【闘病】”異常なし”の健康診断から1年後「乳がん発覚」。50代女性の後悔

2020年7月、S.Rさん(仮称)は健康診断で「石灰化がある」と指摘されました。その時の精密検査では「良性」と診断され、特に大きな不安は感じなかったといいます。しかし翌年、再び検査を勧められたことで状況は一変。大きな病院での精密検査の結果「浸潤性小葉がん」と告知されました。まさか自分ががんになるとは……告知を受けた直後から始まった不眠の日々や心の葛藤、そして続く過酷な治療。それでもS.Rさん(仮称)は、仕事や趣味を支えに闘病を乗り越えました。その壮絶な経験と治療中に支えとなったものについて語ってもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年2月取材。

体験者プロフィール:
S.R(仮称)
家族と2人で暮らす50代の女性。2020年に職場の健康診断で乳腺の石灰化が指摘され、細胞診検査の結果は良性。経過観察を続けていたが、1年後に別の病院にて検査したところ「乳がん」と告知を受けた。乳房全摘出術+再建術、化学療法、放射線治療、ホルモン療法も行い、3か月おきの通院にて経過観察中。

記事監修医師:
寺田 満雄(名古屋市立大学病院乳腺外科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
違和感はあったものの「まさか自分が」という思いが強かった

編集部
はじめにS.Rさんの経験された乳がんについて教えてもらえますか?
S.Rさん
乳房内に発生する腫瘍のことです。女性には身近ながんとして知られており、初期症状はほとんどないものの、セルフチェックでしこりに触れたら疑った方がいい疾患です。
編集部
S.Rさんが乳がんと発覚するまでの経緯について教えてください。
S.Rさん
2020年7月に健康診断を行ったところ、石灰化が見つかったため、精密検査が必要との結果が出ました。そこで近所のクリニックを受診して細胞診をしたところ、そこでは「良性」との結果でした。もしかすると、この時に大きな病院で検査をしていれば、もっと早く判明していたかもしれません。翌年3月もクリニックを受診したところ、精密検査を勧められたため、改めて大きな病院で針生検などの精密検査を受けました。そして、5月に「浸潤性小葉がん」と診断されました。
編集部
病気が判明した時の心境はどのようなものでしたか?
S.Rさん
自覚症状はなかったものの、胸は何度か固くなっていると思っていたので、「もしかしたら」とは考えていました。それまでは健康だったこともあり、告知された時は頭が回らず、不眠の日々が始まりました。心療内科も受診するようになりました。
編集部
かなりのショックだったと思いますが、不眠はいつごろ解消できたのでしょうか?
S.Rさん
自分なりにヨガ、ストレッチ、アロマ、YouTubeなど色々な方法で眠れるか試しました。そのうちに「どうせなら好きな音楽を聴こう」と思うようになり、昔やっていたピアノも弾きたくなり、再開しました。そして、ちょうど化学療法も終わった時期に、乗り切ったことが自信にもなったのか、だんだんと眠れるようになりました。
編集部
治療についての説明、実際はどのように進められたのかも教えていただけますか?
S.Rさん
治療は乳房の全摘出術+自家組織での乳房再建術、続いて化学療法、放射線治療、ホルモン療法の順で治療すると説明がありました。ただ、診断を受けた病院の先生とは反りが合わない部分を感じたため、別のクリニックに治療をお願いしました。そして、2021年5月にセカンドオピニオンを依頼し、6月のセカンドオピニオンのクリニックで左乳房全摘・同時再建術(腋窩郭清レベルIII)、8~9月に化学療法のddAC療法(ドキソルビシンとシクロホスファミドという薬を2週間ごとに4サイクル投与する)、9~11月にddPTX療法(ddAC療法に引き続いてパクリタキセルを2週毎に4サイクル投与する治療法)も行いました。12月から2022年1月までは放射線治療、その後はホルモン剤のレトロゾールと内服抗がん剤のTS-1も内服しました。
編集部
手術後の病理結果はどのような結果でしたか?
S.Rさん
当初は浸潤性小葉がんの診断でしたが、病理結果で「乳管がん」だったこと、リンパ節転移が多数あったこともわかりました。
編集部
抗がん剤治療中に大変だったことはなんでしょうか?
S.Rさん
化学療法に先立ち、CVポートという治療専用の器具を体の中に埋め込むことでした。腕の点滴とは違って点滴漏れや針を刺す時の失敗の心配は要りませんが、毎回痛い思いをするのはすごく辛く、シールタイプの麻酔薬を処方していただき2時間前に貼って通院していました。抗がん剤終了後すぐ抜去したのですが、2年半たった今も傷に違和感があり、そのときの処理には不満が残っています。治療中は脱毛と毛嚢炎などの副作用はありましたが、それ以外の味覚障害や吐き気、手足のしびれは幸いにもありませんでした。
編集部
なるほど。そのほかには?
S.Rさん
がんを告知されたのはコロナ禍だったので、通院や検査を受けるのも厳戒態勢でしたが、そんな中で唯一よかったのが時期的に在宅勤務を許されていたことです。2度目の抗がん剤から脱毛が始まり、当時は仕事に集中できなかったことと、ウィッグも装着できないほど頭皮に重症の湿疹ができていて、治りも遅かったのですが、抗がん剤治療終了までの3ヶ月半を在宅勤務させてもらえました。会社の体質的にコロナ禍でなければ在宅勤務はおそらく認められることがなかったと思うので、そうでなければきっと退職していたと思います。
ネガティブな考えばかりが頭をよぎっていた

編集部
放射線治療やホルモン剤治療で困ったことはありましたか?
S.Rさん
放射線治療は25回50Gy(グレイ)で実施しましたが、わずかに肌が赤くなる程度でした。そのうちに黒くなって皮がむけて、そのほかは倦怠感も一切ありませんでした。また、ホルモン剤治療やTS-1も内服しましたが、特に副作用は出ていません。
編集部
手術や抗がん剤治療を開始してから、生活にはどのような変化がありましたか?
S.Rさん
元々自覚症状はなく、手術後の傷の痛みはありましたが、化学療法の副作用も少なく、大きな変化はなかったです。仕事は激務でしたが、化学療法中は在宅勤務も活用し、放射線治療中も普通に勤務できました。また、高額療養費制度のおかげで、医療費が大きな負担にならなかった点も助かりました。
編集部
治療中にS.Rさんの心の支えになったものは何でしょうか?
S.Rさん
毎日眠れず、朝が来れば「今日も生きていた」と思う日々でした。洗濯物を干しにベランダに出るたび、ここから飛び降りる人はいるだろうかと考えたり、再発転移のことばかり考えたりしていました。ただ、娘に苦労をかけたからこそ気持ちを強くもとうと思えたこと、乳がんを告白したことで友人が色々と話し相手や手助けしてくれたことには感謝しています。乳がん・婦人科がん患者向けのSNSの存在、自分なりに本やブログで情報収集したこと、患者会に参加して闘病について語り合ったことも助けになりました。
編集部
心境が変化していったのですね。
S.Rさん
気持ちの中に仕事が占めるウェイトが大きい私にとって、仕事を続けられたことも大きな励みでした。先ほどピアノを再開したことも話しましたが、2023年には社員旅行の余興でバンドとして演奏もして、次はまた3年後に社員旅行で演奏する予定です。一緒にやったメンバーがまたやってくれるかはまだわかりませんが、プログラムはできているのでそれも今の楽しみの1つです。
※この記事はメディカルドックにて『【闘病】精密検査で一度は“良性”と告げられたはずが「乳がん」に…』と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。
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