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匿名メールが100通届いた日——コロナ禍の病院長として選んだ「現場の声を聴く」リーダーシップとは

 公開日:2026/01/16

未曾有の危機の中で組織を率いるリーダーには、何が求められるのでしょうか。
長島悟郎先生が川崎市立多摩病院の院長に就任したのは2020年4月、ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に入港した直後のことでした。感染症の専門医ではなく脳神経外科医でありながら、就任以前から10年以上かけて地域の医療連携体制を築いてきた経験が、未知のウイルスとの戦いを支える力となりました。病院経営、医療安全、DX化——多岐にわたる課題に挑み続けるリーダーの実践に迫ります。

長島 悟郎

監修医師
長島 悟郎(川崎市立多摩病院)

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1985年に東京医科歯科大学医学部を卒業後、米国のNational Institutes of Health (NIH) 留学、昭和大学藤が丘病院などで脳神経外科医としてキャリアを積み、2008年に聖マリアンナ医科大学 脳神経外科准教授/教授を歴任。2012年に川崎市立多摩病院 副院長・脳神経外科部長となり、2013年以降は同病院の病院教授。2020年から同院の病院長を務めており、脳神経外科と感染症対策の専門性を活かし、地域医療および災害・感染症対応を統括している。

未曾有のウイルスとの戦いから始まった病院長生活

未曾有のウイルスとの戦いから始まった病院長生活

編集部編集部

病院運営のリーダーを担うことになった時、最初に直面した課題は何でしたか。

長島病院長長島病院長

私が病院長になったのは2020年4月からです。横浜港にダイヤモンド・プリンセス号が入港したのが2020年3月でしたから、「どうしよう」というところから始まりました。4月になって、最初の患者さんがダイヤモンド・プリンセス号から1人入院されたんです。
当時は欧米などで、診療した医師や看護師が死亡するという報道があり、強毒性のウイルスだと考えられていました。社会全体も医療従事者も、まだ何も分からない状態でしたから、そこが一番大変でしたね。

10年以上かけて築いた地域連携が危機対応の土台に

10年以上かけて築いた地域連携が危機対応の土台に

編集部編集部

コロナ以前から感染症対策に取り組まれていたと伺いました。

長島病院長長島病院長

幸いなことに、聖マリアンナに赴任したのが2008年で、それ以前の昭和大学にいた頃から感染制御に関わっていました。2000年代は感染制御がどこの病院もうまくできていなくて、認定看護師もいない、何をやったらいいか全然わからない状況でした。そうした課題感から、昭和大学時代に関連施設間で情報を共有する会を立ち上げ、2008年に聖マリアンナに赴任してからは、川崎市内の主だった医療機関に集まっていただいて情報共有の会を作ったんです。それが10年以上かけて形になり、行政も参加するようになって、かなりしっかりした体制ができあがったところで今回のコロナが発生しました。川崎市全体としては、他の地域に比べると機動的に動けたのではないかと思います。

病院機能評価で学んだガバナンスの本質

病院機能評価で学んだガバナンスの本質

編集部編集部

長年の取り組みがコロナ禍初期の対応を支える土台になったのですね。組織を変えたり、文化を作ったりする上で苦労されたことはありますか。

長島病院長長島病院長

うまくいくことのほうが少ないですね。特に組織の文化を変えようとする取り組みは難しいと感じています。
私は2015年から病院機能評価機構のサーベイヤーをやってきました。2018年頃から群馬大学や千葉県がんセンターなどの大きな病院でいろいろな事故が多発して、特定機能病院に特化した審査体系を作ることになりました。その時にサーベイヤーに指名されて、いろいろな施設の病院長の先生方や、病院管理を熟知している人たちと日々議論する機会をいただきました。

長島病院長長島病院長

当時のテーマが医療安全倫理、そしてガバナンスだったんです。クリニカルガバナンス(臨床統治)とコーポレートガバナンス(企業統治)はどう違うのか、どういう形で病院のリーダーシップをとってコントロールするか……喧々諤々で議論しました。しっかり病院経営をされている先生方からいろいろなことを教えていただきながら、統治の仕方を学び、自分の病院で実践してきました。

大学病院特有の難しさ——人事権なき組織運営

大学病院特有の難しさ——人事権なき組織運営

編集部編集部

統治の学びがあったとしても、大学病院ならではの難しさもあるのでしょうか。

長島病院長長島病院長

一般の病院と違って、大学病院は人事権が主任教授にあるんです。一般病院なら病院長が人事権を握っていて、働かない人には辞めてもらうことも可能です。でも大学の付属病院では主任教授が人事権を持っているので、「この人を辞めさせるなら医局から派遣しない」という駆け引きが起こり得ます。

優秀な人材を自由に集めるのではなく、与えられた人材の中でどのようにガバナンスを発揮するか。これは今でも非常に大変なことだと認識しています。

職員の声を聴く「病院長ホットライン」

職員の声を聴く「病院長ホットライン」

編集部編集部

そのような制約の中でも、理念を組織に浸透させるために工夫を重ねてこられたのですね。具体的にはどのような方法を取られているのでしょうか。

長島病院長長島病院長

いくつかありますが、一番大きかったのは「病院長ホットライン」という匿名でメールができるシステムの導入です。普通のメールだと自分のアドレスが出てしまいますが、Googleを使って匿名で送れるようにしました。

長島病院長長島病院長

コロナ禍では100通以上のメールが寄せられました。不満やつらさなど、いろいろな声です。その流れで今でもさまざまなメールが届きます。現場の意見をしっかり聴く体制を整え、それに基づいて病院長や執行部がどう考えているかを、毎週電子カルテのトップページに掲載して発信しています。「こういう方向でみんな一生懸命やりましょう」というメッセージを伝え続けることが大切だと思っています。

次世代医療の鍵は「タスクシフト」

次世代医療の鍵は「タスクシフト」

編集部編集部

現場の声に耳を傾け続けてこられたからこそ、次世代医療のあり方についての視点もお持ちなのですね。これからの医療はどのような方向に向かうとお考えですか。

長島病院長長島病院長

まず大切なのはタスクシフト、タスクシェアだと思います。医師が行っている仕事の中で、医師の国家資格がないとできない仕事はそれほど多くありません。また看護師の仕事の中にも事務でできることがたくさんあります。これは臨床検査技師でも薬剤師でも同じです。資格を持つ人にしかできない業務に特化させていくことが根本にあると考えています。
日本の医療はかなり進んできて、私がやる脳神経外科の手術も、10年目の医師が行う手術も、他の医療機関で行う手術も、ほとんど同じクオリティになっています。そうすると、患者さんにとってのプラスアルファは何かを考えなければなりません。

長島病院長長島病院長

特に重要になるのは事務職だと思っています。医師や看護師など専門職の能力はある程度決まっています。プラスアルファを作り上げられるのが事務職なのです。国会でいえば官僚にあたるのが事務職です。官僚がしっかりしないと政府が成り立たないように、事務職の育成が重要です。

コロナ禍で経験した苦悩と葛藤

コロナ禍で経験した苦悩と葛藤

編集部編集部

コロナ禍では、体制づくり以外にも多くの葛藤があったと推察します。コロナ対応で特に苦労されたことは何でしょうか。

長島病院長長島病院長

市から「とにかくコロナ患者を受け入れてほしい」と言われていたことです。コロナ患者を一人入院させると、普段の3倍くらいの看護力が必要になります。376床の病院で20人のコロナ患者を受け入れるために、病棟を2つ潰さなければなりませんでした。
看護師の中には、自宅にお子さんや高齢の家族がいて「コロナ対応はできません」という方もいました。さらに「彼氏ができたからコロナ対応できません」という人も。なぜかというと「いつ妊娠するかわからないから」と。田舎から出てきている子たちは、夏休みに実家に帰りたくても「バイ菌だから帰ってくるな」と言われる。
そういう状況で、職員を病院としてどう守ればいいのか。非常に苦労しました。守り切れずに辞めていった看護師や職員もたくさんいたと思います。苦しかったですね。

医療DXがもたらす光と影

医療DXがもたらす光と影

編集部編集部

壮絶な状況の中で判断を続けられていたのですね。その後、医療のあり方にもさまざまな変化が求められていったと思います。医療DXやICT活用についてはどうでしょうか。

長島病院長長島病院長

デジタル庁ができましたが、残念ながらそれは厚生労働省のデジタル化であって、医療機関は自分たちで実行しなければなりません。当院も今年、電子カルテシステムを更新しますが、20億円近いお金がかかります。更新後も保守管理料が続き、償却年数7年で計算すると年間3〜4億円をそこに充てなければなりません。
ほとんどの技術が海外製です。パソコンはDELL、中のWindowsはアメリカ製、円安の影響もあって、医療機関にとってデジタル化は大きな負担になっています。

長島病院長長島病院長

将来的にはAIがどんどん進んで、問診も自動入力、診断名のリストアップもAI、やがては診察もAIができるようになるでしょう。その中で医師がやらなければならないのは、手を使う手術だけになるかもしれません。様々な変化の中にありますが、当院の使命は、高度化・DX化された医療を、生活保護の方や一般の市民の方にも提供する橋渡し的な役割を果たすことだと考えています。

若手医師へ——病院長を目指すなら大きな志を持ってほしい

若手医師へ——病院長を目指すなら大きな志を持ってほしい

編集部編集部

最後に、組織のリーダーを目指す若手医師にメッセージをお願いします。

長島病院長長島病院長

正直に言うと困難なことが多く、病院長は気軽におすすめはできません(笑)。
でももし病院長になりたいという方がいるなら、日本の医療やこの地域の医療をどうしたいという、大きな思いを持っている人になっていただきたいです。病院長になることが目的ではなく、病院長になって何を成し遂げるかが大切です。

長島病院長長島病院長

私が聖マリアンナに来た頃、日本医科大学武蔵小杉病院に黒川先生という院長がいらっしゃいました。その先生が道を歩くと、商店街の人たちがみんな「よう、黒川先生」と挨拶するんです。地域にしっかり溶け込んで病院を運営されている姿を見て、地域の人たちが病院を見守り、病院も地域の人たちのために医療を展開する——それが医療の基本だと感じました。
当院は川崎市の北部で医療を展開しています。大学の教授や准教授が市民目線で、初診でも紹介でも外来を診てくれる病院は日本でもほとんどありません。その強みを活かして、川崎市に住む方々が安心して社会で活躍できるよう支えていきたいと思っています。

編集部まとめ

編集部まとめ

長島先生のお話からは、現代の病院長に求められる役割の多様さと重さが伝わってきました。感染対策医療安全組織ガバナンス経営、そしてDX対応——いずれも専門的な知識と経験が求められる領域です。しかし先生は、それらを「自分一人で解決する」のではなく、10年以上かけて地域連携を構築し、病院機能評価を通じて他施設から学び、匿名ホットラインで職員の声を聴くという、謙虚で開かれた姿勢で向き合ってこられました。
病院長になることが目的ではなく、何を成し遂げるか」という言葉には、公立病院を預かるリーダーとしての覚悟がにじみ出ています。AIやDXが医療を変えていく時代にあっても、地域に根ざし、すべての市民に質の高い医療を届けるという使命は変わらない。その信念が、川崎市立多摩病院の医療を支えています。

この記事の監修医師