【体験記】直腸がんで余命宣告。難病の息子を看病しながらの闘病生活
直腸がんを含む大腸がんは増加傾向にあるがんの一つです。死亡数は半世紀で約10倍に増えました。直腸がんは日本人に多く、大腸がんのうち約40%を占めています。2000年に直腸がんの診断を受けてから20年以上にわたる闘病を経験しながら、難病を抱える息子(下記記事)の介護もしている槙原さんに、これまでの体験について詳しい話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年12月取材。
体験者プロフィール:
槇原 照代
大阪市在住、1969年生まれ。娘を15歳で亡くし、現在は難病を抱えた息子(24歳)と2人暮らし。2000年1月に直腸がんの診断を受けるも、満足な治療を受けられないまま、子どもたちの治療や介護に奮闘してきた。現在も、息子の看病で夜間ゆっくり休めない日々が続いている。
記事監修医師:
梅村 将成
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
1年以上の予兆があった直腸がん
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
槇原さん
1997年6月に出産し、翌月あたりから血便も続いたため、出産した同じ総合病院を受診しました。便検査を3回おこない、3回とも出血が確認されました。その後、9月17日にCT検査、9月25日に大腸カメラをしましたが、「出産後によくある痔でしょう」と医師に言われました。
編集部
その後どうなりましたか?
槇原さん
7月から毎日血便は続いていましたが、子育てがあったのであまり気にせず過ごしていました。ですが、1年4ヶ月後には体重が38kgに減り、血便もずっと続いていて、さすがに「これは痔ではないのかも?」と疑問を抱き、2000年1月25日に再度受診しました。指診ですぐにがんの可能性があると言われ、急いで検査を受けるよう勧められました。
編集部
どのような検査を受けたのですか?
槇原さん
1月31日に大腸カメラ検査をして、がんの可能性が高いと言われました。組織診の結果、2月3日に進行性の直腸がんだと説明され、早急に手術を受けるように言われました。リンパ節にも転移していたことから、ステージIII~IVの間で、末期寸前であると言われました。ショックであまり記憶が鮮明ではありませんが、余命3年の可能性もあるとのことでした。
編集部
手術はどうなりましたか?
槇原さん
2月18日に行いました。9時間に及ぶ大手術だったそうです。夜中、麻酔から覚めると下半身がまったく動かず、ナースコールで看護師さんに伝えると、慌ただしくドクター達が駆け付けてきました。
編集部
何かあったのでしょうか?
槇原さん
硬膜外麻酔に失敗し、下半身が動かなくなっていたようです。麻酔を抜いた直後から壮絶な痛みに苦しみました。モルヒネも効かず、もがき苦しみました。色々なところがシーツでこすれ、皮がめくれてしまうほどでした。痛みは4日間続き、痛みが落ち着いても下半身は動かせませんでした。手術前の承諾書にも書いてあったのですが、硬膜外麻酔の場合に、何万人かに一人の確率で起こるとドクターから説明がありました。
退院とその後の治療
編集部
退院はいつ頃されたのでしょうか?
槇原さん
3月25日に退院しました。リハビリの甲斐もあり、歩けるようになったものの、左足の太ももに麻痺が残ったので、長時間歩行や階段などではつまずくようになりました。身体障害者手帳を取得することになりました。
編集部
退院後はどのような治療が続いたのでしょうか?
槇原さん
退院後も抗がん剤治療は続いたので、子育てしながらの副作用は辛かったです。それでも、あと3年しか生きられないかもしれないと思うと、「とにかく子どもたちのために」と頑張っていました。
編集部
その後の体調は安定していましたか?
槇原さん
2001年1月以降、腹水が溜まったり、イレウス(腸閉塞)になったりと、何度か入退院を繰り返しました。
編集部
そのころぐらいから、お子さんたちの体調が芳しくなくなっていったそうですね。
槇原さん
2002年3月から、息子は口に異変が起こり、口が開いたまま閉じられなくなったため、食事が摂れなくなりました。7月頃からは、娘の歩き方が変になるなど、子どもたちに変化が現れました。やがて、子どもたちの病院巡りや介護が中心の生活になり、そこから2007年11月まで、自分の通院はせず、抗がん剤治療もやめてしまいました。子どもたちの治療に必死だったので、自分のことまで対応できなかったのです。
編集部
その間の槇原さんの体調は問題なかったのでしょうか?
槇原さん
気づけば余命の3年以上の日数が過ぎていました。ですが、身体はボロボロで、腹水でパンパンの状態でした。動くことも立ち上がることも難しくなり、2007年11月15日、病院を受診しました。
編集部
そこから、どのような治療をおこなったんですか?
槇原さん
2007年11月26日、腹部に直接抗がん剤を入れるためのポート埋め込み術を試みましたが、2000年の手術で大半の大腸を切除した上、癒着が酷かったため、失敗に終わりました。そこから2009年5月まで、月1回1リットル程の腹水を抜く治療と、抗がん剤治療が始まりました。また、婦人科でも検査を受け、転移が見つかり、翌5月に子宮と卵巣の全摘出術をすることとなりましたが、ここでも癒着が酷すぎて切除しきれず、右の卵巣のみの摘出しかできませんでした。
編集部
現在の生活はどんな様子ですか?
槇原さん
2010年7月25日に娘が亡くなり、それ以降は精神状態もボロボロで、うつやパニック障害が酷くなりました。今は、リウマチやほかの病気を抱えながらも治療を続けて必死に生活しています。病院からは、「次に運ばれて来るときには、覚悟をしてください」と言われています。とにかく今は、息子の笑顔が見られることだけを支えに生活しています。
子どもたちのためにも「自分が生きていかなければ」
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
槇原さん
やっぱり子どもたちの存在です。子どもたちが病気になっていなければ、最初に宣告された余命で終わっていたかも知れないと思います。いまは亡くなった娘や難病と闘っている息子のためにも「自分が生きていかなければ」と強く感じています。
編集部
もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
槇原さん
「異変を感じたら病院を受診した方がいい。一人で抱え込まず、周りに甘えて吐き出しても良いんだよ」と伝えたいですね。
編集部
あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。
槇原さん
見た目は元気に見えていても、心や身体にいろんな病気を抱えている人がたくさんいることを知ってもらいたいです。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
槇原さん
年齢や出産直後であることから「がんはあり得ないだろう」と決めつけるのではなく、きちんと診察し、早期発見に繋げてほしいです。
編集部
最後にメッセージをお願いします。
槇原さん
末期寸前でも生きる希望を捨てなければ、キセキが起きる可能性はあると思います。闘病中のみなさんには、治療を諦めないでほしいです。
編集部まとめ
さまざまな病院にかかりながら、自身の病気と子どもの介護に向き合っている槙原さん。余命宣告に近いことを言われましたが、精一杯頑張って生活していく中で宣告された時期は乗り越えられています。槇原さんは「異変があった時は、早めに受診してほしい」と言われています。どんな病気でも早期発見、早期治療が有効なので、異変があれば早めに対処しましょう。