【闘病】喉の痛みから「急性骨髄性白血病」が判明した女子高校生
白血病には急性・慢性など多くの種類があり、完治を目指せるものもある一方、難治性のものもあります。そして、白血病が治っても、治療後の障害に悩まされることも多くあります。急性骨髄性白血病と闘ったT.Hさん(仮称)に、これまでの話を聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年11月取材。
体験者プロフィール:
T.Hさん(仮称)
津市在住、2000年7月4日生まれ。女性。両親、弟と4人で生活(ほかに姉もいる)。診断時は高校2年生。急性骨髄性白血病を発症して抗がん剤治療を受けるが、抗がん剤だけでは完治しないタイプと診断され、1年後に造血幹細胞移植を受ける。生着直前にヒトヘルペスウイルス6(HHV-6)による脊髄炎を、また急性移植片対宿主病(GVHD)も発症した。その3か月後、慢性GVHDを発症し、閉塞性細気管支炎で肺の7割の機能を失う。現在は肺の臓器移植ネットワークに登録しつつ、社会復帰に向けて就労支援・リハビリに取り組んでいる。
記事監修医師:
原田 介斗
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
えん下困難、あごのシコリで違和感を覚える
編集部
病気に気づいたきっかけを教えてください。
T.Hさん
高校2年生のある日、最初は喉が痛くなり、食べ物がうまく呑み込めなくなりました。抗生剤を1か月ほど飲み続けましたが、よくなるどころかひどくなる一方で、さらにはあごに大きなしこりができました。また、後になって四肢に多数のアザ(28カ所)ができていることにも気付きました。
編集部
最初に受診した病院での説明を教えてください。
T.Hさん
リンパ節の腫れだと言われました。あごのしこりはナトリウムか何かの塊だと言われましたね。
編集部
「ナトリウムか何かの塊」ですか。
T.Hさん
はい。さらに詳しい検査が必要だからということで、大学病院に紹介してもらいました。そこで受けた血液検査、腰の骨から骨髄液を採るマルクを行い「急性骨髄性白血病」だと判明しました。
編集部
病気が判明した時、どのような気持ちでしたか?
T.Hさん
驚くほど冷静でした。ただ、今思えば、理解はできていたものの、受け入れられてはいなかったと思います。
編集部
病気が判明した時、ご家族や周囲の反応は?
T.Hさん
同行してくれた母は、帰りの車中ずっと無口でした。父は血の気が引いていましたね。部活の仲間たちは、泣きながら電話をしてきてくれました。
多くの薬を使う大変な治療生活が始まる
編集部
医師からは、どのような治療をしていくと説明がありましたか?
T.Hさん
「通常の抗がん剤治療を2クール行い、3クール目に強化治療、それから骨髄移植前処置と放射線治療を行ってから造血幹細胞移植を行います」と説明されました。
編集部
治療にはたくさんの薬を使ったそうですね。
T.Hさん
そうなんです。まず体内の白血球をたたくための抗がん剤、骨髄移植前処置の薬、合併症対策の薬、骨髄移植後も免疫抑制剤や神経痛、気管支炎予防の薬などが必要でした。神経痛はとても酷く、一時期モルヒネも使用しました。
編集部
入院中はどのような気持ちでしたか?
T.Hさん
同級生たちが就職や進学など、将来を見据えて進んでいるのに、自分だけ前に進めない感覚がとても辛かったです。大好きだったバレーボールができなくなり、ふとした時に泣きたくなることが沢山ありました。偶然にも水泳の池江璃花子選手と同い年、同じ誕生日、同じ白血病(池江選手は急性リンパ性白血病)でしたので、比べられるのも嫌でしたね。
編集部
治療による副作用は大変だったでしょう。
T.Hさん
抗がん剤による吐き気、嘔吐、脱毛、貧血がありました。血小板や赤血球が減り、白血球数が回復するまでほとんど毎日輸血をしていました。
編集部
病気の情報収集はされましたか?
T.Hさん
スマホで調べていましたが、体験談は怖くて見れませんでした。ほかにも担当の看護師さんやチャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS/医療環境にある子どもや家族に、心理社会的支援を提供する専門職)さんに相談・質問をして情報を得ていました。
編集部
医師や看護師など、医療関係者からの説明は十分でしたか?
T.Hさん
しっかり説明してくれました。病気のことを全く知らない私に、小児科らしくイラストを交えて、わかりやすい資料を作って説明してくださいました。
優しい医療スタッフに助けられました
編集部
医師や看護師など、医療関係者には話しやすい雰囲気でしたか?
T.Hさん
皆さんとても明るくて、いつでも相談しやすい方たちばかりでした。優しくて、入院生活をイヤだと感じたことはありませんでした。鬱のような状態になり、八つ当たりしても、毎日声をかけてくれて、常に寄り添って明るく元気づけてくれた沢山の方々に感謝しています。
編集部
治療中の心の支えとなったものは、何でしたか?
T.Hさん
友人とのSNSのやり取りや、小児科で一緒に入院している子どもたち、好きなダンス&ボーカルグループの存在ですね。
編集部
治療後はどのような変化がありましたか?
T.Hさん
大好きだったバレーボールができなくなりました。また、高校も留年して3年生を2回過ごしました。筋力は衰え、体力もほとんどなくなりましたね。
編集部
現在の体調はどうですか?
T.Hさん
合併症の慢性移植片対宿主病(GVHD)による閉塞性細気管支炎で、今は酸素ボンベが手放せません。感染対策には気を付けていますが、よく風邪をひいてしまいます。
編集部
現在、就職活動中とのことですが。
T.Hさん
高校生の時は卒後の進路が決められる状態ではなかったので、現在も無職のままで、リモートで就労支援センターに通い始めています。就職できるように頑張っています。
編集部
では、最後にこの病気を知らない方へ、一言お願いします。
T.Hさん
不治の病だった白血病も治る病気に分類されるようになりました。とはいえ、抗がん剤治療は精神力をかなり削られます。私は医療関係者、友人、親の支えがあったからこそ頑張れたと思っています。
編集部まとめ
今回は急性骨髄性白血病(M4型)のご経験をお聞きしました。治療中のつらさはもちろんのこと、治療後も肺機能障害といった苦しさとの闘いが続く中、就職に向けて今後も頑張ってほしいと思いました。