【闘病】「まさか看護師の自分がSLEに」 健診も毎年受けて体調に気を配っていた
難病になった人のほとんどは、「まさか自分が難病になるなんて」と驚いたということをよく耳にします。病気について、難病についての知識がある人ならなおさら、「まさか自分が」「そんなはずはない」と思ってしまうのかもしれません。闘病者の坂本さん(仮称)は、看護師として、医療の知識がありながら「まさか自分が」を体験。全身性エリテマトーデス(SLE)の闘病体験を聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年11月取材。
体験者プロフィール:
坂本さん(仮称)
1985年生まれ、千葉県出身。看護師として勤めてきた中で、令和元年5月にSLEと診断された。一度は看護師の仕事を辞めるも、非常勤という形で復職。現在に至る。
記事監修医師:
副島 裕太郎(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
「もしかして膠原病だったりして」
編集部
最初に不調を感じたのはいつですか? どういった状況だったのでしょうか?
坂本さん
2019年1月頃です。手の指先が異常に冷たくなり真っ白になりました。もともと冷え性だったこともあり、最初はそれほど気にしていなかったのですが、次第に指先が白くなる頻度が増え「レイノー現象」という言葉を思い出しました。看護学生の頃に耳にしていた言葉だったと思います。それでも、大したことないと思っていました。
編集部
看護学校で学んでいても「大したことない」と思ったのですか?
坂本さん
レイノー現象は膠原病の症状だとは知っていたのですが、膠原病じゃなくても出る場合もあって、自分はそっちだと思い込んでいました。次の異変は2019年4月。仕事中に左手首を痛めてしまいました。腫れていないし、すぐに良くなると思っていましたが、数週間経っても全く良くならず、次第に反対の手首や肘、肩と痛みが広がっていきました。整体で「痛いところを庇ってほかのところが痛くなることはよくある」と言われ、そう信じていました。さらにその後、膝、足関節も痛み始めましたが、新しく買った靴が合わないからだろうと考えていました。今思うと明らかにおかしいのに、あの頃は病気の症状だなんて微塵も思っていなかったですね。
編集部
受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。
坂本さん
2019年5月、10連休があけて仕事が始まった直後から、夜間だけ38度台の発熱が3日続きました。朝になれば下がって普通に仕事に行けており、なんだろうと思っていました。当時勤めていたクリニックの医師に相談したところ、「もしかしたら膠原病かもしれない」と言われ、半信半疑で採血をしたところ、自己抗体陽性のため専門医を受診しました。そこでさらに詳しく血液検査を行い、全身性エリテマトーデス(SLE)と診断されました。
編集部
どんな病気なのでしょうか?
坂本さん
全身の血管や皮膚、筋肉、関節などに炎症がみられる病気です。免疫システムに異常が起こり、本来は外敵から自分自身を守ってくれる免疫が自分の体を攻撃するようになり、全身にさまざまな炎症を引き起こします。薬で症状を抑えていくのが主な治療法で、完治はしない、いわゆる「難病」です。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
坂本さん
初めは多めの量のステロイドを使用して炎症を抑え、徐々にステロイドを減らしていくと説明がありました。その際、ステロイドは副作用があるが、使っても大丈夫かという医師からの確認を受けました。また、ステロイドだけではなく今は新しい薬が色々あるから、状況に応じて使用していくという説明も受けました。私の場合は、入院の目安となる「腎機能障害」がなさそうだということで、入院ではなく通院で良いと言われました。
編集部
家での過ごし方などのアドバイスは?
坂本さん
日常生活については、仕事は続けても良いが、ストレスをためないように、と言われました。ステロイドの副作用に「感染症にかかりやすくなる」というのがあり、職場が医療現場なのでとても怖かったのですが、きちんと手洗い等の感染対策をしていれば大丈夫と言われました。
カフェで両親に電話。そこで初めて涙が出ました。
編集部
SLEだと判明したときの心境について教えてください。
坂本さん
初めて受診して、採血の検査結果が出るまでの1週間、痛み止めがほとんど効かず、関節痛がひどすぎてすごく辛かったので、SLEと診断されたとき、治療が始められることにまず安堵しました。医師から淡々とした様子で難病の申請に行ってくださいと言われ、私もその場では淡々と答えていました。その後、保健所で難病の申請用紙を受け取ってカフェに寄り、少し落ち着いたところで両親に難病になったと電話したときに、涙が出てきたのを覚えています。
編集部
治療や闘病生活の中で、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。
坂本さん
ステロイドの効果に驚きました。関節痛で階段の上り下りも自力でできない状態だったのが、ステロイドを飲み始めてすぐに走ることまでできるようになりました。一方で、体重増加や不眠、ムーンフェイス、知覚過敏、手の震えなど様々な副作用が出てきました。体重は2年で10kg増え、それまで着ていた服がほぼ入らなくなりました。それまでは洋服を買うことが趣味の一つでしたが、着たい服が着られなくなり、とても辛かったです。足もすぐに浮腫むので、ヒールも履けなくなりました。顔もまん丸になり写真を撮るのも嫌になりました。外見の変化がこんなにも内面に影響するんだと自分のことながら驚きました。
編集部
どのように気持ちを保っていたのですか?
坂本さん
周りにSLEの知り合いがおらず、病気についての情報収集に困り、SNSに頼りました。主にInstagramを利用しましたが、SLE患者同士の情報共有の場を見つけたり、SLEではない別の難病を持つ看護師さんとメッセージをやりとりしたりするようになり1年ほどになります。仕事の相談をすると参考になるアドバイスをもらい、とても励みになっています。
編集部
病気の前後で変化したことを教えてください。
坂本さん
病気になる前は「人に迷惑をかけたくない」という思いが強く、人に頼れない性格でした。病気になり人に頼らざるを得ない状況となって、初めて人に頼っていいんだと思えてきました。また、いつ悪くなるかわからない、この元気な状態がいつまで続くかわからないという感覚も芽生え、やりたいことは後回しにせずどんどんやってみようと思うようになりました。
編集部
病気になってみて、今までを振り返ってみて思うことなどはありますか?
坂本さん
20歳くらいから風邪を引きやすかったり、疲れやすい、浮腫みやすいなどの症状があったりしていたので、もしかしたらSLEの前兆だったのかもと思うことはあります。ただ、SLEは、はっきりとした原因がわかっていない病気なので、過去の行いを後悔したことなどはないと思います。健診も毎年受けていましたし、風邪を引くとすぐに受診はして体調には気を配っていた方だと思います。
看護師であり、患者でもあるのが私の強み
編集部
現在の体調や生活はどうですか?
坂本さん
体調は良い日が多いですが、悪い日もあり一定ではありません。悪いときは、朝、手や足の関節がこわばったり、筋肉痛、疲労感があったり、だるい状態が続きます。あと、SLEになって2年半で2回再燃を経験しました。再燃というのは、きちんと薬を飲んでいても、突然薬の効果がなくなり症状が悪化することで、その度に違う種類の薬を増やし、その分ステイロイドを減量するということをしています。今回の再燃では「ベンリスタ」という薬を導入し、前回再燃した時のステロイドの量まで減量してきているので、このままさらに減量できることを期待しています。
編集部
お仕事の方はどうですか?
坂本さん
ずっと立ちっぱなしの環境や力がいる場面が多い当時の職場は、続けられずに退職しました。その後は失業給付を受けながら就活をしましたが、看護師の資格があっても、持病があることで内定を断られることもあり、すぐには決まりませんでした。やはり体調が一定ではないので職場に迷惑をかけてしまうのが不安で、最終的には常勤ではなく非常勤で勤務時間を少なくして働いています。非常勤で収入も少なくなったため、一人暮らしを辞めて実家に戻りました。8年ぶりの実家暮らしで正直大変な面もありますが、家族の支えのありがたさも感じています。
編集部
医療従事者に対して何かありますか?
坂本さん
幸い、私の主治医は穏やかで質問もしやすいです。大学病院ではなくクリニックなので受診しやすいのもありがたいです。看護師さんは、ベンリスタ導入の際、自己注射を怖がっていた私をだいぶ気遣ってくれて嬉しかったです。こんなに一つの病院に通い続けるのはもちろん初めてでしたし、おそらく生涯通い続けることになる、長い付き合いになるので、主治医との相性は大事だなと思います。妊娠の際に使用できない薬などもあり、ライフスタイルの変化なども含めて治療を決めていかないといけないので、相談しやすい関係性をお互いに築いていくことが大切だと思います。
編集部
自身も病気を患ったことで、仕事への意識に変化はありましたか?
坂本さん
看護師という仕事への考え方も、より患者さんの気持ちに寄り添ったものへと変わっています。看護師であり、患者でもあるというところが私の強みだと思うので、仕事に活かしていけたらと思います。病気になったおかげで気づけたこともあるので、「病気になって良かった」とまでは思えませんが、人生観はちょっと豊かになったのではないか思います。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
坂本さん
難病になった方のほとんどは、まさか自分が難病になるなんてと驚くと思います。10数年前に病棟で働いていた頃、SLEの女子高校生が入院していました。若くて楽しい時期なのにかわいそうだな、と思いながら接していたのを覚えています。その頃まさか自分が同じ病気になるなんて思ってもいませんでした。人生、本当に何が起こるかわかりません。しかし、医学の進歩のおかげで病気の進行を抑えることができ、仕事をしたり、旅行に行ったりと健康な方と変わらず日常生活を送れている私がいます。
編集部まとめ
看護師として知識があったからこそ、「病気の症状ではあるけれど、病気でない場合もある」と知っていた坂本さん。冗談半分で採血したところ陽性だったということでした。最後に伝えてくれた「看護師という仕事への考え方もより患者さんの気持ちに寄り添ったものへと変わっている」という言葉はとても深く、温かみがありました。坂本さん、ありがとうございました。