渡邉先生
病気が発覚した後の治療はどのように進みましたか?
佐野さん
最初は1ヵ月くらいで退院できると言われたのですが、腎臓の障害に対するステロイド剤治療の影響もあり免疫力が落ちて敗血症になってしまいました。一番辛かったことは、敗血症がなかなか治らなかったことですね。抗生剤を3〜4回変えてもだめで、40℃近い熱が2週間くらい続きました。
渡邉先生
敗血症がご自身の治療の中では一番辛かったのですね。
佐野さん
もう恐ろしかったですね。そのため、その後の抗がん剤治療についてはあらかじめ治療計画も立てられていたので、特に不安は感じませんでした。治療は順調に進み、抗がん剤で血液中のがん細胞を限りなくおさえた2〜3ヵ月後に造血幹細胞を採取しました。
渡邉先生
1回で取れましたか?
佐野さん
1回で取れました。取れない人もいるそうですね。
渡邉先生
いますね。骨髄を壊してしまうような抗がん剤を長期間使用すると幹細胞が取れなくなってしまう可能性もあるため、採取を予定している方には計画的に治療をおこなっています。
佐野さん
なるほど。治療についてもう少し詳しく教えてください。
渡邉先生
ここ15年くらいで多発性骨髄腫の治療は進歩しました。免疫調整薬やプロテアソーム阻害薬、抗体療法がそれぞれ何種類も上市され治療の選択肢は広がっています。65歳以下の方には佐野さんが受けたような自己末梢血幹細胞移植を行います。つまり、大量の抗がん剤を使えば病気を倒す力は強くなる一方で、ご自身の造血能を失ってしまう可能性があるため幹細胞を事前に採取して抗がん剤治療後に体へと戻します。以前は幹細胞がうまく採取できない人もいたのですが、治療は日々進歩しており採取できる確率も改善しています。
佐野さん
私も幹細胞を採取するときに何度も言われました。私が使用した抗がん剤は腎臓に影響がありましたが、最近のカーティ(CAR-T)細胞療法はいかがですか?
渡邉先生
腎臓には直接の影響はありません。
佐野さん
私が多発性骨髄腫だと告知されたとき、血液のがん治療は年々進化していて、1〜2年で変わっていくからそんなに心配しなくても良いと言われました。カーティ(CAR-T)細胞療法は私が治療を経験した3年前には認可されていなかった治療だと思うのですが、認可されたのは去年ですか?
渡邉先生
そうですね。当時も白血病に対する治療としてカーティ(CAR-T)細胞療法はありました。多発性骨髄腫ではBCMAという骨髄腫細胞に出ている抗原を攻撃する人工的な免疫細胞を作る治療です。
佐野さん
治療はどのように行うのですか?
渡邉先生
患者さん自身のリンパ球を取らせていただいて、そのリンパ球にBCMAを認識して攻撃するような成分(キメラ抗原受容体)を入れていきます。
佐野さん
遺伝子組み換えをした、すごく強い兵隊ってことですか?
渡邉先生
多発性骨髄腫だけを攻撃するような兵隊ですね。
佐野さん
抗がん剤治療と同じように健康なほかの細胞に対してダメージはあるのでしょうか?
渡邉先生
ほとんどありません。ただし攻撃のときに炎症反応が起きることで、体調を崩す可能性はあると思います。そういった場合の対応も白血病での治療経験から分かっているので、安全性は高いようです。
佐野さん
安心ですね。
渡邉先生
そうですね。問題は作成できるかということです。自分の細胞を使うので、ご自身のリンパ球が弱ってしまうとなかなかうまく作れない可能性もあります。このため使用のタイミングは議論されており、再発時に今までの標準治療の組み合わせを試して、それでも効果がない場合にはCAR-T細胞療法や二重抗体療法が選択されます。
佐野さん
二重抗体療法は初めて聞きました。
渡邉先生
二重抗体療法で使用される抗体はBCMAを認識する成分とご自身のリンパ球に付く成分の両方を持ち合わせた抗体です。分かりやすく説明すると、警察官を泥棒の近くに連れていくような治療で多発性骨髄腫を攻撃する治療法になります。
佐野さん
その警察官は信用できるのですか?
渡邉先生
ご自身の細胞なので大丈夫です。既に白血病や悪性リンパ腫では使用されていたのですが、同様の治療法が多発性骨髄腫でも承認されて今年から使用できるようになりました。
佐野さん
この2〜3年で急激に治療法が認可され、広がってきているということですね。
渡邉先生
そのとおりですね。
佐野さん
私も来年70歳になり、正直どこまで生きるのだろうなと思っています。70代半ばで西田敏行さんや火野正平さんも亡くなって、あと5年どうやって生きるかを考える一方でこんなに元気なので、90歳まで生きたら面白いという気持ちもあります。いつ再発して亡くなってもおかしくありませんが、できれば8:2の割合でこの寛解状態が続くと願いたいですね。
渡邉先生
長く続いてほしいですね。がんを経験して仕事への向き合い方に変化はありましたか?
佐野さん
現場復帰できたときの喜びというのは病を越えないと味わえない感覚もあったので、それからは一瞬一瞬をものすごく大切に感じるようになりました。
渡邉先生
大切な変化ですね。
佐野さん
ただ、最近ではそういったありがたみも慣れてくると薄れてくるのだなとも感じています。いい気なものです。もともと私が芸能の仕事に携わるうえで大切だと考えている死生観は生きていることがベースではなく、僕らは実はいないことが当たり前だという上に生かされているのだと思っています。この世に現れて存在していること自体が奇跡です。
渡邉先生
すばらしい考え方ですね。
佐野さん
実際に病気で死ぬかもしれないと思って、なんとか敗血症を乗り越えたときに人間は特別な存在ではないと改めて感じました。虫が殺せなくなり、草木がふめなくなって、一番極端だったのは部屋の隅にあるほこりと自分は同じ存在価値のものだということが腑に落ちて、救いも感じられました。それが一番変わったことですね。
渡邉先生
早期に発見することの重要性については、やはり佐野さんは発症したときに腎臓の機能が回復不能なレベルまで陥っていなかったことが非常に大事だと思います。患者さんの中には背骨が折れて足の麻痺の出現をきっかけに病気が発覚するケースもあります。早期に病気を発見することは治療を円滑に進めるためにも非常に重要です。
佐野さん
発見は早かったということですか?
渡邉先生
そう思います。佐野さんは最初のきっかけが熱を出したことで、そこでしっかり採血をして、データの異常を読み取って血液内科の医師に紹介してくださった先生もすごいと思います。コロナ禍で日ごろから熱を測っていたことも大きかったですよね。
佐野さん
コロナ禍のおかげもあったかもしれませんね。
渡邉先生
多発性骨髄腫にはMGUSという前段階があり、そこから年に1%ずつくらいの人が多発性骨髄腫に移行していくことが多いと考えられています。
佐野さん
MGUSとは何ですか?
渡邉先生
多発性骨髄腫の前段階の疾患です。多発性骨髄腫へ進行しそうな病態を早めに発見し治療を準備しておけば、ひどい合併症を起こす前に治療を開始できることもあります。そのためには、定期的に健康診断を受けることが重要です。特に総蛋白が増えている場合は多発性骨髄腫で増加するM蛋白が背景に隠れている場合もあるので、注意してください。
佐野さん
健康診断は大切ですね。闘病中に自分と同じ多発性骨髄腫を乗り越えた人からメッセージをいただくと本当に励みになりました。治療して3年後にはこういうケースもあるということは現状提示できるので、治療にも前向きになってもらえればと思います。