【闘病】なんで私が? 2度の「膵がん」で全摘出を経験して…
「昨日の娘には二度と会えない」。娘とともに生きられる幸せをかみしめ、日々娘の成長を記録することを楽しみにしているのは、ともこさん(仮称)。膵がんを2度経験し、手術と抗がん剤治療を乗り越えてきました。膵がんは2019年に女性の死亡数では3位のがんであり、発見が送れると命に関わる危険な病です。膵がんをきっかけに人生が大きく変化したものの、今は愛する娘との幸せな日々を過ごすともこさん。ともこさんのお話から、今を全力で生きる意味と誰かに頼る大切さを学んでいきます。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年12月取材。
体験者プロフィール:
ともこさん(仮称)
1977年生まれの女性。母・兄・娘の4人と暮らす。父は65歳で膵がんにて亡くなっている。2011年7月頃から腹痛を発症し、緊急入院。12月ごろに手術を行い、膵がんが発覚。抗がん剤治療を行い経過観察していたが、2018年6月に再び膵がんが発覚し、膵臓を全摘出した。現在はインスリンを使用しながら、幼い娘の成長を日々見守る優しいお母さん。
記事監修医師:
梅村 将成
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
始まりは激しい腹痛から
編集部
まず膵がんとはどのような病気でしょうか?
ともこさん
膵臓は人の血糖値をコントロールしている臓器です。インスリンで血糖値を下げ、グルカゴンで血糖値を上げて常に血糖値を安定させるように働いています。私の罹患した膵がんは、がん罹患者全体で見た3~4%を占めているようです。初期のうちは症状がほとんどなく、早期発見が極めて難しいがんです。
編集部
進行するとどのような症状があるのでしょうか?
ともこさん
よく現れるのが腹痛で、ほかにも黄疸(おうだん/白眼や皮膚が黄色くなる)や腰背部痛なども現れます。膵がんは、発生する場所によって症状は異なっていて、私の場合、膵体部から膵尾部にかけてのがんのため、腹痛が主な症状でした。膵頭部の場合は、黄疸が出ることがあるそうです。
編集部
2度の膵がんを経験したそうですが、それぞれどのような症状があり、どのように発覚したのでしょうか。
ともこさん
最初は腹痛から始まって緊急入院しました。急性膵炎の診断でしたが、内科的な治療は困難とのことで転院して、膵臓の一部と大腸を切除する手術をすることになったのです。その後、病理検査で膵がんと判明しました。抗がん剤治療も行いました。
編集部
2度目はどうでしたか?
ともこさん
2度目の時は、定期検査で「膵管拡張の疑い」ということで、精密検査をした結果、膵がんであるとわかったのです。この時は手術で膵臓の全摘出を受け、再び抗がん剤治療を行いました。それからはインスリンポンプという、膵臓の代わりにインスリンを投与する機器を使用して過ごしています。
編集部
膵がんの手術後は食事にも制限が加わったと聞きました。
ともこさん
重要なポイントとして、「膵臓に負担をかけないこと」が大事と医師から教わりました。特に注意したのが「脂質の制限」です。膵臓はリパーゼという脂質を消化する酵素を分泌するため、脂質が多い食事を摂ると、それだけ膵臓にも負担がかかります。食事には気を使いましたね。
子どもを諦める後悔と人生の転機
編集部
初めて膵がんと診断されて以降、ともこさんの環境に変化があったそうですね。
ともこさん
34歳の時(1度目)に膵がんを発症して手術もしたのですが、その後、一念発起して自ら起業し、今も日々頑張って働いています。不安なことはありますが、日々を過ごす中で「自分に配られたカードで生きるしかない」と思って全力で生きています。
編集部
娘さんを出産したそうですね。
ともこさん
初めてがんを発症して、抗がん剤治療をすることが決まったときは卵子凍結をしなかったことを後悔しました。そのときは「子どもは諦めるしかない」と思いました。しかし、その後一度流産を経験しましたが、のちに娘が生まれて、今では幸せな日々を送れています。
編集部
1度目と2度目では状況も大きく変わっていますが、ともこさんの心境にも変化はありましたか?
ともこさん
1度目の膵臓に異常があるとわかったときは、とにかく「なんだかわからないけど怖い」という想いが一番でした。手術の後にがんと分かって、「なんで私が?」という想いが強かったです。2度目の時は、娘が生まれていました。当時1歳だった娘を残して「まだ死ねない」という想いと、「娘の成長を見られないかもしれない」という不安がせめぎあっていました。実は1度目の膵がん手術の数か月後に実父も膵がんとわかり、一緒に闘病したのですが、父は亡くなったのです。そういう背景もあって余計に不安はありました。
編集部
治療は大変だったと想像できますが、心の支えになったものはなんでしょうか?
ともこさん
色々ありますが、家族と友人の支えがとても大きかったです。兄は私の体調を気づかって「ともこと代わってやれないから」と、大好きだったたばこをやめました。幼馴染はがんであることを伝えてから、毎日お見舞いに来てくれましたし、辛いときには夜中であっても助けに来てくれました。また、SNSでも多くの方が応援してもらい、温かいメッセージを送ってくれたことが心の支えでした。
今を全力で生きること、身体のサインを見落とさないこと
編集部
現在の体調や生活の様子はどのようなものですか?
ともこさん
以前に比べるとどうしても疲れやすさは感じますし、身体の至るところがつりやすくなっています。定期的に受診はしていますが、予期せず胆管炎を発症することもあって、安定しているとは言えません。特に夕方以降は体調不良と疲労の蓄積で動くのが辛いです。
編集部
インスリンポンプの管理もしながらの生活はいかがでしょうか?
ともこさん
今でも仕事をしているので、低血糖を起こしたり、消化不良で腹痛を起こしたりすることもあって、対応は大変です。膵臓がないので、本来分泌されるはずのインスリン、グルカゴン、リパーゼなどの消化酵素が出ず、その管理もとても大変です。
編集部
闘病生活を送る中で、ご自身の考え方などに変化はありましたか?
ともこさん
私と同じく膵がんで、一緒に闘病していた父は「与えられた命を笑顔で生きていくしかない」と、私に死を受け入れ、恐怖を乗り越える瞬間を見せてくれました。そこで、「今を全力で生きる」と考えるようになりました。また、親友からは「乗り越えられない壁はない、というけど乗り越えるだけが手段じゃない。壁の向こう側に行くチャンスを見逃さないことが大事」と言われ、私の中で大事にしている言葉です。
編集部
最後に読者へのメッセージをお願いします。
ともこさん
月並みな言葉になってしまいますが、膵臓は沈黙の臓器と言われます。でも、私が体験したように、必ず体からのサインはあります。それを見落とさないようにしてほしいです。そして「頼れる人がいるなら頼っていいよ」と、差し出された手をためらわずに掴んでください。私は「がんになって良かった」とは今でも思えませんし、失ったものの大きさは表現できません。ですが、小さくても多くのものを得たと思っています。病気にならないことが一番ですが、サインを見落とさないように気を付けてください。
編集部まとめ
2度にわたる膵がんを乗り越え、娘や家族とともに今を全力で生きているともこさん。病気の発症があっても新たなことへ挑戦し、立ち向かっていく姿は多くの人に力を与えてくれるはずです。膵がんで亡くなった方は2019年のデータでは3万6356人。早期発見が難しく、診断が遅れれば命にも関わる病です。定期的なエコー検査やCT検査を行えば、異変の早期発見にも繋がります。日頃から健康を意識し、定期的な検査を受けてみてください。