【闘病】バセドウ病に隠れていた「甲状腺がん」 私は体を大切にできていなかった…?(1/2ページ)

話を聞いたA・Wさん(仮称)はバセドウ病で4年間の闘病生活の末、無事に寛解しましたが、その後再発とともに初期の甲状腺乳頭がんの診断を受けることになりました。手術により、がんは切除されたものの、現在でもバセドウ病や手術の後遺症と付き合いながら過ごしているそうです。A・Wさんの甲状腺乳頭がんの体験から、検査の重要性と信頼できる医療機関を見つける大切さについて学びましょう。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年11月取材。

体験者プロフィール:
A・W(仮称)
40代女性。2008年にバセドウ病を発症し、4年間の薬物療法の末に寛解。しかし、寛解から半年後に検査をおこなった結果、バセドウ病の再発と同時に甲状腺の腫瘍を発見した。更なる検査の結果、初期の甲状腺乳頭がんと判明。バセドウ病の治療を継続しつつ、2013年に甲状腺全摘・リンパ節郭清手術をおこなった。また、手術の際、副甲状腺の半分を摘出、もう半分を右肩に埋め込んだ。現在、手術から11年が経過し、半年に一度の経過観察は継続中。日常的に甲状腺機能低下症による症状が続いている。

記事監修医師:
小柏 靖直(上福岡総合病院)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
目次 -INDEX-
安心してがんと向き合うには、納得できる医師と病院に出会うこと

編集部
はじめにA・Wさんの闘病経験を通して、読者に一番伝えたいことを教えていただけますか?
A・Wさん
これを読んでいるみなさんには、ご自身が納得できる病院や医師を見つけ、安心して治療に向き合ってほしいと願っています。治療方針などに「不安だな」と感じたときは、セカンドオピニオンを受けるのも一つの選択ですし、納得できるまで医師に質問してみるのもよいでしょう。私が抱えている甲状腺疾患は術後も薬での調整期間が長くなります。様々な判断を迫られる場面では、納得できる環境で治療を受けていることが前向きな気持ちや自信につながり、結果的に医師に安心して任せられるようになると感じています。
編集部
それでは、A・Wさんの甲状腺乳頭がんが判明した経緯について教えていただけますか?
A・Wさん
私は2008年にバセドウ病を発症し、薬物療法を4年ほど続けて寛解に至りました。その半年後、家庭の都合で引越しをすることになり、別の病院で経過観察の検査をおこなうことになりました。その病院では血液検査と超音波検査をおこなったのですが、そこでバセドウ病の再発と甲状腺の腫瘍が見つかりました。さらに詳しい検査をおこなうため、穿刺吸引細胞診とCT検査もおこなったところ、「初期の甲状腺乳頭がん」と判明したという流れです。
編集部
治療についてはどのような説明があり、具体的な治療はどんなことをおこなったのかも教えていただけますか?
A・Wさん
医師からは「超初期の乳頭がん」とのことでした。甲状腺の片側に1つだけあり、リンパ節転移もなしとのことでした。治療は甲状腺の全摘出、転移防止のためにリンパ節も取り除くと説明されました。また、バセドウ病の再発により、以前の薬が効かなくなっているという問題もあり、全摘出がベストとのことでした。治療に関しては検査後7カ月の待機期間を経て、甲状腺全摘・リンパ節郭清手術をおこないました。副甲状腺は半分を摘出、半分は前腕に埋め込むことになりました。それから10日間入院して、退院という流れでした。
編集部
病気が判明したときの心境についても教えていただけますか?
A・Wさん
腫瘍発見時に行った頸部超音波検査は、バセドウ病の治療で4年間、半年に1回受けている検査でもあったので、大きく動揺しました。それから良性か悪性かの確定診断がつくまで検査を重ねていく中で、悪性を想像し、余命や体験談などを調べるうちに、出口の見えないトンネルを進んでいるような、暗い気持ちになっていました。悪性の説明を受けたときは、「自分の体を大切にできなかったからだろうか?」とさらに落ち込みました。
編集部
甲状腺摘出後はどのような治療をおこなったのでしょうか?
A・Wさん
医師から当初受けていた説明通り、生涯にわたり甲状腺ホルモン剤を用いて、甲状腺ホルモンの数値を標準に保つことになりました。また、がんの大きさから推測すると、「おそらく5年ほど前のバセドウ病を発症した時点で、がんは存在していたであろう」とも説明されました。
手術までの7カ月間で病気に対する考え方に変化

編集部
甲状腺乳頭がんと判明した後、生活に変化はありましたか?
A・Wさん
がんによる自覚症状は全くなかったため、その点では変わりありません。甲状腺がんは種類にもよると思いますが、症状がないまま発見に至るケースが多いと聞きます。私の場合はバセドウ病の再発があり、吐き気や動悸などの症状を薬物治療で抑えるほうが辛い日々でした。さらに、人気のある病院だったため手術まで7カ月待ちだったことも、辛いといえば辛かったです。ただ、「それでもこの病院で手術をしたい」と納得していたのもあって、我慢ができました。
編集部
7カ月間待ち続けるのは不安も強かったのではないでしょうか?
A・Wさん
最初の1カ月間は毎日泣いていましたが、「7カ月後に人生を終えるとしたらやり残したことは何?」「元気な姿に戻ったときのためにどんな準備をしておこう?」と色々なテーマを掲げて、逆算で考えたり、未来に目を向けたりすることで精力的に活動できるようになりました。また、半年後に終了する事務仕事も始めて、淡々と同じ日常を過ごせるように調整しました。当時は20代で体力があったことも功を奏したのだろうと思います。
編集部
治療中や待機期間の心の支えは何でしたか?
A・Wさん
2つあります。1つ目は家族や大切な友人に話しをして、気持ちを聞いてもらったことです。がんについて周囲に話すのは自分自身勇気がいることで、聞く側も大きなショックを受けると思います。誰にどのように伝えるかは自分なりによく考えて、不安な気持ちを吐き出すことで安心していました。2つ目は不自由でも精一杯楽しく生きている人たちと出会えたことです。手術待ちの間に介護の学校へ通い、施設実習で人生の先輩たちと接したり、介護職員から学んだりした結果、考え方次第で人生は変わるのだと気づかされ、元気をもらいました。
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