【闘病】『ギラン・バレー症候群』で救急搬送へ… 突然おきた腰の激痛・息苦しさ・しびれ

「箸がうまく使えない」という小さな違和感から始まった遠藤さんの体調の変化。しかし、その症状は急速に悪化し、数日で救急車を呼ぶ事態にまで至りました。診断の結果、ギラン・バレー症候群と判明。入院・治療を経て、現在は日常生活の8割程度まで回復しているとのことです。遠藤さんが体験した、突然の発症から治療、回復までの過程や現在の思いなどについて語ってもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年8月取材。

体験者プロフィール:
遠藤卓
1965年生まれ、神奈川県在住。2024年に直腸がんと診断され、その手術後にギラン・バレー症候群にかかる。公務員、会社員を経て整体院、整体学校を経営。しかし、がんを患ったことを機に事業をスタッフに継承し、自身は療養に専念する。現在は妻と二人暮らし。趣味はドライブや旅行、映画鑑賞。
「なんか変だな……」から数日後に救急搬送

編集部
最初に不調や違和感に気づいたのはいつですか?
遠藤さん
2024年12月初め頃、「お箸を使うのがなんだか下手になったなぁ」と感じたのが始まりだと思います。「いまさら!?」と思いながら、お箸の練習グッズを買って練習しましたが、それでもうまくなりませんでした。最初は食べることに大きな影響はなかったのですが、ある日焼きそばを作って食べようとしたら、全くと言っていいほど麺をつかめないんです。箸が交差してしまったり、力が入らずに麺を持ち上げることができなかったりして、そのときはフォークで食べました。
編集部
そこからどうやって受診に至ったのですか?
遠藤さん
その2~3日後、夜に胸の痛みと息苦しさ、そして両手両足のしびれ、腰や背中の痛みが同時多発的に起きました。もともと整体の仕事をやっていたので、「これは筋肉の痛みではない」「しびれもヘルニアや坐骨神経からくるものではなく、脊髄神経そのものの異常だろう」と想像していました。腰の痛みが特に強く、立っていることも座っていることもままならない状態で、呼吸苦を抱えたままゴロゴロしているのがやっとでした。結局「#7119」(※)に相談し、指示された通り救急車を呼んで、以前直腸がんの手術をした総合病院のER(救急外来)へ行きました(※別記事として取材)。
※神奈川県が運営する、急な病気やけがに関する相談窓口
編集部
受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。
遠藤さん
搬送先の病院で状況を話したところ、医師から「ギラン・バレー症候群の疑いがある」と言われました。このままERで安静にし、翌日に脳脊髄液の検査をすると言われました。私も妻も「ギラン・バレー症候群」という病名は聞いたことはあっても、どんな病気か即座に思い出すことはできませんでした。
編集部
告知はどのような形でしたか? また、そのときどのように感じましたか?
遠藤さん
翌朝、脳脊髄液の検査をしたところやはり、ギラン・バレー症候群と判明し即入院となりました。当時の私にとっては病名が確定することよりも、症状の緩和が大事でした。とにかく腰などの痛みがつらかったのです。しかし「まれな病気」ということがわかり、つらい症状に耐えながらも漠然と、「この体験をどこかで発信したい」と考えることなどはできました。転んでもただでは起きない精神ですね(笑)。
編集部
どんな病気なのでしょうか?
遠藤さん
ギラン・バレー症候群は人口10万人あたり年間1~2人と言われる非常にまれな病気で、症状としては手足の脱力、感覚の異常、しびれなどがあります。重症化すると呼吸困難を引き起こすこともあるので、私はそこそこ重症だったのだと思います。 私は発症する2カ月前に直腸がんの手術を受けていますが、そういったケースは発症リスクが高まるという報告もあるようです。
握力8kg。薬を取り出すこともできなくなり……

編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
遠藤さん
免疫グロブリンの点滴治療などをおこなって完結だと言われました。先行きが見えて少しホッとしました。先生が病室に来てくれたので、一応、頑張ってベッドに座って説明を聞きましたが、そのあとでまさにバタンキューとそのまま倒れ込みました。腰は痛いし呼吸は乱れるし、その日は1日ずっとそんな状態で過ごしたのを覚えています。
編集部
実際の治療はどのようにすすめられましたか?
遠藤さん
治療は毎日点滴を交換して、淡々と続いていきました。ただ、腰の痛みや両腕の痛み、両太ももの痛みなどが日替わりで襲ってくるんです。それも夜が特にひどかったです。あまりにもつらくて、ベッドの上で一晩中のたうち回って、一睡もできずに過ごしました。痛み止めの点滴も薬も6時間ごとにしかもらえず(そもそもあまり効いている気がしませんでした)、しばらくは夜がくるのが恐怖でした。妻にも「夜が怖いよ」と洩らしたこともあるくらいです。医師にその旨を伝えたところ、麻薬の点滴を使うことになりました。麻薬の点滴は効きました。特に痛くなったときは短時間に増量して薬剤を投入できるのですが、おかげで痛みからはだいぶ解放されました。その後、治療やリハビリテーション(以下、リハビリ)の甲斐もあって徐々に痛みはなくなっていき、力も少しずつ回復していきました。
編集部
受診から、現在に至るまで、何か印象的なエピソードなどがあれば教えてください。
遠藤さん
とにかく「こんなに力が入らないんだ」と自分でも驚くことの連続でした。手足の力が抜けて、ペットボトルのキャップは開けられないし、薬を包装から出すこともできませんでした。握力を計ったら、両手ともにたったの8kgでした。子ども以下です。最初の頃はベッドに座ってもいられないので、食事も寝たままバナナやヨーグルトを食べていました。リハビリが始まっても、立ち上がるのもやっとで歩くのもフラフラでした。理学療法士さんと歩行練習をしたあとに、立ったまま上を向いてペットボトルの水を飲もうとしたら、バランスを崩してひっくり返りました。幸いベッドの上にひっくり返ったのでけがもなかったのですが、気を付けないといけないなと思いました。退院後もまだ回復しきってないので、特に段差には注意しました。ちょっとした段差なのに、降りたときに膝がカクンとなって転んでしまったこともあります。
「元気な自分」は当たり前ではない。

編集部
病気の前後で変化したことを教えてください。
遠藤さん
以前より人間が丸くなったと言われました。私は人一倍、体力も元気もあると自負していましたが、それはもはや当たり前ではないと悟りました。ギラン・バレー症候群の症状は無くなっても、筋力や体力はまだ回復していないので筋トレで早く回復させようという気持ちになりました。
編集部
つらい治療中、心の支えはなんでしたか?
遠藤さん
妻のやさしさですね。クリスマスの頃にはだいぶ元気になっていたので、妻がケーキを買ってきてくれて病室で食べました。さらに、ちゃめっ気のある妻がサンタの帽子を買ってきたので、それを被ったまま過ごしていたら、看護師さんの間で話題になったそうです。年末に退院して数日後の年始に初詣に行ったときも、神社の段差などは妻が寄り添って歩いてくれました。
編集部
現在の体調や生活はどうですか?
遠藤さん
手や足の力、手先の器用さなど80%くらいまで回復していると感じています。退院直後は、まだお箸がうまく使えないので外食用にフォークやスプーンのセットを持ち歩いていましたが、現在はちょっと不器用な感じはありつつも、一応すべてのものをお箸で食べられています。100%まではまだ遠い気がしますが、毎日筋トレをして体力回復を目指しています。
編集部
医療機関や医療従事者に望むことはありますか?
遠藤さん
望むことはありません。救急で搬送されたとき、症状から即座に病名を予測し、適切に検査して迅速に診断してくれた医師にはとても感謝しています。また、夜に両腕が痛くなったのですが、痛み止めは間隔をあける必要があり使えずにいたとき、看護師さんが温かいタオルを持ってきてくれました。気持ちの問題も大きいと思いますが、そのタオルをあてたとき、とても楽に感じ、すごく救われました。その日の夜間は、タオルが冷めるたびに温かいタオルに交換し続けてくれて本当にありがたかったです。痛み止めの薬とは違った、ちょっとした思いやりに感動しました。
編集部
最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。
遠藤さん
力が全然入らないとき、ペットボトルのキャップを開けるのも薬を出すのも自分ではできず「自分は無力だ」と感じました。しかし、看護師さんは当たり前のように気持ちよく何でもやってくれるし、妻もいろいろと助けてくれました。病気になっても自分は一人ではありません。私を含め多くの人は今まで仕事などに必死に頑張ってきたと思いますが、闘病中は医師や看護師に頼っていいと思います。そしてしっかり前向きに回復していきましょう。
編集後記
遠藤さんのお話からもわかるように、ギラン・バレー症候群は突然発症し、日常生活に大きな影響を及ぼすことがあります。体のわずかな違和感や動かし憎さを感じたら、迷わず医療機関を受診することが早期対応につながります。日頃から自分の体の変化に注意を払い、少しでも異変を感じたら早めの受診を心がけることが、早期診断・早期治療への第一歩です。

記事監修医師:
上田 雅道(あたまと内科のうえだクリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。



