【闘病】あのとき詳しく検査していれば… 特発性血小板減少性紫斑病と全身性エリテマトーデスを発症して(1/2ページ)

会社の健康診断の血液検査で「変な結果」と指摘を受けたDonさん(仮称)。その場は「まれにある」こととして、互いに目をつぶることになったといいます。しかし、健康診断の半年後に病気が発覚しました。特発性血小板減少性紫斑病と全身性エリテマトーデスと診断されるまでの過程や現在も続く闘病生活について話を聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年7月取材。

体験者プロフィール:
Donさん(仮称)
1981年生まれ、大阪府在住。2010年、29歳の時に特発性血小板減少性紫斑病と診断される。その後、全身性エリテマトーデスも見つかった。難病と戦い、共存しながら10年の歳月をかけて妊娠出産も経験。

記事監修医師:
副島 裕太郎(横浜市立大学医学部血液・免疫・感染症内科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
自覚症状は全くなかった

編集部
最初に不調や違和感を覚えたのはいつですか?
Donさん
不調や違和感といった自覚症状は全くありませんでした。私の場合は、不妊治療を始めてすぐの頃、血液検査で「血小板減少性紫斑病が見つかった」とのことで、「血液内科を受診するように」と紹介状をいただいたのが始まりです。
編集部
受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。
Donさん
その血液内科で、月1回の検診を1年ほど続けていましたが、少し指の関節痛が出てきたので、軽い気持ちで主治医に話しました。その時主治医の顔色が変わり、いつもと違う項目で血液検査をすることになり、そこで『膠原病』だと言われました。膠原病を扱う近くの病院をいくつか紹介していただきました。
編集部
膠原病はどんな病気なのでしょうか?
Donさん
自己免疫疾患といって、悪い病原菌などをやっつけるための免疫が、自分の体の中の良いところも攻撃してしまう病気で、全身性エリテマトーデスという病名の膠原病と言われました。その名の通り、「全身性」なので、どこから何が起こってもおかしくない病気です。特にストレスを抱えるのが良くないみたいで、ストレスにより、数値が下がり悪化することが多いです。あとは日光過敏もあるので、日光に当たりすぎると体調を崩すこともあります。
崖っぷちにあるゴルフボール

編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
Donさん
現在、完治させる薬はないので、ステロイドと免疫抑制剤とを併用して治療しています。ステロイドは量を調節しながらですね。見つかった当初は、「非常に危険な状態」と言われ、即入院になりました。
編集部
そのときの心境について教えてください。
Donさん
「えっ?」って感じでした。これまではとくに目立った症状もなかったですし、私自身は元気だったので、いきなりすぎて状況を飲み込めませんでした。不安で涙が出てきました。
編集部
実際の治療はどのように進められましたか?
Donさん
先述のとおり、ステロイド薬や免疫抑制剤などで治療を開始しました。
編集部
治療や闘病生活はどうでしたか?
Donさん
入院というものが、こんなに辛いものだとは思わなかったです。初めの入院は2週間くらいで、あまりに辛くて半ば無理やり退院させてもらった感じでした。私は元々気を使いすぎる性格なので、看護師さんにも気を使うし、お風呂も毎日入れないし、自宅で過ごせないのが苦痛でした。2週間でもこんな感じだったのに、病気が悪化してしまい、最長3ヶ月入院していたこともありました。
編集部
病気の前後で変化したことを教えてください。
Donさん
用量にもよりますが、ステロイド剤を服用すると、まずムーンフェイスといって顔に肉がついてパンパンな丸顔になります。その次に、個人差はありますが野牛肩になり体がごつくなります。あと、私の場合は毛深くなりました。人によっては逆に髪の毛などが抜けてしまう方もいるみたいです。とにかく見た目がどんどん変わってきます。こういった症状は薬の副作用だとは思われず、ただ太ったとかと捉えられることが多く、私も本当に辛かったです。容姿が理由かはわかりませんが、「離れていったなぁ」と思う友達もいます。子どもが欲しかったのに、薬を服用しているため、なかなか妊活もできない状態が続き、それもストレスでした。「周りはどんどん産んでいくのに」と周りと自分を比べて落ち込みました。子どもも連れてくるような集まりにはどんどん顔を出さなくなってしまいました。あの頃は本当に辛かったです。