【実物初公開】佐野慈紀「糖尿病」で手足切断。合併症で「壊死した指」とは(1/2ページ)
糖尿病は広く知られた生活習慣病の1つですが、初期症状が無く気づいたときには合併症を引き起こしていることも少なくありません。生活習慣だけでなく、遺伝や体質も関係するため健康診断での早期発見・治療が重要です。放置すると腕や足の切断、命に関わる可能性さえある病気ですが、その怖さをご存じでしょうか? 今回は糖尿病を発症し右腕の切断を経験された元プロ野球選手の佐野慈紀さんと糖尿病専門医の薗田憲司先生に、糖尿病の恐ろしさとその予防法について語っていただきました。
佐野 慈紀(元プロ野球選手)
1968年愛媛県松山市出身。愛媛県立松山商業高等学校に進学し、1986年 第68回全国高等学校野球選手権大会出場・準優勝。近畿大学工学部に進学し硬式野球部(広島六大学野球連盟加盟チーム)にて、エースとしてリーグ10連覇に貢献。最優秀投手 4回受賞。1990年ドラフト3位で近鉄バファローズ入団、その後、中日ドラゴンズ、ロサンゼルス・ドジャース(MLB)、オリックス・ブルーウェーブなどにも所属。引退後は野球解説者、評論家やタレントとして活躍する傍ら、子どもの野球教室などにも携わる。また、自身が糖尿病であることを公表し、健康管理の大切さを広める活動をSNSや講演を通じて行っている。
監修医師:
薗田 憲司(糖尿病専門医)
日本医科大学卒業後、東京臨海病院初期研修、東京都済生会中央病院勤務を経て、2023年そのだ内科 糖尿病・甲状腺クリニック渋谷駅道玄坂院を開院。高校時代、糖尿病になり苦しんでいる父親を救いたいという思いから糖尿病専門医を志す。外来診療で伝えきれないダイエットや血糖値改善のための食事や運動の方法を親しみやすい医師「血糖おじさん」としてYouTubeやInstagram、書籍、メディアを通じて広く情報発信している。日本内科学会内科認定医。日本糖尿病学会糖尿病専門医。
「糖尿病は恐ろしい」発覚時の心境と壮絶な闘病生活
薗田先生
今はどのような生活、治療をされているのですか?
佐野さん
人工透析がメインの治療で週3回の頻度で透析に通っています。腕も切断して長く入院していたので、体力回復のトレーニングとリハビリをしている生活です。
薗田先生
佐野さんがブログの中で「闘病生活をする中でボディメイクをしたい」と綴っていて、率直にすごいなと関心していました。手足を切断してからもモチベーションを前向きに保つことができる方は少ないと思います。
佐野さん
実は強がっているだけなんです。合併症で壊死した腕を切断し、包帯でぐるぐる巻きの姿を見た時に「やっぱり腕がないんだな」と思いましたが、同時に「戻れるのだったら戻りたいし、治るのだったら治したい。腕が無くなったことをどうして受け入れなければいけないのか」という思いも頭の中にありました。
壊死した指の写真
薗田先生
複雑な思いが頭の中にあったのですね。
佐野さん
色々考えているうちに「ネガティブな要素を考えるくらいなら、もう強がっておこう」と思いました。腕が生えてくるなら生やしたいですが、無理ですし、もともと強がりな性格でもあるので気持ちが切り替わり今も強がっています。
薗田先生
一番最初に糖尿病と診断されたきっかけについて教えてください。
佐野さん
現役引退から5年後の2008年頃に咳が続くことがあり、そのうち治ると思っていましたが家族に勧められて病院に行くと肺炎で入院になりました。入院中の検査で血糖値がとても高くその時に糖尿病と診断されました。
薗田先生
血糖値とHbA1cは大体どのくらいだったのですか?
佐野さん
血糖値は350mg/dLでHbA1cは11%くらいでした。
薗田先生
高いですね。糖尿病と言われた当時はどのようなお気持ちでしたか?
佐野さん
血糖値を言われたときは「やっぱりそんなに数値が上がっていたんだ」と思いました。
薗田先生
やっぱりという感じだったのですね。もしかしたら糖尿病かもしれないと思われていたのですか?
佐野さん
28歳で右肘の再建手術(トミー・ジョン手術)をした際に、血糖値が高いことを指摘されたので気をつけていました。肘の手術後、リハビリもしていたので血糖値は正常値に戻り、その後もプレーヤーとして野球をしていました。
薗田先生
引退後はいかがでしたか?
佐野さん
引退後はフリーランスで解説の仕事をしていたので、定期的な健診には全く行きませんでした。
薗田先生
自営業の方は健診にいかない方が多くいらっしゃいますよね。
佐野さん
やはりそうなのですね。現役の時は自分で摂生することで血糖値を正常値に戻すことができると思っていました。
薗田先生
プロスポーツ選手はストイックなので自分でコントロールできる人も多いと思います。28歳の時は運動量も多く、体も引き締まっているにもかかわらず血糖値は高めだと指摘を受けたのですか?
佐野さん
高いといっても血糖値は140mg/dLくらいでした。その頃、少し痩せようと思い食事療法と筋トレで体重を落としたところ、血糖値は正常に戻りました。実はもうその時に糖尿病になっていた可能性はあるのでしょうか?
薗田先生
微妙なところです。血糖値が140mg/dLという状態が空腹時だったか、適当なタイミングだったかにより診断基準が異なります。一般的な糖尿病の診断基準は①空腹時(食後10時間程度)の血糖値が126mg/dLを超えている。もしくは、適当なタイミングに測った血糖値が200を超えている。加えて②HbA1c(過去3ヵ月の血糖値の平均値を表す値)が6.5%以上。この2つを合わせて糖尿病の診断をすることが多いです。佐野さんの場合は、空腹時の血糖値が140mg/dLだとしたら、すでに糖尿病を発症していたかもしれません。
佐野さん
現役の時はシーズンオフに必ず健診をします。血糖値を指摘された後も現役生活が続いていましたが、それ以降、指摘されることは無かったので安心していました。
薗田先生
初期症状は何かありましたか?
佐野さん
特に無かったですね。
薗田先生
そうなのですね。一般的にも糖尿病は初期症状が全くないと言われています。尿が増える、喉が渇く、体重が減ってくるなどの症状が出ると言われていますが、これらの症状はかなり病状が進行してから現れます。尿が増えたり、喉が渇いたりする症状はHbA1cが8%くらいで中等度の糖尿病の症状に多く、体重が減ってくるとHbA1cが12%くらいで重症の糖尿病の状態であることが多いですね。
佐野さん
どのようにして糖尿病が発覚することが多いのですか?
薗田先生
一般的には健診で見つかる場合が多いと思います。
佐野さん
確かに喉の渇きも強く、体重もどんどん落ちてきていましたが、摂生が効いているサインだと思っていました。今考えると悪化のサインだったのですね。
薗田先生
実は、同じようなパターンの方は多く見られます。遺伝的にインスリンが出にくい方が、現役時代の体重増加で膵臓に負担がかかってしまっている場合があります。生涯に出るインスリンの量は体質や遺伝によって、ある程度決まっているという話もあります。
佐野さん
そうなのですか?
薗田先生
知らない人も多いと思います。もしかしたら、現役時代に膵臓がすごく頑張っていたのかもしれません。おそらく3000〜4000kcalくらいの食事を摂取していたのではないかと思いますが、引退後もそのような食習慣が残っていたのではないですか?
佐野さん
確かにそれは否定できません。
薗田先生
ストイックな人ほど自分でどうにかしようとしてしまいますが、遺伝や体質の影響で糖尿病になってしまう場合もあります。発覚当時、糖尿病のイメージはいかがでしたか?
佐野さん
言葉は知っていましたが、合併症で病状がひどくなる、放っておくと大変な病気になるということは、うっすら認識している程度でした。糖尿病はおじさんの病気というイメージでしたね。
薗田先生
おそらく、糖尿病の原因といえば食事や運動をあまりしていない人というイメージが強いと思いますが、意外とそうでもありません。ご両親で糖尿病の方はいらっしゃいますか?
佐野さん
当時は全然わかっていませんでしたが、産みの母親が心臓の疾患と糖尿病を患っていました。父親は健在ですが、糖尿病ではないですね。
薗田先生
実は、糖尿病は3種類に分けられます。最も多いものは2型糖尿病で、自己免疫でインスリンが出なくなってしまう1型糖尿病があります。1型と2型以外に肝臓や膵臓が元々弱かったり、がんで糖尿病を発症したりする方もいます。
佐野さん
なぜ2型糖尿病が最も多いのですか?
薗田先生
日本人の糖尿病患者の90%以上が2型糖尿病です。実は最近、生活習慣よりも年齢と遺伝の方が影響しているかもしれないという話もあります。佐野さんも、もう少し自分の体質や家族歴を知っていたら糖尿病を予防できたかもしれません。
佐野さん
もちろん僕自身もそう思います。
薗田先生
HbA1cが11%程度と言われてからの通院や治療、生活習慣はどうでしたか?
佐野さん
まず投薬治療から始まり、血糖値が下げ止まりになった頃にインスリン治療が始まりました。食生活も一般の人よりは食べていたと思いますが、体重を落とすことと無駄な夜食は控えて、飲酒もほとんどしないようにしていました。
薗田先生
糖尿病患者としてやるべきことは完全に正解です。糖尿病の治療には欠かせない内容だと思います。
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