

監修医師:
栗原 大智(医師)
目次 -INDEX-
遺伝性網膜ジストロフィーの概要
遺伝性網膜ジストロフィー(Inherited Retinal Dystrophy: IRD)は、遺伝子の異常によって生じる家族性の網膜疾患の総称です。
代表的な疾患に網膜色素変性症(Retinitis Pigmentosa: RP)などが含まれます。これらの疾患では網膜の視細胞(光を感じる細胞)や網膜色素上皮細胞が徐々に変性・消失し、進行性の視力障害をきたします。初期症状として暗所で見えにくくなる夜盲や、視野が狭くなる視野狭窄が典型的で、進行すると視力低下や失明につながることもあります。遺伝性網膜ジストロフィーは希少疾患ですが、原因となる遺伝子は80種類以上報告されており、多様な遺伝形式と異なる症状を示します。
遺伝性網膜ジストロフィーの原因
遺伝性網膜ジストロフィーの原因は遺伝的要因と環境要因に分けることができます。
遺伝的要因
遺伝性網膜ジストロフィーの原因となる遺伝子は多数あり、その変異によってさまざまな病型を引き起こします。現在までに約80種類以上の原因遺伝子が報告されており、それぞれ遺伝形式や症状に違いがあります。
環境要因
遺伝性網膜ジストロフィーは基本的に遺伝子変異が原因であり、生活環境が直接の発症原因となることはまれです。ただし、一部の薬剤や外的要因が網膜変性を引き起こす場合があります。例えば、網膜毒性を持つ抗てんかん薬や抗マラリア薬の長期投与、あるいは重度の感染症・外傷による網膜障害が、遺伝子異常がない方にも発症するケースが報告されています。
また、遺伝的に網膜色素変性症を持つ患者さんでも、光障害や酸化ストレスなど環境要因が病状に影響を及ぼす可能性があります。強い日光曝露や喫煙による酸化的ダメージは網膜細胞の負担となることがあります。ただし、現時点で環境要因が発症率や進行速度に与える影響について、明確なエビデンスはありません。
遺伝性網膜ジストロフィーの前兆や初期症状について
遺伝性網膜ジストロフィーでは、幼少期から青年期にかけて徐々に視覚症状が現れることが多いとされています。主な初期症状として以下が挙げられます。
夜盲(とり目)
暗い場所や夜間で物が見えにくくなる症状です。
視野狭窄(周辺視野の欠損)
視野の周りから見えなくなっていき、視野が筒状に狭くなります。
羞明(まぶしさ)と色覚異常
初期から明るい光に対するまぶしさ(羞明)を訴えることがあります。また、視細胞の異常により色の見え方が鈍くなったり、一部の色が判別しづらくなる色覚異常が起こることもあります。
視力低下
初期には夜間以外の視力は保たれますが、病状が進むにつれて中心視力も低下してきます。
また片眼性ではなく両眼性(ほぼ同時期に発症)である点も特徴です。これらの症状があれば眼科を受診するようにしましょう。
遺伝性網膜ジストロフィーの検査・診断
遺伝性網膜ジストロフィーが疑われる場合、眼科で各種検査を行います。診断確定には遺伝学的検査も重要であり、臨床所見と遺伝子情報を総合して判断されます。主な検査項目は以下の通りです。
視力検査
初期には視力が保たれることも多いですが、進行に伴い視力低下が生じるため経過観察において重要です。矯正視力が0.1以下で社会的失明と定義されるため、公的支援の判定などにも関わります。
視野検査
ゴールドマン視野計や自動視野計を用いて、周辺視野の状態を調べます。視野検査は自覚症状よりも早期に異常を検出でき、病状の客観的評価に欠かせません。
眼底検査
瞳孔を開く散瞳検査により眼底を観察します。暗赤色に見える正常眼底に対し、RPでは網膜に黒い色素沈着(骨小体様沈着)が点在し、網膜血管が細くなり視神経乳頭が蒼白化する特徴が見られます。これらの典型的所見は診断の強い根拠となります。
光干渉断層計(OCT)
OCT検査では網膜を断面像として観察し、視細胞層の厚みや構造変化を詳細に確認できます。遺伝性網膜ジストロフィーでは網膜全層の菲薄化、特に視細胞層の消失が進行に伴い認められます。
網膜電図(ERG)検査
暗室下と明室下で網膜に光刺激を与え、杆体細胞や錐体細胞それぞれの電気的応答を記録します。網膜色素変性症では初期から暗所応答(杆体応答)の振幅低下が見られ、中期以降は明所応答(錐体応答)も減弱し、進行すると両者とも消失することが多いです。ERGは視機能の客観的な指標であり、まだ症状が軽微な段階でも異常を検出できるため早期診断に役立ちます。また遺伝子治療などの効果判定にも用いられます。
遺伝子検査
血液もしくは口腔粘膜から抽出したDNAを解析し、原因となる遺伝子変異を特定します。近年は網膜ジストロフィー遺伝子パネル検査(多数の関連遺伝子を同時解析する方法)が開発され、日本でも保険適用となりました。遺伝子検査によってどの遺伝子のどんな変異が原因か確定することで、遺伝形式の判別が可能となり家族内リスクが明確になります。また原因遺伝子に応じた治療法(遺伝子治療など)を検討でき、適切な遺伝カウンセリングを行う上でも重要です。
遺伝性網膜ジストロフィーの治療
遺伝性網膜ジストロフィーに対しては、残念ながら根本的に病気を治す治療法(視細胞を元通りにする治療)は確立されていません。しかし近年、一部の疾患に対して画期的な治療法が登場し始めています。また、症状を緩和したり進行を遅らせるための対症療法やリハビリテーションも重要です。
遺伝子治療
2017年、アメリカFDAが世界初の網膜遺伝子治療薬「ルクスターナ(voretigene neparvovec)」を承認しました。ルクスターナは臨床試験では夜盲の改善や視野拡大など有効性が確認され、幼少期発症の重症例で視力の向上も報告されました。ルクスターナは遺伝性網膜ジストロフィー初の承認治療です。日本でも「遺伝性網膜ジストロフィー(RPE65変異)に対する遺伝子治療」として2020年に厚労省承認され、治療が開始されました。対象は限定されますが、今後ほかの遺伝子型への遺伝子治療応用も期待されています。
人工網膜(網膜プロテーゼ)
進行が極めて進んだ末期の患者さんでは、残存する視細胞がほとんどなくなり電気的刺激による視覚の再獲得が試みられています。その一つが人工網膜と呼ばれる視覚プロテーゼの植え込みです。代表例の「Argus II(アーガスツー)網膜プロテーゼシステム」は、カメラ付き眼鏡で捉えた映像信号を眼内の電極チップに送り、網膜の神経細胞を直接刺激して視覚情報を脳に伝達する装置です。この装置は2013年に米国FDA承認を取得され、日本でも少数例に手術が行われ、長期安全性と有用性が報告されています。ただし、人工網膜が提供できる視覚は健常時のそれとは大きく異なり、解像度や色の情報は極めて限定的です。それでも、視細胞がほぼ残っていない終末期RPに対する視覚リハビリテーション手段として人工網膜は重要な選択肢となりつつあります。
薬物療法
根本的な治療薬はないものの、一部のビタミン剤や循環改善薬が視細胞保護目的で用いられることがあります。例えばビタミンA高用量療法がある程度進行を抑制するという報告もあります。ただし、過剰なビタミンAは肝機能障害のリスクがあるため過剰投与には注意が必要です。一方、ビタミンEについては高用量摂取でむしろ病勢が悪化したという報告があり、400IU以上の大量摂取は避けるべきとされています。
遺伝性網膜ジストロフィーになりやすい人・予防の方法
遺伝性網膜ジストロフィーは遺伝子起因のため、これをすれば発症を防げるという確立した予防法はありません。しかし、網膜への負担を減らし細胞の健康を保つために有用と思われる生活上の工夫がいくつかあります。
強い光から眼を守る
網膜は強烈な光にさらされると酸化ストレスが生じ、視細胞へダメージを与える恐れがあります。紫外線や青色光をカットする遮光眼鏡(色付きフィルターレンズ)を日中屋外で使用することが推奨されます。また帽子の着用や日陰の利用などで直射日光を避ける工夫もよいです。
酸化ストレスの軽減
網膜色素変性症では酸化ストレスが病的に亢進しており、特に杆体が失われた後の錐体細胞死に強く関与すると考えられています。酸化ストレスとは体内で発生する活性酸素種による細胞へのダメージで、喫煙や過度の紫外線曝露、不健康な食生活などで増大します。したがって、禁煙はもちろん、抗酸化作用のある食品(具体的には緑黄色野菜や果物に含まれるビタミンC・ビタミンE、カロテノイド(ルテイン、ゼアキサンチン)など)をバランス良く摂取することが望ましいとされます。
ビタミンAの活用
ビタミンAは視物質ロドプシンの再合成に不可欠であり、網膜の機能維持に重要な栄養素です。ただし、ビタミンAは過剰摂取による肝障害や骨密度低下などの副作用が懸念されるため、自己判断で大量に摂ることは避けるようにしましょう。一方で、ビタミンEについては先述の通り注意が必要で、普通の食事やマルチビタミン程度で十分であり、高用量サプリメントは推奨されません。
関連する病気
- 網膜色素変性症
- 黄斑ジストロフィー
- コーンロッドジストロフィー
参考文献
- 日本人における定型網膜色素変性の遺伝的特徴を解明 ~病因の把握により、治療法の開発・治療適応の選定に期待~ | 研究成果 | 九州大学(KYUSHU UNIVERSITY)
- KAKEN — 研究課題をさがす | 2021 年度 実施状況報告書 (KAKENHI-PROJECT-20K18340)
- 先進医療審査の事前照会事項に対する回答1
先進医療技術名: 遺伝性網膜ジストロフィーにおける遺伝子診断と遺伝カウンセリング
- The First Epiretinal Implant for Hereditary Blindness in the Asia-Pacific Region - PMC
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- 網膜色素変性




