
清水先生
当時行った治療について聞かせていただけますか?
河本さん
薬物療法以外では、時間に縛られず眠気や空腹といった体の感覚を大切にしながら、無理のない生活を送るよう勧められました。姉の協力もあり、食事や入浴も決まった時間にこだわらず過ごしました。
清水先生
お姉さんの協力があったのですね。
河本さん
はい。うつ病について打ち明けたところ、姉がそばで見守ってくれるようになりました。姉自身もパニック障害の経験があったため、過度な声かけが負担になることを理解しており、そっと様子を確認するかたちで支えてくれましたね。
清水先生
お姉さんも同じような経験をされているということで、対応がとても的確だと感じました。それ以外にアドバイスは受けましたか?
河本さん
思ったことをメモに残すことも勧められ、書ける日にだけ一行日記のように記録を残すようにしていました。
清水先生
記録を残してみて、何か変化はありましたか?
河本さん
記録を残すまでは泣くことができず、楽しみもない完全に無の状態だったのですが、書き続けていると次第に怒りの感情が出てくるようになりました。
清水先生
イライラするのは嫌ですが、感情が出てきたこと自体は、回復の過程として見られることもありますね。休養期間はどのような気持ちで過ごしていましたか?
河本さん
芸人になって32年間、膵炎以外で長期に休んだことはないため、自分では怠けているとしか思えませんでした。周囲の生活音や人の声にも過敏になり、自分だけが取り残された感覚に陥っていたことを覚えています。
清水先生
医師からは、できることをやりながら休んでくださいと言われたと思うのですが、休んでいてよくなるのか疑問は感じませんでしたか?
河本さん
感じていました。
清水先生
その状況に何か変化を加えようとしましたか?
河本さん
休養してからしばらくたった頃、天気も良かったので近所の公園を歩けるときがありました。休むことに罪悪感もあり、せめて散歩ぐらいはしようと思って出かけたのですが、すれ違う人たち全員に何か言われているように感じてしまいました。
清水先生
実際に声はかけられたのですか?
河本さん
実際に体調を心配して声をかけてくれたのは1人だけでしたが、周囲の全員から怠けものだと言われているように感じて、その場から歩けなくなりました。そのときベンチに座りながら、どこか全く知らない国へ行きたいと思ったのを覚えています。
清水先生
実際に行動されたのですか?
河本さん
長年連絡も取っていなかったマレーシア在住の後輩芸人に電話して、泣きながら病気のことを打ち明けました。相手は話を聞いたうえでマレーシアに来るよう声をかけてくれ、その言葉に背中を押され、マレーシアへ行く決断をしました。
清水先生
実際にマレーシアに行き、どうでしたか?
河本さん
最も大きかったのは、自分にとっての逃げ場ができたことですね。誰にも知られていない環境で、気候は暖かく日照時間も長いため、心身の負担が少ない場所だと感じました。
清水先生
環境も全然違いますね。
河本さん
初めて行った国なのに心のよりどころのように感じて、何気なく会話できる相手がいるだけで、こんなに救われるのだと実感しました。
清水先生
なるほど。
河本さん
日本では、日常のささいなことを口にする難しさを感じていましたが、マレーシアでは気軽に会話できる相手が多く、その環境が自分には合っていました。
清水先生
環境が変わったことで、考え方も変わったのですね。
河本さん
人それぞれだと思いますが、「今ならできるかもしれない」と一歩踏み出せる瞬間がふと訪れることもあると思います。その感覚は本当に一瞬です。それを逃してしまうと、その日は全く動けなくなってしまうこともあるので、その僅かなタイミングを大切にしてほしいと思います。
清水先生
この言葉は患者さんに伝えたいですね。
河本さん
玄関まで行って靴を履くこと自体が大きな一歩です。たとえ外出できなくても失敗ではなく、挑戦した行動として評価されるべきだと思います。自分を減点方式で見がちですが、小さな行動一つひとつを加点で捉えることが大切です。また、失敗したとしても一つのミスを過度に重く受け止め、それまでの積み重ねをなかったことにしてしまうのは、やめてほしいと思いますね。
清水先生
同感ですね。
河本さん
サッカーに例えると、パスを6本つないだ後にシュートが外れると失敗ばかりが注目されがちですが、本来はそこまでの過程こそ評価されるべきです。うつ病の人にも結果だけでなく、「そこまでよく頑張った」という視点で受け止めてほしいと思います。
清水先生
芸人の世界はどうですか?
河本さん
私の経験した32年間は、ほとんどが減点方式でした。
清水先生
つらいですね。
河本さん
マレーシアではうまく話せなくても受け入れられ、それを笑いとして受け止められたのが大きな変化につながりました。以前は小さな失敗も許せず自分に厳しくしていましたが、49歳のときに「完璧でなくてもいい」と思えるようになり、自分を受け入れられるようになりました。その意味で、うつ病を経験したことは自分にとって一つの転機だったと感じています。
清水先生
症状が一度落ち着くと「もう大丈夫」と考え、思考や生活環境を変えないまま復帰してしまう人も少なくありません。しかしその場合、再発のリスクも高くなります。河本さんのように、思考や生活環境を見直す視点を持つことが大切です。
河本さん
うつ病の人は真面目な分、こうあるべきだと自分を枠にはめてしまいがちです。その枠から少しでも外れると本来の自分ではないと感じ、無理に修正しようとしてしまうことも少なくありません。しかし、そうした一面も含めて自分の一部だと受け止めることが大切だと思います。
清水先生
そのとおりですね。
河本さん
休養は重要ですか?
清水先生
実際には責任感が強く、周囲に迷惑をかけるほうがつらいと感じる人も多いので、その人に合った形で休むことを勧めています。ストレスを減らすことを休養と考えれば、短期間でもしっかり休むことが大切です。
河本さん
私がマレーシアに行ったように、転地療法は効果がありますか?
清水先生
うつ病治療の基本は環境調整、薬物療法、心理療法の三つです。いろいろな要素が重なって、いい効果をきたす可能性はありますが、転地療法の効果に対する科学的な根拠はありません。
河本さん
どれくらいの確率でうつ病は発症するものなのでしょうか?
清水先生
World Mental Health Survey Initiative(WMH)の18か国調査によると、日本人は一生のうちに、7人に1人はうつ病を発症すると言われています。また、多くの精神疾患は再発しやすく、繰り返すほどそのリスクが高まる点にも注意が必要です。
河本さん
再発した場合は重症化しやすいのでしょうか?
清水先生
症状は重くなりやすく、完全に回復せず不調が残ってしまうケースも少なくありません。一方で早期に治療を始めることで不調が長引きにくい傾向にあると言われています。何か不調を感じた段階で早めに相談する姿勢が大切なのだと思います。