目次 -INDEX-

産褥精神病
前田 佳宏

監修医師
前田 佳宏(医師)

プロフィールをもっと見る
島根大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科に入局後、東京警察病院、国立精神神経医療研究センター、都内クリニックにて薬物依存症、トラウマ、児童精神科の専門外来を経験。現在は和クリニック院長。愛着障害やトラウマケアを専門に講座や情報発信に努める。診療科目は精神神経科、心療内科、精神科、神経内科、脳神経内科。 精神保健指定医、認定産業医の資格を有する。

産褥精神病の概要

産褥精神病は稀ではあるものの、緊急対応が必要な重症の精神疾患です。発症率は1,000~2,000の出産に1件とされていますが、早期の支援と適切な治療が重要です。

産褥精神病の原因

複数の要因が重なり合うことで発症すると考えられています。

内分泌系の激変

出産直後はホルモンバランスをはじめとする母体の生理機能が大きく変化し、これが精神面に影響を及ぼすとされています。

環境の変化

出産によって母親としての新たな役割を担うことになり、生活環境や人間関係が大きく変わります。こうした変化にうまく適応できないと、精神的な負担が高まる可能性があります。

育児に伴う疲労

夜間の授乳や慣れない育児により、身体的・精神的疲労が蓄積しやすくなります。十分な休息がとれない状況が続くことで、精神状態が不安定になることがあります。

心理社会的要因

もともと精神疾患を抱えていたり、パーソナリティの傾向、パートナーとの関係性や周囲からのサポートが不足している場合など、さまざまな背景が影響すると考えられます。また、経済的な不安が強い場合もストレス要因となり得ます。

周産期のメンタルヘルスの問題

厚生労働省の人口動態調査(2015~2016年)によると、妊娠中から産後1年未満の女性の死亡原因の一つとして自殺が挙げられています。このことからも、周産期(妊娠期から産後)のメンタルヘルスに十分な配慮が必要であることがわかります。

産褥精神病の前兆や初期症状について

発症の経過

出産後の数日間は潜伏期間(清明期)
出産直後の数日間は、症状がはっきり表れない潜伏期とされています。

その後、前駆症状が現れて発症
潜伏期を経て、徐々に精神症状が出始める前駆症状がみられます。

発症のピークは産後2~3週間
一般的に産後2~3週間ごろが、産褥精神病を発症しやすい時期とされています。

初期症状

不眠
「よく眠れない」「寝つきが悪い」「夜中に何度も目が覚める」などの症状が続く

焦燥(しょうそう)
「落ち着かない」「気持ちがそわそわして何も手につかない」など、強い不安やイライラが出やすくなる
抑うつ
「気分が沈む」「何をしても楽しめない」「意欲がわかない」などの落ち込みが見られる

主な特徴

産褥精神病は、気分の大きな変動をはじめ、以下のような症状が混在して現れることが特徴です。

幻覚・妄想
現実にはない声が聞こえたり、根拠のない思い込みが強くなる

錯乱・昏迷(こんめい)・困惑
思考や行動が混乱して、言動にまとまりがなくなる

激しい興奮
理由なくイライラしたり怒りっぽくなるなど、感情の起伏が大きくなる

症状が現れたら産婦人科、精神科を受診しましょう。

産褥精神病の検査・診断

産褥精神病(出産後の時期に起こる精神疾患)を疑う場合、さまざまな視点から状態を評価していきます。以下では、主な検査・診断方法やチェックリスト、入院が必要になるケースなどをご紹介します。

1. 問診

出産前後の状態や既往歴を詳しく聞き取る
妊娠届を出す際や産科の初診時に、過去に精神科を受診したことがあるかどうか、妊娠をどのように受け止めていたか、家庭環境・パートナーとの関係性などを確認します。
精神的に不安定になった経験がある場合や、妊娠が思いがけないものであった場合などは、特に注意して観察する必要があります。

2. スクリーニングツール(質問票)

妊娠中から産後まで、メンタルヘルス状態を早期に把握するために、いくつかの質問票やチェックリストが活用されます。

NICEの質問法(英国国立医療技術評価機構のガイドライン)

妊娠中・産後のすべての方に対するスクリーニングが推奨されています。過去1ヶ月の落ち込みや意欲低下などを問う質問に1つでも「はい」がある場合、精神科受診を考慮する場合があります。

うつ病に関する2項目質問法

  • 「過去1ヶ月の間に気分が落ち込んだり、絶望的な気持ちになることがあったか」
  • 「過去1ヶ月の間に、以前は興味のあったことが楽しく思えなくなったり、やる気が出ないことが多かったか」

これらの質問に当てはまる場合、専門家の受診を検討します。

不安を測る簡単な質問法

  • 「この1ヶ月、ほとんど毎日、不安感や緊張感が続いていたか」
  • 「心配が止められずコントロールできないことがあったか」

不安障害の疑いがあるかどうかを確認するための簡易ツールです。

マタニティ・ブルーズ日本版尺度

産後に見られる一時的な気分の落ち込み(マタニティ・ブルーズ)を客観的に評価するための質問票です。「今日の気持ち」についてあてはまるものに○をつけ、得点が一定以上の場合は注意が必要となります。

EPDS(エジンバラ産後うつ病質問票)

妊娠中から産後にかけて、助産師や保健師などが母親の状態を把握するために用いるスクリーニングツールです。
得点が9点以上(海外の基準では10~13点以上)の場合、うつ病の可能性があると判断されます。ただし確定診断はあくまでも医師が行います。
点数が低くても「うつ病ではない」と断定できるわけではないため、総合的な評価が必要です。

産褥精神病の治療

1. 緊急対応の必要性

重症度が高い産後の精神疾患
産褥精神病は、産後に起こり得る精神疾患の中でも特に症状が重く、急速に悪化する場合があります。
自殺防止・乳幼児の安全確保
母親の自傷や赤ちゃんへの危害を防ぐためにも、早急な専門的治療やサポートが必要となります。場合によっては精神保健福祉法に基づく医療保護入院が検討されます。

2. 薬物療法

抗精神病薬
主に幻覚・妄想・興奮などの症状を抑えるために使用されます。代表的な薬としては、ハロペリドールやクロルプロマジンなどが挙げられます。
投与の方法
経口投与(飲み薬)のほか、興奮が激しい場合などには、鎮静効果の高い抗精神病薬の筋肉注射が使われることもあります。

3. 入院治療(精神保健福祉法による医療保護入院)

強い興奮・錯乱状態の場合
母親自身や周囲への危険が予想されるような状態では、専門病院への入院が必要となることがあります。
身体拘束とリスク対策
極めて危険な興奮状態など、やむを得ない場合には身体拘束が行われることもありますが、産後は血栓症のリスクが高いため、必要に応じて抗凝固療法(血を固まりにくくする治療)を併用する場合があります。

産褥精神病になりやすい人・予防の方法

1. 産褥精神病になりやすい人の特徴(リスク因子)

現時点では「この条件の方が必ず産褥精神病になりやすい」という明確な特徴は特定されていません。ただし、以下のような要素があるとリスクが高まる可能性があります。

精神疾患の既往歴

妊娠前や妊娠中に、うつ病や双極性障害などの精神疾患がある場合、産前・産後のホルモン変動や生活環境の変化によって、症状が再発・悪化しやすいと考えられています。

社会経済的リスク因子

経済的な困窮家族の支援不足人間関係の不安定など。妊娠・出産による負担が重なり、メンタルヘルスが不安定になりやすい背景があります。

妊娠・出産・育児の身体的・心理的負担

妊娠中や産後は、ホルモンバランスの急激な変化や睡眠不足などによるストレスがかかりやすい時期です。
「新しい生活に適応しなければ」というプレッシャーも加わり、体力面だけでなく精神面でも負担が大きくなります。

予期しない妊娠・パートナーとの関係

思いがけない妊娠や、パートナーへの不安・恐怖感がある場合。
サポートが得られない状況下では、精神的ストレスがさらに大きくなる可能性があります。

双極性障害の既往

うつ病エピソードだけでなく、双極性障害(躁うつ病)の既往がある場合は特に注意が必要です。

2. 産褥精神病の予防法

多職種連携による早期支援

  • 産科や地域保健、精神科のスタッフが連携し、早い段階で妊婦さんの心身の状態を把握する

2016年度診療報酬改定により、精神疾患をもつ妊産婦はハイリスク管理加算の対象となり、産科医と精神科医の連携も強化されています。

リスク因子の早期発見と対応

  • 妊娠届や産科初診時に、NICE(英国国立医療技術評価機構)の質問法などを用いて、うつ病や不安障害の兆候をスクリーニングする
  • もし1つでも心配な項目があれば、必要に応じて精神科受診を検討する

精神科との連携

  • 過去に精神科を受診した経験があったり、メンタルヘルスに不安を抱えている場合は、早めに精神科医と連携して治療方針を立てる

産前・産後を通じて継続的なサポートを受けられるよう調整することが望ましいです。

継続的な精神面支援体制の構築

  • 医療機関、行政、保健センターなどの連携を強化し、必要に応じてカウンセリングや訪問指導を行う
  • 地域で利用できるサポート制度(母子保健サービス、育児支援など)を早めに活用する

家族を含めたサポート体制

  • 十分な休養をとれるように、パートナーや家族が積極的に育児や家事を分担する
  • 家族間で情報を共有し、産後の不調や気になる様子があれば早めに相談できる体制を整える

分娩直後からの予防的薬物療法

うつ病や産後うつ病の既往歴がある方は、精神科医と相談のうえ、出産直後から症状を抑える薬を投与するケースもあります。薬を使う場合、母乳育児との兼ね合いも含めて、医師と十分に相談することが大切です。

ハイリスク管理加算の活用

  • 精神疾患を抱える妊産婦に対し、産科や精神科で適切な診療体制を整え、必要時には医師や相談機関へつなぐ

関連する病気

参考文献

  • 吉田敬子 : 母子と家族への援助.金剛出版,2000
  • 日本産科婦人科学会,日本産婦人科医会編監:産婦 人科診療ガイドライン産科編 2017,日本産科婦人科 学会,東京,2017

この記事の監修医師