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【闘病】まさか五十肩が「難病」だった… 高校生が苦闘した過酷な現実

 公開日:2025/03/07
【体験談】まさか自分が難病なんて。肩の痛みではじまった「高安動脈炎」

高校生だった堀内愛華さんは、当初は軽い症状と思っていたものの、次第に微熱や倦怠感、40度を超える高熱など、全身の異変に苦しめられるようになりました。診断がつかないまま病状が悪化し、大学病院でようやく「高安動脈炎」と判明。治療により命をつなぐことはできたものの、ステロイドの副作用により筋力の低下や体重増加、白内障・緑内障の発症といった試練が続きました。思いもよらない難病との闘いに直面した堀内さんの葛藤と、それでも前を向き続ける日々とは……。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年4月取材。

堀内 愛華

体験者プロフィール
堀内 愛華

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神奈川県在住、1998年生まれ。父・母・兄・祖父と同居中。高校1年生の2014年5月頃から肩の痛みを感じ始め、整形外科を受診し、「五十肩」と診断される。その後高熱が出て「川崎病」と診断され入院。治療を試みるも症状はよくならず、同年7月に転院した大学病院で「高安動脈炎」との診断を受ける。現在は体調に波がありつつも、以前よりは落ち着いている。2021年3月には、17歳の頃に書き上げた闘病記「理不尽な世界〜私は屈しない〜」を出版(Amazonのみの出版)。SNSでは病気の啓発活動を行っている。

肩の痛みから始まった高安動脈炎

肩の痛みから始まった高安動脈炎

編集部編集部

高安動脈炎と診断されたときの経緯について教えてください。

堀内 愛華さん堀内さん

始めは肩の痛みから始まりました。あまりの痛みに夜も眠れないほどで、整形外科を受診すると「五十肩」と診断されました。湿布や痛み止めの薬を処方してもらい、しばらく通院していましたが症状はいっこうに良くならず、微熱も出るようになりました。全身の倦怠感、胸の動悸、ついには40度を超える高熱に襲われて、夜間診療所に行きました。

編集部編集部

そこで高熱の原因はわかったのでしょうか?

堀内 愛華さん堀内さん

原因はわかりませんでした。翌日、母が勤めている病院へ行き、CRP(C-リアクティブプロテインというたんぱく質。体内で炎症が起きると増加する)が高いことから「川崎病」と診断され、入院しました。

編集部編集部

結局、どうのようにして「高安動脈炎」の病名が付いたのでしょうか?

堀内 愛華さん堀内さん

免疫グロブリン療法を受けましたが、症状は良くならず、大学病院へ転院することになりました。血液検査、CT、MRI、心電図、超音波などを受け、そこで診てくださった医師が、血圧の左右差、左腕の脈が触れないことに気づき、検査後、左鎖骨下動脈が狭窄していることも分かり、「高安動脈炎」と診断されました。

編集部編集部

どのように治療を進めていくと医師から説明があったのでしょうか?

堀内 愛華さん堀内さん

ステロイドによる投薬治療で経過を見ていきましょうと言われました。私の場合、HLA(ヒト白血球抗原)-B52が陽性だったとのことで、より慎重に経過を見ていました。

編集部編集部

HLA-B52の陽性とは、どのような状態を指すのでしょうか?

堀内 愛華さん堀内さん

HLAとは簡単に説明をすると白血球をはじめとする細胞の血液型を表す分子のことで、それに関係する遺伝子の組み合わせで決まります。このHLAを知ることで、どの病気にかかりやすいかを知ることができます。「HLA-B52」は、高安動脈炎と潰瘍性大腸炎になりやすいと言われています。そして、高安動脈炎ではHLA-B52が陽性の患者は陰性の患者よりも強い血管炎を生じる傾向があると言われていて、再燃もしやすいそうです。

編集部編集部

病気が判明したときの心境について教えてください。

堀内 愛華さん堀内さん

初めて医師から病名を告げられた時、私の頭の中は「?」で埋め尽くされていました。初めて聞く病名でしたし、その時はまさか難病だなんて夢にも思っていませんでしたね。まったくショックは受けなかったのです(笑)。

編集部編集部

どのような病気がわからなければ実感がないですよね。

堀内 愛華さん堀内さん

どこか他人事のような感じでした。私はそれまでの15年間、ずっと健常者として過ごしてきたので、それが今日から難病者になるなんて、当時の自分には理解することはできませんでしたし、実感が湧かなかったのでしょう。そのうち嫌でも知ることになるのですけどね。

ステロイドの副作用に悩まされた闘病生活

ステロイドの副作用に悩まされた闘病生活

編集部編集部

発症してから生活面ではどのような変化がありましたか?

堀内 愛華さん堀内さん

ステロイドを投与してからは、まず筋力の低下に悩まされました。足の筋力が顕著になくなってしまい、走ることができなくなりました。しゃがんだ状態から立ち上がることもできなくなり、何か物に捕まったり、誰かに助けてもらったりしないと立ち上がることができなくて、学校では友達に手を貸してもらっていました。骨が脆くなっていたこともあり、体育はずっと見学していましたね。一時期は階段も登れなくなって、車椅子に乗っていました。

編集部編集部

手の震えも起きていたそうですね。

堀内 愛華さん堀内さん

はい。手の震えが酷くて、箸を持つ手が震えて上手く食べることができなかったり、文字を書くときも震えてしまったりしました。今も筋力は低下したままで、激しい運動や、走ることはできませんが、手先の震えはだいぶ良くなりましたね。

編集部編集部

そのほかにはどのような変化がありましたか?

堀内 愛華さん堀内さん

私が一番気にしていたのは体重が増えることでした。実際、ステロイドを内服するようになってから最大25kgほど増えました。あれからステロイドを減らして、だいぶ体重も戻りましたが 次は皮膚が伸びてたるんでしまったことが悩みです。それと、ステロイドによる副作用で最も多いムーンフェイスです。あれはどんな人でもショックを受けると思います。正直なところ、薬の副作用もですが、膠原病特有の倦怠感や体の痛みのほうが辛いですね。これだけは一生の付き合いになるでしょうし、付き合っていくしかないと思っています。痛みのある生活の中でも毎日を必死に生きております。

編集部編集部

高校へは通えていたのでしょうか?

堀内 愛華さん堀内さん

発症後は高校にあまり通えなくなり、午前中のみや午後のみ授業に出たり、途中で体調を悪くして保健室へ行ったりしていました。在学中に2度目の再燃をし、入院しました。退院後は高校に通うことはなく3年生になり、その後も通うことはありませんでした。

編集部編集部

3年生のころにはステロイドの副作用で目の手術をしたそうですね。

堀内 愛華さん堀内さん

はい。白内障と緑内障になってしまい、両目の手術をしました。高校卒業後は、大動脈弁閉鎖不全症、右膝の骨頭壊死になりました。

副島 裕太郎

記事監修医師
副島 裕太郎(横浜市立大学医学部血液・免疫・感染症内科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

※この記事はメディカルドックにて『【闘病】まさか肩の痛みが「高安動脈炎」(指定難病)だったなんて』と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。

この記事の監修医師

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