揺られながら通勤している。ブログ「奇跡!重度の脳出血が治った!! 」
記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
脳出血である日突然倒れる
編集部
脳出血はどのようにして起こったのですか?
木下さん
脳出血を発症したのは2009年9月10日の午後でした。介護職の体験授業講習中に「なんか変な感じがする」と思い近くのイスに座りました。少し休めば治るだろうと思いましたが、しばらくして立とうと思っても力が入りません。何度立とうとしても立てず、そうこうしている内に、体が動かなくなっていきました。
編集部
それは怖い。そこから倒れてしまったのですね。
木下さん
実は同日の午前の授業で血圧を測ったとき、240mmHgもあったのですが、そのときは「きっと計測ミスだ」と気にとめていませんでした。そんなに高かったら相当気持ち悪いでしょうが、体調は普段通りだったからです。でも、異変は起こりました。それで救急車を呼んでもらったのです。
編集部
脳出血を起こす原因などで、思い当たることはありますか?
木下さん
私はもともと高血圧症を抱えていたのですが、「血圧を下げる薬を服用するように」という医師の言いつけを守らなかったからだと思います。
編集部
発症しても意識は残っていたのですか?
木下さん
しばらくは意識もありました。救急車が来るまでの間、横になっているところに毛布をかけてもらったことや、救急隊員にいろいろ質問されながら救急車に乗ったこと、氏名、住所、家族構成などを聞かれたのを覚えています。ですが、病院に着いてしばらくしてから意識が朦朧としてきました。死を覚悟するまでではありませんでしたが、そこではじめて、「これは本当にやばい病気かもしれない」と思いましたね。それからいろんな検査を受けている間に、意識がなくなりました。
編集部
その後、どのような治療を受けたのかわかりますか?
木下さん
私は医師から説明を受けた覚えがありませんので、妻が私の代わりに説明を受けたと思います。私は話もできなかったし、説明をしても無駄だと思われたのではないでしょうか。結局、手術をすることになり、無事に命を失うことはありませんでした。
半身麻痺と高次脳機能障害との闘い
編集部
後遺症などは残りましたか?
木下さん
麻痺で体の右半身が全く動かなくなりました。失語症も発症し、会話も簡単なやり取りしかできなくなりました。
編集部
失語症とはどのようなものですか?
木下さん
私の場合は、会話は簡単なやり取りなら可能でしたが、時間がかかり、不完全な発話が多くなりました。聴力は、日常の簡単な内容の理解はどうにか可能でしたが、複雑な内容と急な話題の転換にはついていけません。人とのコミュニケーションが難しくなったんです。話しを聞いてもすぐ忘れてしまい、思いだせないことがありました。ただ、完全に忘れてしまった訳ではなく、2年ぐらい経ったときに頭の中が整理され、記憶が戻った気がします。
編集部
後遺症で生活に変化はありましたか?
木下さん
今までの生活環境のすべてが変わりました。右半身麻痺でベッドから移動ができず、食事もトイレも介護してくれる人達がいなければ何もできない身体になりました。特にトイレの介護では、パンツの着脱とトイレに座ること、そして尻を拭く事までも介護してもらう必要があり、人間の尊厳が失われたような気分でした。
編集部
人とのコミュニケーションが難しいとなると大変ですね。
木下さん
顔にも麻痺があり、よだれを垂らしたり、口に入れた食べたものが麻痺した側から出てきてしまったりすることもあるので、遠慮して健常者の方と食事をする機会はなくなりました。失語症で言いたいことが伝えられなくなり、孤独感も強くなって、そのうちに誰とも話しをしなくなりましたね。
編集部
家庭や収入などへの影響はありましたか?
木下さん
ある日から、妻が回復期リハビリテーション病院に来なくなりました。やがて子どもたちを連れて家を出て、離婚届を市役所に提出されてしまいました。その頃から金銭的にも苦しくなり、生活保護を受けるようになりました。もう何もかもが嫌になり、一時は自殺も考えましたが、麻痺がひどくて自殺することすらできませんでした。それならリハビリを一生懸命やるしかないと決心しました。家庭もなんとか元に戻そうと努めましたが、それも諦めまして、3年前に離婚が成立しています。
編集部
リハビリはどのようなことに取り組んだのですか?
木下さん
入院しているときは、ベッドに座ること、車椅子に乗ること、立ち上がることを目標にリハビリを始めました。技術的な事は理学療法士(PT)さん、作業療法士(OT)さんに任せていましたね。自分でライバルを設定して臨むことが、私にはモチベーションとなっていましたし、先生たちもそれを推奨してくれていました。言語聴覚療法士(ST)さんにも毎日課題を出してもらってそれに取り組んでいましたね。自習でリハビリ室にも通い、毎日くたくたになるまでリハビリに取り組みました。
編集部
現在の体調や生活などの様子について教えてください。
木下さん
体調はいいです。梅雨時に多少体調が悪くなることもありますが、健常者でも同じように悪くなる人はいると聞きますので、気にするほどではありません。仕事がある朝は4時に起きてお経、祝詞(のりと)をあげます。朝食後、電車に乗り、会社がある駅の3つ手前で降りて、ウォーキングをしながら、神社、仏閣をお参りします。その様子をブログやFacebookに投稿したりもしていますよ。
編集部
リハビリは今も続いていますか?
木下さん
現在も、失語症を治すために、般若心経、観音経、理趣経などのお経を声に出して読経しています。右麻痺の体のリハビリとして、腕立て伏せを100回、腹筋100回などの体幹トレーニングを行っていますね。病気から12年経った今でも、身体が日々回復しようとしているのを実感しています。実際、ウォーキングの距離も昨年より伸びてますからね。
リハビリのカギは相性だった
編集部
リハビリ中の心の支えや、苦労を乗り越えた秘訣はなんでしたか?
木下さん
自分が身体障害者になったことを受け入れることと、「心身ともに病気を治す」ことに信念を持つことです。入院中は主治医と看護師、リハビリ担当のPT、OTやSTの方々と入院していた患者の方々に敬意をもって接することで、リハビリがうまくいきました。
編集部
脳出血をよく知らない人へメッセージはありますか?
木下さん
医者の指示に従って薬は飲んでください。特に高血圧症でストレスを抱えている人は注意が必要ですね。脳出血は誰でもかかる可能性のある病気ですから、自分には関係ないと思っている人には「私のように不自由を味わいたいですか? 自分だけは脳卒中にはならないと思っていませんか?」と問いたいです。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
木下さん
私の場合ですが、急性期病院のSTさんとは気が合いませんでしたが、回復期病院のSTさんはとても気の合う人でした。感覚的な話ですけども、失語症の場合、罹患者は上手くコミュニケーションが取れない状況なので、STさんとの気が合う・合わないは、すごく大事なことだと思います。私の場合、天と地ぐらいの差があったと感じました。なので、気兼ねなく担当の方を変えられるようなしくみがあるといいと思います。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
木下さん
私は12年間努力して奇跡的に半身麻痺と失語症がよくなりました。今は普通に喋れます。右半身麻痺もよくなり自転車や自動車の運転もできますし、杖なしで毎日1万歩以上歩いています。この記事を読んでくれた患者さん、患者さんのご家族が1人でも希望を持ち、回復の道があることを知ってもらえたら幸いです。私のブログ(プロフィール参照)にもリハビリについて書いていますので、もしよかったら見にきてください。
編集部まとめ
長期にわたるリハビリ生活の中でモチベーションを維持することは大変なことだと思います。しかし、視点を変えれば、木下さんのような目標設定の作り方によってそれが可能なのかもしれないと感じました。また、自主的に行っていた努力の量には感服するほかありません。同じ病気やリハビリ中の人たちにとっては、非常に参考になるお話しだったのではないでしょうか。