【闘病】バセドウ病に隠れていた「甲状腺がん」 私は体を大切にできていなかった…?

話を聞いたA・Wさん(仮称)はバセドウ病で4年間の闘病生活の末、無事に寛解しましたが、その後再発とともに初期の甲状腺乳頭がんの診断を受けることになりました。手術により、がんは切除されたものの、現在でもバセドウ病や手術の後遺症と付き合いながら過ごしているそうです。A・Wさんの甲状腺乳頭がんの体験から、検査の重要性と信頼できる医療機関を見つける大切さについて学びましょう。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年11月取材。

体験者プロフィール:
A・W(仮称)
40代女性。2008年にバセドウ病を発症し、4年間の薬物療法の末に寛解。しかし、寛解から半年後に検査をおこなった結果、バセドウ病の再発と同時に甲状腺の腫瘍を発見した。更なる検査の結果、初期の甲状腺乳頭がんと判明。バセドウ病の治療を継続しつつ、2013年に甲状腺全摘・リンパ節郭清手術をおこなった。また、手術の際、副甲状腺の半分を摘出、もう半分を右肩に埋め込んだ。現在、手術から11年が経過し、半年に一度の経過観察は継続中。日常的に甲状腺機能低下症による症状が続いている。
目次 -INDEX-
安心してがんと向き合うには、納得できる医師と病院に出会うこと

編集部
はじめにA・Wさんの闘病経験を通して、読者に一番伝えたいことを教えていただけますか?
A・Wさん
これを読んでいるみなさんには、ご自身が納得できる病院や医師を見つけ、安心して治療に向き合ってほしいと願っています。治療方針などに「不安だな」と感じたときは、セカンドオピニオンを受けるのも一つの選択ですし、納得できるまで医師に質問してみるのもよいでしょう。私が抱えている甲状腺疾患は術後も薬での調整期間が長くなります。様々な判断を迫られる場面では、納得できる環境で治療を受けていることが前向きな気持ちや自信につながり、結果的に医師に安心して任せられるようになると感じています。
編集部
それでは、A・Wさんの甲状腺乳頭がんが判明した経緯について教えていただけますか?
A・Wさん
私は2008年にバセドウ病を発症し、薬物療法を4年ほど続けて寛解に至りました。その半年後、家庭の都合で引越しをすることになり、別の病院で経過観察の検査をおこなうことになりました。その病院では血液検査と超音波検査をおこなったのですが、そこでバセドウ病の再発と甲状腺の腫瘍が見つかりました。さらに詳しい検査をおこなうため、穿刺吸引細胞診とCT検査もおこなったところ、「初期の甲状腺乳頭がん」と判明したという流れです。
編集部
治療についてはどのような説明があり、具体的な治療はどんなことをおこなったのかも教えていただけますか?
A・Wさん
医師からは「超初期の乳頭がん」とのことでした。甲状腺の片側に1つだけあり、リンパ節転移もなしとのことでした。治療は甲状腺の全摘出、転移防止のためにリンパ節も取り除くと説明されました。また、バセドウ病の再発により、以前の薬が効かなくなっているという問題もあり、全摘出がベストとのことでした。治療に関しては検査後7カ月の待機期間を経て、甲状腺全摘・リンパ節郭清手術をおこないました。副甲状腺は半分を摘出、半分は前腕に埋め込むことになりました。それから10日間入院して、退院という流れでした。
編集部
病気が判明したときの心境についても教えていただけますか?
A・Wさん
腫瘍発見時に行った頸部超音波検査は、バセドウ病の治療で4年間、半年に1回受けている検査でもあったので、大きく動揺しました。それから良性か悪性かの確定診断がつくまで検査を重ねていく中で、悪性を想像し、余命や体験談などを調べるうちに、出口の見えないトンネルを進んでいるような、暗い気持ちになっていました。悪性の説明を受けたときは、「自分の体を大切にできなかったからだろうか?」とさらに落ち込みました。
編集部
甲状腺摘出後はどのような治療をおこなったのでしょうか?
A・Wさん
医師から当初受けていた説明通り、生涯にわたり甲状腺ホルモン剤を用いて、甲状腺ホルモンの数値を標準に保つことになりました。また、がんの大きさから推測すると、「おそらく5年ほど前のバセドウ病を発症した時点で、がんは存在していたであろう」とも説明されました。
手術までの7カ月間で病気に対する考え方に変化

編集部
甲状腺乳頭がんと判明した後、生活に変化はありましたか?
A・Wさん
がんによる自覚症状は全くなかったため、その点では変わりありません。甲状腺がんは種類にもよると思いますが、症状がないまま発見に至るケースが多いと聞きます。私の場合はバセドウ病の再発があり、吐き気や動悸などの症状を薬物治療で抑えるほうが辛い日々でした。さらに、人気のある病院だったため手術まで7カ月待ちだったことも、辛いといえば辛かったです。ただ、「それでもこの病院で手術をしたい」と納得していたのもあって、我慢ができました。
編集部
7カ月間待ち続けるのは不安も強かったのではないでしょうか?
A・Wさん
最初の1カ月間は毎日泣いていましたが、「7カ月後に人生を終えるとしたらやり残したことは何?」「元気な姿に戻ったときのためにどんな準備をしておこう?」と色々なテーマを掲げて、逆算で考えたり、未来に目を向けたりすることで精力的に活動できるようになりました。また、半年後に終了する事務仕事も始めて、淡々と同じ日常を過ごせるように調整しました。当時は20代で体力があったことも功を奏したのだろうと思います。
編集部
治療中や待機期間の心の支えは何でしたか?
A・Wさん
2つあります。1つ目は家族や大切な友人に話しをして、気持ちを聞いてもらったことです。がんについて周囲に話すのは自分自身勇気がいることで、聞く側も大きなショックを受けると思います。誰にどのように伝えるかは自分なりによく考えて、不安な気持ちを吐き出すことで安心していました。2つ目は不自由でも精一杯楽しく生きている人たちと出会えたことです。手術待ちの間に介護の学校へ通い、施設実習で人生の先輩たちと接したり、介護職員から学んだりした結果、考え方次第で人生は変わるのだと気づかされ、元気をもらいました。
10年経っても症状は出ているがストレスを溜めない生活を心がけている

編集部
現在の生活や体調はどのような状況でしょうか?
A・Wさん
現在、甲状腺摘出から11年目を迎えており、術後から毎日甲状腺ホルモン剤のチラーヂンを内服しながら、半年に1回の血液検査、頸部超音波検査、ほかの臓器のがん検診もおこなっています。本来なら、甲状腺を全摘出しているので薬の量も安定するはずですが、時々甲状腺ホルモンの数値が乱れるのが困ります。日常生活での症状としては、甲状腺ホルモンこそ正常範囲ですが、肌のかさつき、体の冷え(低体温)、倦怠感など甲状腺機能低下症のような症状が現在も続いています。そのため、今は子育て・温活・自宅でできる仕事を大事にして日々励んでいます。日々体を動かしてストレスを溜めないように気を付けています。
編集部
術後すぐの状況はどうでしたか?
A・Wさん
術後は副甲状腺が半分一緒になくなってしまったため、手の痺れがありました。術後1カ月ほどで副甲状腺の機能は正常化し、現在は痺れもなくなっています。
編集部
甲状腺がんについてよく知らない人、意識することなく暮らしている人に伝えたいことは何でしょうか?
A・Wさん
甲状腺がんは痛みや違和感が少ないため、発見されにくい病気と言われています。ある程度大きくなれば喉のあたりにしこりを触れるのですが、それまではほとんど無症状です。耳鼻科や内科を受診して、甲状腺に何らかの異常や精密検査を指摘された場合は、早めに専門病院を受診し、適切な診断を受けてほしいです。
編集部
これからの医療従事者に望むこと、期待することはどんなことでしょうか?
A・Wさん
患者個々の症例に合わせて、丁寧に説明してくださることを望みます。私自身は、そのおかげで医療従事者には絶大な信頼をおいて治療に臨むことができました。特に、私の主治医は「なぜこの手術方式をおこなうのか」という点について、ほかの選択肢や治療方針なども詳しく説明してくれました。情報過多の現代において、私は主治医がいたからこそ、「ここしかない」と安心して治療に専念できたと感じています。
編集部
最後に記事の読者にメッセージをお願いできますか?
A・Wさん
みなさんはがんと聞くと「余命は?」「痛くてしんどい?」「見た目の変化は?」「変わらず生活できる?」など、がんになったその日から正解のわからない悩みが次々に出てくると思います。一つひとつの疑問や不安の解決に向けて、一歩ずつでも行動していくことで気が楽になってくるのではないでしょうか。自分がどんな状態になったとしても、「ただ生きてほしい」と願う人がいるはずです。どうかがんになった自分を責めないでください。がんを人生の転機と捉え、がんと前向きに付き合っていきましょう。「仕方がない、乗り越えた先を考えよう」という気持ちで、希望を持って生きてほしいです。
編集部まとめ
甲状腺乳頭がんはある程度大きくならないと明確な症状が出にくいため、気付くまでに何年も経過することがあります。もし体調に違和感を覚える、喉のあたりのつっかえる感じ、声のかすれといった症状があるときは、早めに総合病院または専門病院を受診して検査をおこないましょう。

記事監修医師:
小柏 靖直(上福岡総合病院)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
なお、Medical DOCでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。