【闘病】出来たことが出来なくなっていく息子。原因不明の「ジストニア」
息子の脩也さんに降り掛かった原因不明の病「ジストニア」。今回は闘病者の母親の照代さんに、息子の病気についての話を聞きました。照代さんは徐々に進行する息子の身体状況の悪化を、現在もそばで介護し続けています。過酷な介護の状況と、病気の進行状況について詳しく教えてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年12月取材。
話者プロフィール:
槙原 照代(写真右)
大阪市在住。息子の脩也さん(闘病者、1997年生まれ/写真左)と2人暮らし(長女が2010年に病気で他界)。脩也さんは幼少期にストレスが原因と思われる発語困難となり、徐々に身体の動きにも制限がかかっていった。初期に症状が出てから、4年程は病名不明だったがさまざまな病院を回り、6歳のときにジストニアと診断される。
記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
母の入院を機に言葉が出なくなった幼少期
編集部
ジストニアとはどのような病気ですか?
照代さん
ジストニアは運動障害の一つで、筋緊張がおこり、さまざまな部位に異常や不随意運動がでます。症状の出方は、部分的に出る場合もありますが、全身に現れる場合もあります。またパーキンソニズムを伴うものもあります。
編集部
脩也さんの病気が判明した経緯について教えてください。
照代さん
2000年、脩也が2歳7か月の時に、私はがんの手術で1か月半入院することになりました。急に母親がいなくなったことによるストレスなのか、それまで話せていた単語が全く話せなくなったのです。3歳児健診でも、言葉の部分でひっかかりました。
編集部
病院には行かれていたのですか?
照代さん
小児言語外来や小児神経科にも通院しましたが、言葉が出ないまま、2001年に療育手帳を交付されました。2002年1月に保育園でお遊戯会の練習をしていましたが、ストレスで口が開いたまま閉じなくなりました。ご飯も食べられなくなり、2002年2月末から1か月入院。たくさんの検査を受けましたが、結局原因はわかりませんでした。退院時は刻み食と流動食になっていました。
編集部
いつ病名がわかったのですか?
照代さん
2002年4月からは、保育園を辞め、知的障がい児の園に通うようにしました。そうしたら、ストレスも無くなり、ご飯も以前のように1人で普通の食事を食べるようになったのです。2003年3月には、2歳年上の脩也の姉が、同じ症状で口が開いたまま閉じられなくなり、入院しました。そこで「ジストニア」の診断を受けたので、脩也も同じ症状があったため調べてもらったところ、6歳のときに同じ病気・ジストニアと診断されました。
ジストニアの症状は徐々に進行する
編集部
脩也さんの病気が判明したときの心境について教えてください。
照代さん
「ジストニア」という名前は初めて聞いたので、とても戸惑いました。意味が分からず、どうしていけば良いのか困惑しました。痛みで苦しんでるのを和らげてあげる薬もなく、ただ見ていることだけしかできずに辛かったです。
編集部
ジストニアの症状は一部軽減することもあると聞きましたが、脩也さんはどうでしたか?
照代さん
姉の病気が進行して、2004年から長期入院することになりました。私が付きっきりの状態だったので、脩也は祖父母に見てもらっていました。これが更にストレスになったのか、精神不安定になってしまいました。2007年2月(9歳)頃から、歩行が困難になり、転倒が増えたので、同年8月(10歳)から脩也は車椅子を利用することになりました。
編集部
徐々に症状は悪化していったのですか?
照代さん
精神不安定から自傷行為や頻尿、よだれ、口が閉じられない症状も出だし、身体が右に傾くようになりました。やがて、娘と脩也が一緒に入院し、薬もいろいろ試してもらいましたが、なかなか良い結果はでなかったですね。2009年にジストニア専門外来を見つけましたが、結局ハッキリとした治療策はわからないままでした。2010年6月に私のがんが再発し、入院することになりました。それを機に、また脩也の症状は進行してしまったのです。
編集部
進行して、どのような状態になったのでしょうか?
照代さん
それまでは、言葉が発せない代わりに、携帯補助会話装置や文字盤で意思表示をしていたのですが、右手も動かなくなってしまい、それもできなくなりました。意思表示ができなくなった分、さらにストレスが溜まり、腸閉塞で緊急入院となりました。
楽しみを見つけキセキ的な回復
編集部
脩也さんはサッカーが好きで、それで良い影響があったそうですね。
照代さん
はい。小学校1年生の時は、サッカースクールに入り元気に走り回っていました。それも今は難しくなりましたが、15歳の時に、地元セレッソ大阪の試合を見に行く機会がありました。サッカー観戦にすごく刺激を受け、楽しみを見つけたようでした。表情が明るくなり、目に見えて元気になったのです。その頃、少し前に娘が亡くなっていて、一番苦しい時期だったので、楽しみが見つけられたのは本人にとっても良かったです。
編集部
それからの脩也さんの体調はどうなったのですか?
照代さん
2016年6月の朝、脩也の顔が真っ白で、目の焦点も合わず病院で検査を受けましたが、異常は見つけられませんでした。夜、眠っているときに低酸素状態になるようで、その度に私が起こすという生活を今も続けています。
編集部
気がぬけない状態ですね。
照代さん
2021年8月、起きてる間にも低酸素状態が続き、右半身麻痺になりました。もう自分で立つ事も動くこともできず、携帯補助会話装置で会話する事もできなくなってしまいました。でも「またサッカーがしたい」「またサッカー観戦を楽しみたい」という気持ちがあったからか、3か月リハビリを頑張ると、奇跡的に麻痺になる前の状態にまで戻りました。
編集部
それはすごいですね。
照代さん
進行性の難病のため、出来ていたことが出来なくなり、いろんな症状も現れます。でも、その都度向き合って、治療法がないのなら、別の方法を試行錯誤していくしかないと思います。ただ、夢中になれる楽しみを見つけられるだけで、こんなに人間は変わるのかと、つくづく実感しました。
編集部
現在の様子はいかがでしょうか?
照代さん
今は左目が全く見えなくなりました。残る右目もかなり視力は落ちて、いずれは失明するかも知れないと医師から言われています。脳に溜った物質(原因不明)が大きくなると目の神経や、ほかの神経を圧迫してしまうことで、目が見えなくなるなどの症状が起こるようです。
編集部
原因不明の物質ですか?
照代さん
はい。何の物質かが分かると、治療法もあるようですが、わからないので取り除きようがないようです。腫瘍ではないので、手術して取り除く訳にもいかず……。もっと医学が進んで、何か治療法が見つかる日を待っている状態です。
編集部
同じ病気で悩んでいる方に伝えることはありますか?
照代さん
ジストニアの特徴でもある、口が閉じられなくなった時は、マウスピースを使うと改善されることがあります。また、ジストニアは「感覚スイッチ」がどこかにあるので、感覚スイッチを見つけてあげると改善する場合があります。感覚スイッチはずっと同じではなく、コロコロ変わって行くので、都度見つけてあげないといけません。そうすることで、少しでも症状が楽になるかと長年の介護経験から思います。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
照代さん
全国の有名と言われるあらゆる病院を回りました。ほんとうに親身になって治療を見つけようとして下さった医療従事者の方々もいれば、あっさり「治療法はない。分からない」と帰らされる医療機関もありました。病気の人が頼れるのはお医者さんだけです。病名も治療方法がなくても、困っている事をじっくり聞いてあげるだけで、とても良い治療だと思います。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
照代さん
身近に病気や障がいの人がいないと、想像がつかないと思いますが、思い遣りの気持ちや優しく声をかける勇気を持ってもらえると嬉しいです。今後、そういった人を見かけたら、少しでも手助けや声かけの出来る人が1人でも多く増えて欲しいなと願っています。
編集部まとめ
照代さんは、ご自身の介護経験を通して同じように悩む人の手助けをしたいとインタビューに応じてくれました。現在、ジストニアは、根治的治療はまだ確立されてないため、対症療法がほとんどです。照代さんは「治療法がなくても、生きる希望と頑張る気持ち楽しみを捨てない限りは乗り越えられそうな気がします」と話されていました。早く、治療法が見つかると安心できますね。