【闘病】息苦しさは「心不全」の手前だった 亡き妻と楽しんだマラソンも奪われ…(1/2ページ)

医学の進歩によって、手術なしに治療できる病気も増えてきています。しかし、疾患によっては、病気そのものが治療できたとしても、生活が大きく変わってしまう場合もあります。福永さんは、心疾患「僧帽弁閉鎖不全症」の診断を受け、大好きなマラソンを諦めることになりました。福永さんが不調を感じてから診断を受けるまでや治療のこと、そして、マラソンが出来なくなった時の心境などを聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年10月取材。

体験者プロフィール:
福永 謙一
1944年釧路生まれ。65歳の時に会社の健康診断で心肥大であることを知る。日常生活に支障はなかったが、67歳頃から息苦しさを感じ、趣味のマラソンなどができなくり、大きな病院で診てもらったところ、徐脈が進行していると言われる。68歳の時に僧帽弁閉鎖不全症と診断され、心臓にペースメーカーを入れた。80歳までの12年間で手術はなく、薬で症状をコントロールしている。

記事監修医師:
大沼 善正(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
マラソンが趣味だったのに、ウォーキングで息切れが…

編集部
最初に不調や違和感に気づいたのはいつですか?
福永さん
67歳になった頃から、息苦しさを感じるようになりました。マラソンが趣味だったのに苦しくて走れなくなり、ウォーキングに変えてみたのですが、息苦しさは解消されず、医師に診ていただいたところ、「徐脈(脈がゆっくりリズムを刻むこと)が進んでいる」と言われました。安静時の脈拍が、通常であれば1分間に60回くらいのところ、私は50回以下になっていました。
編集部
そこから、診断に至るまでの経緯を教えてください。
福永さん
もともと、65歳の時に、勤務していた会社の健康診断で「心肥大がある」と言われたのですが、ひどい息苦しさなどもなかったため、「経過観察」で薬なども服用することなくマラソンを続けていました。その時に「徐脈傾向がある。脈拍が40回/分を切ったら心臓にペースメーカーを入れる必要がある」とは言われていました。そういった経緯もあり、大きな病院を紹介されて検査を受けた結果、「憎帽弁閉鎖不全症」と診断されました。
編集部
それはどんな病気なのでしょうか?
福永さん
心臓には、血液を全身に送り出すのに必要な、逆流を防止する弁が4つあるのですが、憎帽弁閉鎖不全症は、そのうちのひとつ(憎帽弁)が完全に閉じなくなり、血液を正常に送り出せなくなる病気なのだそうです。進行すると心不全になってしまうリスクのある疾患です。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
福永さん
脈拍が60を切らないよう維持するためにペースメーカーを植え込んで、その後は薬を使って治療すると言われました。ただし、薬では憎帽弁閉鎖不全症が完治するわけではないとも言われました。病状を悪化させないために、薬で状態をコントロールしていきましょうということでした。
編集部
ほかには何か言われましたか?
福永さん
憎帽弁閉鎖不全症について、主治医の先生がイラストを描いて丁寧に説明してくれたので、分かりやすかったです。「普通の生活は問題ないと思うが、早足やランニング、階段の上り下りなどは注意するように」と言われました。確かに、一人で歩く時は自分のペースなので良いのですが、誰かと一緒に歩くと息切れするようになっていました。
編集部
そのときの心境について教えてください。
福永さん
我が子が「がん」にかかって大変なのを見ておりましたので、「がんになるよりは……」と考えるようにしました。ペースメーカーを植え込むのも手術となるので不安はありましたが、「生きるためには仕方がない」と覚悟しました。
マラソンを諦めて落ち込む日々

編集部
実際の治療はどのようにすすめられましたか?
福永さん
心臓にペースメーカーを入れる手術を行いました。手術時間は1時間前後でした。その後は、慢性心不全に対して、ベリキューボやビソプロロールという薬を常用しています。さらに、僧帽弁閉鎖不全症による心不全の症状のひとつとして下半身のむくみがあるため、利尿作用のあるトルバプタン、漢方薬の五苓散(ごれいさん)を服用しています。これらのお薬を、ペースメーカーを入れてから現在まで12年続けています。
編集部
むくむと心臓に良くないのですか?
福永さん
はい。心臓に負担がかかるのだそうです。かといって水分を控えすぎてもダメで、水分のバランスには気を使っています。尿の出が悪い時にレントゲンを撮ると、心臓に水がたまって膨らんでいることがわかります。
編集部
受診から、現在に至るまで、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。
福永さん
74歳の頃、夜中にトイレに起きた時に失神したことがありました。妻が生きていた頃のことで、異変に気づいた妻が救急車を呼んでくれて、病院へ運ばれました。憎帽弁閉鎖不全症の影響と言われ、一週間安静を保つため入院となりました。
編集部
病気の前後で変化したことを教えてください。
福永さん
趣味であるマラソンを諦めました。妻と一緒にホノルルマラソンに出場したり、マラソン仲間と北海道マラソンや函館マラソン、トライアスロンなど楽しんだりしていたので、かなり落ち込みました。
編集部
どのように気持ちを切り替えたのですか?
福永さん
老人クラブや町内会の活動に参加することで気持ちを切り替えました。老人クラブの副会長として旅行を企画したり、地域の清掃や花壇に花を植える活動、ラジオ体操、運動会など積極的に参加したりするようになったのです。その中で、人と関わることの大切さに気づきました。自分一人で病気のことを考えて落ち込んでいても仕方ないと思えるようになり、楽しみができて、気持ちも明るくなりました。
編集部
生活面では変わりましたか?
福永さん
妻が2年前に亡くなり、持ち家の一軒家で一人暮らしをしていましたが、一人暮らしへの不安を覚えるようになったので、住み慣れた北斗市(函館近郊)から、娘の住む札幌市に転居し、サービス付き高齢者住宅に入居しました。サラリーマン人生で妻と2人、節約しながら貯めたお金で購入し、32年間住んでいた場所ですから愛着もあり、親しんだ地域のつながりもあって悩みましたが、現在は一人暮らしの不安も解消され、持ち家を維持管理することからも解放され、おいしい食事と温泉、やさしい人たちとの交流が楽しみとなっています。サラリーマンの年金で入居できるいい場所が見つかって良かったです。