【闘病】今では全身に転移。希少がん「脱分化型脂肪肉腫」と暮らす大変さ
脱分化型脂肪肉腫という病名を知っていますか? 「同じ病気の人に会うことが少なく、治療法もほかの病気ほど沢山はない」と語るのは、そんな稀ながんを患っている優子さん(仮称)。脱分化型脂肪肉腫とは果たして、どんな病気でどのような治療をおこなっているのでしょうか? 本人に直撃しました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年4月取材。
体験者プロフィール:
優子さん(仮称)
40歳。配偶者と2人暮らし。病気が発覚したときは、医療事務の仕事に就いていた。2015年に病院を受診し、CT、MRI、PET検査などを受けた結果「脱分化型脂肪肉腫」と診断された。
記事監修医師:
川島 峻(新宿アイランド内科クリニック院長)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
脱分化型脂肪肉腫の発見まで
編集部
いつ病気が判明したのですか?
優子さん
2015年に、職場の健康診断を受けたことがきっかけで発覚しました。健康診断の結果、医師から突然連絡があり、急いで検査を受けるようにと告げられました。そして翌週、CT検査をうけたところ、「左肺の背中側に15cmほどの大きさの腫瘍があります。悪性のようですが、どのような病気かは判別できていません」と診断結果を伝えられました。
編集部
その段階では、まだ病名ははっきりしていないのですね?
優子さん
はい。そこで翌日に造影剤を使ったMRIを受けましたが、それでもわからなかったので、大きな病院の受診を勧められ、1週間後に受診できるように手配してもらいました。ですが、結局紹介された大きな病院の呼吸器外科を受診しても、「病変の特定ができない」と言われました。
編集部
どのように病名の診断がついたのでしょうか?
優子さん
普通なら腫瘍に針をさして調べるそうですが、場所が肋骨の中なので検査も簡単ではなく、検査と手術を一緒に行うことになりました。「腫瘍がとても大きいし、私の年齢も若いことから、早めに実施したほうが良いでしょう」との説明がありました。病名が分からないことにとても不安を感じていたので、手術を受ける決断をしました。組織診断は3週間ほどかかると聞いていたのですが、退院しても、抜糸が済んでも検査結果はなかなか出てきませんでしたね。
編集部
そこまでしても、直ぐにはわからなかったのですね。
優子さん
はい。ただ、悪性であることは確定していたので、働かずに休職して待ちました。結局、手術後2か月が経過したころに、脱分化型脂肪肉腫の診断を受けました。その時、追加治療の説明も受けました。呼吸器では専門外の病気なので、化学療法科で引き続き治療を行う必要があると言われました。
編集部
脱分化型脂肪肉腫とはどのような病気なのですか?
優子さん
皮下組織や筋肉などから発生する悪性腫瘍です。悪性度は高いそうで、転移が起きることも多いがんです。
編集部
化学療法科では治療について、どのような説明がありましたか?
優子さん
抗がん剤の必要性なども時間をかけて説明してくれました。治療は私が働いている病院でも受けられるし、脂肪肉腫の治療の専門病院への紹介も可能。そのまま、そこの病院で治療も可能と、選択肢も与えてくれました。
編集部
入念に説明があったのですね。
優子さん
結局、そのまま手術をした病院で治療を続けることにしました。術後はしばらく何もしていませんでしたが、7ヶ月経った時点から化学療法を5クール行うことを目標に、休職したまま治療を開始しました。
編集部
化学療法について教えて下さい。
優子さん
アドリアマイシンとイホスファミドという2種類の抗がん剤を使って治療しました。6日間点滴し、3週間開けて同じ点滴を受けるということを、3~5回実施すると説明されました。結局、化学療法を終えるまでに7か月かかりました。
編集部
化学療法で副作用はありましたか?
優子さん
治療中は背もたれがないと座っていられないほどしんどかったです。30分歩くと足の裏が真っ赤になって腫れたり、皮がむけたりました。脱毛が治療後10日たったくらいから始まり、1週間もたたずにほぼすべて抜けました。あと、食事の味がよく分からなくなり塩や梅干しを好んでよくたべました。治療後にも、仕事に復帰できるまでの体力になかなか戻りませんでした。
病気が判明してからの気持ちの変化
編集部
病気が判明するまでに大変だったことは何でしたか?
優子さん
ある日突然、面識のない医師から病院を受診するようにと電話があり、そこから手術まで毎日がとても早く進んでいきました。毎日検査や診察のために病院を受診し、それでも検査結果が出ないことが、精神的につらかったです。仕事復帰、治療のお金への不安、世間から取り残されているような感覚が強くありました。誰に相談してよいのかも分かりませんでしたね。ある程度の状況がみえるまでは、親にも言えませんでした。
編集部
発症後の生活の変化について教えて下さい。
優子さん
化学療法は終了しましたが、この体調で親元を離れて一人暮らしする自信もなく、医療事務の仕事を再開することもできず、勤めていた病院はそのまま退職することにしました。もともとアウトドア派でしたが、外出することが極端に減り、外出したいとも思わなくなりました。外出した後は4~5日疲れが残ります。
編集部
経済的には困っていませんか?
優子さん
とても不安でしたが、ありがたいことに傷病手当の申請を勤めていた会社の方から教えていただき、1年半は傷病手当で経済的に助かりました。会社を退職したことにより、失業保険も降りました。
再発と全身転移で入退院の繰り返す日々
編集部
現在の様子はどうですか?
優子さん
初回の治療から2年弱経過観察の時期がありましたが、その間に、仕事を再開できました。仕事を見つけるのも、一苦労でしたね。病気の事、治療が必要なことを面接で伝えると、なかなか採用には至りませんでした。やっと決まったのが、派遣での事務の仕事でしたが、今では正社員になりました。
編集部
就職活動が大変だったのはどういうところに理由があったのでしょうか?
優子さん
おそらく治療で休みが多くなることを理由に落とされたのだと思っています。二人に一人ががんになる時代です。これからは、働きながら治療ができる社会になってほしいです。
編集部
再発があったと聞きましたが、詳しく教えてもらえますか?
優子さん
2019年から右脇の下の皮膚に再発しました。摘出術を受け、働きながら治療を行っていました。職場にも理解を得られ、仕事と通院、時には放射線治療のための入退院を繰り返しながら治療継続中です。仕事を抜けることがよくあるのですが、治療に協力的な会社に勤務できています。
編集部
その後再発は続いているのですか?
優子さん
今では脳や心臓など、全身に転移しています。摘出術も何度も受けており、全身に10個の創部があります。筋移植もしました。今は入院して心臓の腫瘍に放射線治療を受けています。
編集部
これまでの治療中の心の支えはなんですか?
優子さん
両親や当時飼っていた犬に癒されました。私より医療知識のあるナースや医師からのアドバイスにも感謝しています。今は夫や友人も私の話を聞いてくれてありがたいです。
編集部
あなたの病気を意識していない人に言いたいことはありますか。
優子さん
希少がんといわれる聞きなれない病気があることを知ってほしいです。肉腫といっても多種多様で、治療も経過もそれぞれ違っています。診断までに病院を転々とせねばならず、病名の確定までに時間も要し、専門医にたどりつくまでにも時間がかかる。そういう現実があります。治療を開始しても、ほかの病気と比べて使用できる薬剤が限られている中で、病気と闘っている人がいることを知ってほしいです。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
優子さん
治療していただいている方々の尽力にはとても感謝しています。脱分化型脂肪肉腫の病名を知らない医療従事者もいるようでしたので、もっと沢山の医療従事者にこの病気を知ってほしいですね。また、協力病院や地域クリニックなどのかかりつけ医との連携を強化してもらい、患者が仕事を休まずにできる治療を受けられる環境が作られることを期待しています。
編集部
最後に読者に向けてのメッセージをお願いします。
優子さん
私のような治療をしている人が、意外と少なくないことを知ってほしいです。再発を繰り返す病気なので、私は一生治療を続けていかなければなりません。働き方改革と言われていますが、病気持ちの人には、まだまだ働きにくい環境であると言わざるを得ません。就職の壁はとても高いです。また、医療従事者の横の繋がりを強くして、情報交換が密になれば良いと感じました。
編集部まとめ
取材時、優子さんは放射線治療で入院されていました。理解のある職場環境の様で、仕事の事は心配せずに治療を受けていました。病気を持ちながら仕事ができない事への不安、仕事を探さないといけない苦労がありました。就職しても仕事を抜けなければならないストレスもあります。継続して治療をしていかないといけないすべての闘病者さんの職場環境が良くなる事を願います。