【闘病】急に歩けなくなり判明した『命に関わる難病』 「6年で死ぬ」の文字に絶望…

美容師として働く米崎さんを襲った突然の歩行障害。原因不明のまま症状は進行し、2019年に指定難病「副腎白質ジストロフィー(ALD)」と確定診断されました。「6年で死ぬ」というネットの情報に絶望しながらも、命に関わる大脳型への移行を防ぐため唯一の治療法である骨髄移植を決断。凄絶な副作用に苦しみながらも、妻の支えと「美容師に復帰したい」という執念で命を繋いだ不屈の軌跡を紹介します。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年11月取材。

体験者プロフィール:
米崎 勇
大阪市在住、1990年生まれ。結婚して妻と2人暮らし。診断時の職業は美容師・スタイリスト。2016年急に歩行困難になり病院を受診。2019年11月に診断がつき、2020年8月に骨髄移植を受ける。現在は免疫抑制剤、免疫抑制による予防薬、そして筋弛緩剤を服用している。今は美容師として職場復帰を果たしている。

記事監修医師:
植松 高史(名古屋大学医学部附属病院)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
目次 -INDEX-
急に歩けなくなってきた

編集部
病気に気づいたきっかけは?
米崎さん
美容師として働いていたのですが、2016年のある日、階段をスムーズに降りれないようになりました。それから徐々に走れなくなったり、ふらついたりするようになりました。そして支えなしでは歩けなくなり、杖がないと外出ができない状態にまでなりました。
編集部
病院を受診したとき、どのように説明されましたか?
米崎さん
最初は近くの病院に行ったのですが、ここでは治療ができないため、違う病院を紹介してもらいました。紹介された病院で、さまざまな検査を受けました。神経電気生理検査、知力のテスト、脳波の測定、眼科での視力検査、耳鼻科や歯科の受診もありました。
編集部
すぐに病名がわかったわけではないそうですね。
米崎さん
2018年11月に副腎白質ジストロフィ―が強く疑われることとなりました。進行が速く命に関わり得る成人大脳型かどうかはわからず、専門的な病院でさらに精査をしました。脳MRI、副腎機能検査、ルンバールなどです。その結果、脳MRIで異常が見られ、命に関わる大脳型に移行している可能性があったため、骨髄移植に踏み切ることが決まりました。やがて、2019年に入って副腎白質ジストロフィーの確定診断がつきました。
編集部
診断がついた時はどのような心境でしたか?
米崎さん
診断の後に病気を調べた時に「6年で死ぬ」と書かれているものを見て、目の前が真っ暗になった気分でした。その時は毎日が辛くて、苦しかったですね。
編集部
医師からはどのように治療を進めると説明されましたか?
米崎さん
唯一の治療法が骨髄移植なので、骨髄バンクでドナーを探し、骨髄移植可能かどうか検査すると言われました。説明はとても丁寧でわかりやすく、治療中も寄り添ってくれました。話しやすい雰囲気で、疑問は気軽に相談できました。
骨髄移植後、免疫抑制薬などの内服が続く

編集部
入院中の心境はいかがでしたか?
米崎さん
とにかく周りの美容師から遅れることへの焦りを強く感じました。どれだけ副作用が辛くても前向きに、復帰する気持ちをしっかり持っていました。
編集部
病気の情報収集はどのようにされましたか?
米崎さん
Twitterやネットで調べて、できるだけ新しい情報を集めました。同じ病気の人はちらほらいましたが、骨髄移植を経験した人はほぼいませんでした。
編集部
どのような情報が欲しいと思いましたか?
米崎さん
骨髄移植がどれくらいつらいのか、抗がん剤や放射線がどれくらいの大変な思いをするものかを知りたかったですね。
編集部
抗がん剤による副作用もあったのではないですか?
米崎さん
毎日の吐き気がきつかったですね。ほかにも下痢、全身の痛み、倦怠感、不眠にも悩まされました。
編集部
家族や周囲の反応はどうでしたか?
米崎さん
「大丈夫、治るから」と言って支えてくれました。
編集部
骨髄移植を乗り越えられた支えは何でしたか?
米崎さん
妻の支え、周りの励まし、そして美容師をしたいという気持ちですね。どれだけ辛くても乗り越えることができました。
≪↓ 後編へ続く ↓≫
※この記事はメディカルドックにて『【闘病】歩きづらさを感じたのは「副腎白質ジストロフィー」のせいだった』と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。
なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。
→(後編)【闘病】視神経脊髄炎になった今だからこそ、伝えたい気持ち




