~実録体験記~ 難病「多発性硬化症」と闘いながら、500名の患者会を立ち上げた女性
「身体のしびれは、24時間365日なくなることはない」。指定難病「多発性硬化症」と共に生きる狐崎友希さんは、そうした中で7年以上の月日を過ごしてきました。そんな彼女は全国に500名を超える多発性硬化症などの患者会「M-N Smile」を立ち上げ、代表を務めています。なぜ、そのような行動に出たのか? どういう闘病体験をしたからなのか? その原点についてを聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年8月取材。
体験者プロフィール:
狐崎 友希
東京在住。現在は同病仲間でもあるパートナーと同棲中。下半身のしびれから神経内科を受診したのち、MRIを受け多発性硬化症と診断される。診断時はがんの免疫治療をおこなうクリニックでのコンシェルジュとして勤務していたが、現在は、難病患者の声を広めるため、当事者としてテレビや新聞、Webメディアに出演。講演会での登壇や企業での150名を対象とした社員研修で講演をおこなっている。
記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
検査を強く求めて判明した「多発性硬化症」
編集部
多発性硬化症とはどんな病気ですか?
狐崎さん
多発性硬化症は、主に30歳前後で発症する人が多い病気です。男性よりも女性に多い傾向があります。目が見えなくなる、腕や足がしびれて力が入りにくくなるなど、人によってもさまざまな症状が起きる病気です。症状が完全に治る場合もありますが、少しずつ後遺症が残っていきながら、車椅子生活や寝たきり状態になることもあるようです。
編集部
多発性硬化症が判明した経緯について教えてください。
狐崎さん
7年前、しびれを下半身全体に感じ、原因がわからなかったので母の勧めで神経内科を受診しました。先生からは「何でもないと思う」と言われましたが、「それでは困ります」と強く訴えたところ、MRIを撮る運びとなったんです。その結果、すぐに「多発性硬化症の可能性が高い」とわかりました。入院して詳しい検査を受け、正式に多発性硬化症と診断されました。
編集部
しびれはそのときが初めてだったんですか?
狐崎さん
いいえ。しびれは診断を受ける2~3年前から足裏に現れ、絶えず続いていました。整形外科を受診しましたが、どこも異常はないとビタミン剤を出されて終わりました。当時、摂食障害で体重が34kgしかなく、低体重のせいかもしれないと言われましたが、摂食障害を克服して元の体重に戻っても、しびれはなくなるどころか下半身全体に広がっていきましたね。
編集部
医師からはどのような説明があったのですか?
狐崎さん
多発性硬化症と診断された病院の医師からは、わかりやすい説明をしてもらえず、点滴治療のため、1か月の入院が必要と伝えられました。難病であることは、自分で調べて知りました。当時、下半身のしびれが、点滴治療で良くなるものだと思い込んでいましたが、治療が始まって2週目くらいで医師から「これで治らなかったら後遺症になります。他に治療法はありません」と言われました。結局しびれは治らず、この気持ち悪いしびれは一生自分の体にまとわりついてくるんだと、当時は毎晩のように病室で泣いていました。
編集部
その病院にその後も通い続けたのですか?
狐崎さん
いいえ。自分で病院を探し、今診てもらっている医師と出会いました。現在はしびれを軽減するための薬を飲み、再発などで症状が悪化すると血液浄化療法をおこなっています。また、医師が変わってからは悪化を抑えるための自己注射を毎晩打つようになりました。今は飲み薬が出て、朝晩服用しています。
難病でも病名がついたことにホッとした
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
狐崎さん
しびれが出だしてから数年は病気がわからず、不安な日々だったので、それが難病でも、病名がついたことにホッとしました。「私は多発性硬化症という病気のせいで、しびれが出ているんだ。点滴治療ができるんだ」と思うことができました。
編集部
病気が判明した後、症状はどうなりましたか?
狐崎さん
悪化を繰り返しました。そのたびに握力がなくなったり、目が痛くなったり、股関節が痛くて歩けなくなったりといろいろです。治療とリハビリを受けて、一時的に症状が良くなったときもあれば、何年もその症状が続いたこともあります。
編集部
生活にどのような変化がありましたか?
狐崎さん
仕事はリハビリテーション病院に就職したのですが、多発性硬化症の悪化のため、退職せざるを得ませんでした。でも、そこで良い意味で世界が広がりました。新たに出会えた人たちにはたくさんの同病仲間がいて、今では大切な友となっています。支援者の方、ほかの病気の方とのつながりも増えました。
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
狐崎さん
同病仲間とのつながりです。治療のこと、就職するときに使える制度、ディズニーの優先カードがあることまで、幅広くいろいろなことを教えてもらいました。また、信頼できる主治医に出会えたこと、看護師さん、理学療法士さん、作業療法士さんとも仲良くなったこと。そして何より、同病のパートナーにこの4年間ずっと支えられています。握力がないときも、悪化して杖歩行になったときも、いつも明るく受け止め、さりげなくサポートしてくれていました。同病なので、症状や治療も共通することがあり、お互いの大変さを理解できるので、とても心強いです。
闘病を続けながら「患者会」を立ち上げる
編集部
現在の体調や生活などの様子について教えてください。
狐崎さん
2年前に一度症状が悪化して杖歩行になっていましたが、血液浄化療法の効果やリハビリでヨガを毎日続けたこともあってか、杖なしでも短い距離なら歩けるようになりました。下半身のしびれは7年間1度も消えたことがなく、今でも24時間365日ずっと続いています。
編集部
現在、お仕事はされているのですか?
狐崎さん
はい。ありがたいことに、障害者雇用で在宅ワークの仕事に就くことができたので、今は1日6時間、週5日自宅で仕事をしています。収入を得るためにも、本当はフルタイムで働きたいのですが、昔より疲れやすい、また無理をして悪化させるの繰り返しだったため、今は6時間に抑えています。
編集部
今後おこなっていきたいことはありますか?
狐崎さん
病気を抱える方が生きやすい世の中になるよう、これからも病気についての情報発信を続けたいと思います。少しでも誰かのお役に立てれば幸いです。
編集部
患者会を立ち上げたと伺いました。
狐崎さん
はい。診断された翌年に多発性硬化症と視神経脊髄炎の患者会「M-N Smile」を立ち上げました。コロナ禍になってからは、オンラインで患者会をおこなっています。コロナが始まったばかりの2020年5月には「免疫力が低い難病患者、基礎疾患を有する患者を新型コロナウィルスから守る!」ための署名活動をおこない、769名の署名を集め厚労省に提出しました。
編集部
なぜ、患者会を作ろうと思ったのですか?
狐崎さん
「患者同士の繋がる場所を作りたい」という思いで立ち上げました。私が同病仲間から力をもらったように、患者同士の繋がりが誰かの助けになると思います。はじまりは20~30名の会でしたが、気がつけば525名の仲間がおり(2021年10月時点)、現在も増え続けています。
編集部
すごい人数ですね。もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
狐崎さん
「あなたはそのままで大丈夫。今まで通り、やりたいと思ったことを一生懸命やっていれば道はひらける」ということですね。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
狐崎さん
患者の目を見て話してほしいです。私も医療従事者だったので、たくさんの患者さんと関わってきましたが、自分の価値観で決めつけるのではなく心の声に寄り添って、その方が本当に話したいことを聞いてあげてほしいです。もちろん、そうしてくださる医療従事者の方は多いですし、いつも感謝しています。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージがあれば。
狐崎さん
病気で何もできなくて、自分には生きている価値がないのではと思う方もいるかもしれません。いろんなことができる他人と比べたり、「昔はできてたのに」と過去の自分と比べたりすることもあるかもしれません。でも、何かできることがきっとありますし、どんなに小さなことでも良いので、まず一歩踏み出してみてください。
編集部まとめ
「病気を抱える人が生きやすい世の中になるように発信を続けたい」と語る狐崎さん。自分自身の経験から、病気でつらい思いを持つ方々に寄り添ったメッセージを伝えていただきました。自分の状態を嘆くのではなく、今ある幸せに感謝し今できることを精一杯やるという姿勢は病気に関係なく見習いたいところです。