【闘病】社会は不妊治療に厳しかった 妊娠・子育てに寛容なのに…(1/2ページ)

「社会は、妊娠や子育てには寛容なのに不妊治療には厳しかった」と話す陽子さん(仮称)。結婚してすぐに不妊治療を開始したものの、仕事との両立は思ったよりハードで途中、治療を止めようと思ったこともあったと言います。現在は女の子のワーママとして仕事、育児、家事を両立させる日々ですが、改めて不妊治療中のことを振り返ってもらいました。社会の厳しさを感じた理由とは?
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年7月取材。
目次 -INDEX-

体験者プロフィール:
陽子さん(仮称)
東京都在住の40代女性。2018年の結婚を機に婦人科で検査をして、AMHが低いことから不妊治療を開始。タイミング法、人工授精を経て、2020年に体外受精で妊娠・出産。現在、2歳児を育てるワーキングマザー。

記事監修医師:
浅野 智子(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
20代の頃に子宮内膜症と診断。ずっと「できにくい体質」に悩んでいた

編集部
不妊症が発覚したときの経緯について教えてください。
陽子さん
もともと若い頃から生理痛がひどく、20代の時に婦人科を受診したところ子宮内膜症と診断されました。そのとき、「将来妊娠できないわけではないけれど、しづらいかもしれない」と医師に言われたので、昔からなんとなく「不妊症かもしれない」という考えはありました。
編集部
その後、結婚されたのですね。
陽子さん
はい。2018年35歳のときに結婚しました。その時も子宮内膜症の治療で婦人科に通院していたのですが、若い頃、「妊娠しづらいかもしれない」と言われたことが気になり、結婚と同時に不妊検査をしてもらったのです。そうしたら、AMH(卵巣の中の卵の数を示す数値)が低いことがわかりました。
編集部
それで、不妊治療を始めようと思ったのですね。
陽子さん
はい。当時通院していたのは近所にある産婦人科だったので、不妊治療を専門にしたクリニックに転院しました。たまたま友達で、体外受精から出産した子がいたので、いろいろ教えてもらったり、病院の説明会に出かけたりして転院先を決めました。
編集部
治療を始めるにあたり、旦那さんはなんとおっしゃいましたか?
陽子さん
特に、なにも(笑)。協力的ではあったけれど、「何がなんでも子どもがほしい」という感じではなく、「もし授かれなかったら、二人の生活を楽しむのもいいよね」と話していました。
人工授精を経て体外受精。途中で治療をやめようかと悩んだものの…

編集部
不妊治療はどのような方法で進めましたか?
陽子さん
転院先を探す間、とりあえずタイミング法を試しました。その後、同じ沿線にある不妊治療専門の病院に転院し、人工授精を開始しました。しかし、もともとAMHが低かったので、先生にも「人工授精はあまり意味がないかもしれない」と言われていたこともあって、2回くらいでやめました。
編集部
その後、体外受精に進むのですね。
陽子さん
はい。人工授精から体外受精へ変更するタイミングで、また転院しました。
編集部
治療を開始して大変だと感じたことはなんですか?
陽子さん
病院を選ぶ際にあまりデータが開示されておらず、周囲に不妊治療をしている友達もほとんどいなかったので、転院先を選ぶのに本当に困りました。特に私はAMHが低いと言われていたので、自分のようなタイプに合う病院はどこなのか、探すのが難しかったです。
編集部
治療中、仕事も続けていたのですか?
陽子さん
はい。当時、私は会社とお客さんの仲介をする職種についていました。社内だけで完結する部署なら、上司など社内の人に不妊治療のことを打ち明ければ融通を利かせてもらえたかもしれませんが、お客さんも関わってくる仕事だったので、仕事の調整は大変でした。
編集部
それはご苦労されましたね。
陽子さん
加えて、当時は社員数も少なく、限られたメンバーで仕事をこなさなければならなかったため、結果的に上司に迷惑をかけてしまうことも少なくありませんでした。特に不妊治療は終わりが見えず、いつまで続くかわからない治療なので、仕事と治療の両立では本当に悩みました。
編集部
不妊治療をやめたいと思ったことはありませんでしたか?
陽子さん
あります。AMHが低かった私は、採卵をするための卵巣刺激法で高刺激を選んでも意味がないのではと思い、最初は低刺激の治療をしました。確かに低刺激は体への負担が少なかったのですが、薬でコントロールできない分、通院回数が多くなり、また、1度に卵子が1〜2個しか採取できず、トータルで治療期間が長くなる可能性もありました。さらに低刺激の場合、採卵が上手くいかないと何度も繰り返す必要があるのですが、私も2回採卵したけれど、結局ダメ。当時、仕事との調整も大変でストレスも大きく、「もうここで治療をやめてしまおうか」と悩みました。
編集部
なぜ、その後も治療を続けようと思ったのですか?
陽子さん
年に数回、無料で婦人科の先生とお話しできる機会があり、それに参加してみたところ、経緯を聞いた先生から「高刺激の方が合っているんじゃないか」と言われました。欧米諸国では不妊治療に保険が適用されるところも多く、体外受精の場合は基本的に高刺激で行われることが多いということも本で読み、「受けるのもいいのでは?」と思い始め、高刺激の治療を行っている医療機関を探しました。
編集部
そこで高刺激の治療をして、妊娠されるのですね。
陽子さん
はい。2019年12月に転院し、はじめは注射で刺激していたのですが、あまり卵が育っていないといわれ、1回目は見送り。翌月、もう1回チャレンジしたらその時はうまくいったので採卵し、体外受精。その結果、妊娠に至りました。
編集部
不妊治療を始めて1年半。振り返って、長かったですか? それともあっという間でしたか?
陽子さん
私にとっては長かったです。はじめ、不妊治療を開始したときは、「子どもができなくても、30代で終わりにしよう」と考えていました。体外受精がどれだけ大変かは、体験した友達から聞いていましたし、30代後半と40代の妊娠率を比較し、「やはり30代じゃないと難しいのかな」という想いもあったので。
編集部
治療中、支えになったことはなんですか?
陽子さん
同じ時期に不妊治療をしている友達がおらず、悩みを話す相手もいなかったのですが、不妊治療のイベントに参加したとき、たまたま仲間ができて、みんなでグループラインを作って情報を共有しました。コロナ前だったこともあり、不妊治療を経験している人が主催する座談会に参加したり、治療仲間とお茶をしたりしたこともあります。不妊治療の悩み事を話せる仲間がいてくれたのが、心の支えになりました。
編集部
治療の前後で夫婦関係に変化はありましたか?
陽子さん
いいえ、特にありません。治療中、ストレスが溜まってどうしようもなかったときなど、夫は「そんなに辛いなら、無理しなくていいよ。もう治療をやめれば?」と言うこともありました。正直なところ、私と夫の間に温度差を感じることもありましたが、不妊治療を経て、お互いぶっちゃけてなんでも話せるようになったのは良かったと思います。


