アグネスチャン「乳がん」で全摘出を覚悟。舞台に戻り命の尊さを伝える(1/2ページ)
乳がんは早期発見できれば治る確率の高いがんであるにもかかわらず、日本の検診受診率は先進国で最低レベルなのだそうです。早期発見のために、私たちはどうしたら良いのでしょうか。
今回は2007年に乳がんと診断され、手術や放射線治療、ホルモン剤治療を経験したアグネス・チャンさんを迎え、治療中の思いなどを乳がん専門医の魚森俊喬先生と語っていただきました。
アグネス・チャン(歌手、エッセイスト)
歌手、エッセイスト、教育学博士。 初代日本ユニセフ協会大使。
香港生まれ。1972年「ひなげしの花」で日本デビュー。1985年に結婚し、3人の息子を育て3人全員がスタンフォード大学を卒業。2007年、初期の乳がんと診断され摘出手術を受ける。 2008年に日本対がん協会初代「ほほえみ大使」就任。著書に「東京タワーがピンクに染まった日〜今を生きる」など。
監修医師:
魚森 俊喬(医師)
ケアリボン乳腺クリニック北千住 院長。浜松医科大学を卒業後、聖隷浜松病院や順天堂大学医学部附属順天堂医院乳腺科(乳腺センター)、順天堂大学医学部附属練馬病院などで経験を積み、2023年より現職。『患ったこと以外、全てを幸せにする』をモットーに、心と身体のトータルなケアを心がけている。医学博士、日本乳癌学会専門医、日本外科学会専門医、日本がん治療認定医機構がん治療認定医、乳がん検診超音波判定医(A)、検診マンモグラフィ読影認定医(AS)、乳房再建実施医師。
ふとした胸のかゆみと違和感が“乳がん”の始まりだった。新しい乳がん治療の選択肢
魚森先生
はじめにアグネスさんの現在の生活を教えてください。
アグネスさん
2007年に乳がんと診断され、手術や放射線治療、ホルモン剤治療を終えて現在は経過観察のための通院のみです。
先生からは「ストレスをためないこと」「運動すること」と言われていますが、運動は苦手なので、友人に勧められたピラティスやウォーキングをしています。太ってはいけないとも言われましたが、なかなか(笑)。
魚森先生
そうですね。ストレスコントロールと体重コントロールが、乳がんの再発予防には最も大切なことです。
アグネスさん
それから、日本や香港、アメリカを行ったり来たりしているので、体にストレスをかけていないか心配ですが、基本的には仕事や遊びを楽しみながら充実した時間を過ごしています。
魚森先生
乳がんは、がんが乳管や小葉の中だけにとどまる「非浸潤がん」と、乳管の壁を破ってがん細胞が浸潤する「浸潤がん」に分けられ、治療法も異なります。非浸潤がんの場合は局所療法だけで良いのですが、浸潤がんの場合は血管やリンパ管にがんが広がってしまうので、全身の病気として考えなくてはならないのです。
浸潤がんはさらに、浸潤性乳管がんと特殊型に分けられますが、アグネスさんは、特殊型の1種である「粘液がん」という、乳がんの中でも3%くらいと言われる珍しいタイプでしたね。
発覚のきっかけはなんだったのですか?
アグネスさん
本当に偶然でした。
乳がんが発覚する前の年に、お仕事で「リレーフォーライフ(命のリレー)」という活動を知りました。末期がんの女性たちが頑張って活動している姿に惚れ込んで「ぜひ現場に行きたい!」と思いました。翌年、実際に活動に参加して、がんについて色々と学ぶことができました。
魚森先生
そんなことがあったのですね。
アグネスさん
しばらく経ったある日、右胸がかゆいような気がして触ってみると、小豆くらいの大きさのしこりを見つけました。以前の私なら、そのまま放っていましたが「これは誰かに相談したほうがいい!」と悪い予感がしたので、3人の息子を産んだ時にお世話になった医師に相談したら「4人目ですか!?」と言われました(笑)。精密検査が必要だったので専門の医療機関を紹介していただき、細胞診を受けたところ「乳がんです」と告げられました。
魚森先生
どんなお気持ちでしたか?
アグネスさん
ドスン! と何かに撃たれたような感じでしたね。
魚森先生
乳がんが発覚するきっかけとして検診もありますが、しこりが圧倒的に多いので、やはり普段から自分の胸を触って小さなしこりでも受診して欲しいですね。
アグネスさん
本当にそう思います。私がおすすめしたいのは、お風呂です。湯船に浸かっていると血流が良くなるのか乳房が柔らかくなるので、小さなしこりでも気づきやすいと思います。ほぼ毎日湯船に入る日本人にはうってつけの方法だと思います。
魚森先生
日本で手術を決めたのはどういった思いからですか?
アグネスさん
私の姉は香港で医師として働いているので、乳がんの数年前に良性の唾液腺腫瘍が発覚した時は香港で手術をしました。でも乳がんは「手術は、治療のスタートに過ぎない」と言われたのです。手術後にもまだまだ治療が続くので、香港ではなく、近くにいる先生のもとで治療を決めました。
魚森先生
その通りですね。
乳がんは診断されてから5年10年と治療が続きますので、とても良い選択をされたかと思います。お仕事を続けながら手術のスケジュールを確保するのは大変だったのではないですか?
アグネスさん
それも不思議な偶然が重なりました。中国の『人民大会堂』でコンサートの予定がありましたが、建物の都合で延期になり、1週間くらいスケジュールが空いたのです。
そんな偶然のおかげで、9月末にがんと診断されましたが、翌月の10月1日に手術をすることができました。
魚森先生
その日付も運命的でしたね。
アグネスさん
その時は知らなかったのですが、10月1日は乳がん検診の日、ピンクリボンデーですよね。
魚森先生
そうです。手術についても聞かせていただけますか?
アグネスさん
執刀する先生は「リンパにも転移していないようなので、部分摘出手術で良いですよ」と言ってくれていたのですが、姉が手術前日に来日・来院して執刀医に「心配だから全部取ってください」と伝えたのです。そこで「でもまだ早期ですよ?」という執刀医と議論になってしまって……。
一通り議論したあとに「我々のおっぱいじゃないので、本人に聞きましょう!」と(笑)。
魚森先生
どう答えたのですか?
アグネスさん
私は医師ではないので正直わかりませんでした。両方とも医師であるため、どちらの言うことも理にかなっていると思いました。
結局、当初の予定通り「手術中にリンパを調べて、転移していたら全摘出、転移がなければ部分摘出」と決めました。
手術室に入る段階では麻酔から目覚めた時に、おっぱいが残っているのかわからなかったので、結構不安でしたね。
※退院日のお写真
魚森先生
部分摘出と全摘出にはそれぞれメリットとデメリットがあります。
部分摘出は、ご自身のお胸が残るというメリットがある反面、再発する方が30%くらいいますが、放射線治療でそのリスクを1/3に減少させることができます。術後、胸の形が少しいびつになってしまうデメリットもあります。
全摘出の場合は、局所再発率は限りなく0に近いのですが、やはり自分のお胸の喪失感があります。
アグネスさん
全摘出しても、再発率0にはならないのですか?
魚森先生
はい。乳腺の中に入ってくるクーパー靭帯などから再発することがありますので0%ではないです。
また、乳房の形に関しては、乳房再建術があります。
アグネスさん
再建術をした友人の胸を見せてもらったのですが、本当にとても綺麗で自然でした。「反対側もやってもらいたかった!」と笑っていたくらいです。
「全摘出するしかない」と言われている方もその辺りは心配しないでいただきたいです。
魚森先生
再建術にも人工物を入れる方法と、ご自分のお腹や背中、太ももなどから組織を持ってくる方法があります。
人工物を入れる方法はとても綺麗にできますが、少し違和感があるのと、例えば反対側が下垂している場合などは同じようには作れないというのが難点ですね。
アグネスさん
私は「部分摘出」としか公表していませんが、実は結構大きく取りました。でも背中のほうから組織を持ってきて再建し、とても自然な形にしてもらいました。自分の細胞なので違和感などはないですが、取った部分の感覚があまりありません。
魚森先生
そうですね。組織を剥がして持ってくるので、その部分の神経も無くなってしまいます。アグネスさんのおっしゃるように、感覚が無くなったり、ピリピリするような痛みやひきつれ感が残ったりしますね。
アグネスさん
新しい乳がんの手術や治療法は何かありますか?
魚森先生
手術以外の新しい治療法として、2023年に保険適用となった「ラジオ波熱焼灼療法」があります。細い針状の電極を差し込んで電流を流し、がんを焼灼する治療法で、皮膚を切開する必要がありません。
実用化まではもう少しといったところですが「乳がんを切らずに治せる時代」が少しずつ近づいているのでは、と思います。
アグネスさん
それは、乳がん患者にとって新たな希望ですね。
笑顔の舞台裏で乳がん治療と闘った。アグネスチャンが伝えたい命の尊さ
魚森先生
術後、短期間でお仕事に復帰されたと聞きました。
アグネスさん
そうですね。医師が「ドレーンが取れればコンサートできるんじゃない?」と言ってくれたので、10月1日に手術をして、10月6日にはコンサートをする予定でした。術後、思ったより体調が戻らず、何度も吐き、食欲もなく6日のコンサートはキャンセルしましたが、10日のコンサートは予定通り行うことができました。
魚森先生
色々ご苦労もありましたか?
アグネスさん
はい。術後におっぱいが小さくなることばかり心配していたのですが、術後は腫れるんですね。10日のコンサートでは、衣装がキツくて背中のファスナーが上がりませんでした。
さらに、右胸の手術だったので右手が思うように使えなかったのですが、私、左手でマイクを持つと音を外してしまう癖があったので(笑)。右手でどうにかマイクを持って歌いました。
魚森先生
お仕事を続けながら、放射線治療もされたのですよね?
アグネスさん
はい。治療自体は2〜3分ですが、地方の仕事もあったので毎日の通院が大変でした。でも、お友達ができて待ち時間に一緒に過ごしたり、お守りや食べ物を交換したり、大変だけど楽しかったですね。
看護師さんや放射線技師さんもいつも笑顔で、クリスマスには皆さんサンタさんの帽子をかぶって出迎えてくれたり、飴を配ってくれたりして……飴1個だけど、本当に嬉しくて気持ちが明るくなりました。
放射線治療をしていた時は、胸が焼き魚みたいな感じで焼け焦げていったのも辛かったですが、今は戻っています。
魚森先生
その後にホルモン治療をされたのですよね。
アグネスさん
その後のホルモン治療は、もっと辛かったです。
「更年期の症状が出る」と聞いていたのですが、それに加えて私の場合は湿疹が出ました。湿疹を隠すための厚塗りメイクが上手くなったのはこの頃です(笑)。湿疹だけなら良いのですが、コンサートの前日に顔がパンパンに腫れてしまった時は本当に悲しかったですね。顔が大きく目が小さくなり、メイクで応急処置してもらったのですが、自分の顔を鏡で見た時、泣いていいのか、笑っていいのか……。
その日のお客さんは「アグネスさん、テレビと違うなぁ」と思っていたと思います(笑)。
魚森先生
捉え方が前向きですね。
アグネスさん
でも、当時はすごくめげました。
当時小学生の三男も、私のこんな姿を見るのが辛かったようで、家にいても笑えない日もありました。
そんなある夜、三男が私のところに来て「今日のジョーク!」と言い、インターネットで仕入れてきた一発芸をやってくれました。その時は泣きながら大笑いして「子どもがここまでやってくれているのに、私は何て弱気だったんだろう……」と、そこからは前向きになりましたね。
魚森先生
ご家族で支え合うこともとても大切なことですよね。
アグネスさん
乳がんが再発しないためにはどうしたらよいでしょう?
魚森先生
これをしたら再発しない、というのはありません。大豆イソフラボンなどの効果が謳われているものもありますが、エビデンスはまだ確立されていません。やはり、ストレスをためないことが大事だと思います。
例えばステージ1だと再発率は10%ですが「その10%に入ったらどうしよう」と思うか「10人中9人は再発しない」と考えるかで、ストレスが変わってきますよね。
だから私は「神様しかわからないことで悩んだって仕方ないから、前向きに」とお話ししています。
もうひとつ大事なことは、検診ですね。
アグネスさん
私は、乳がんのお友達を作ることが大事だなと思います。
「乳がんになったからこそできること」を仲間と発見すると、自分の力が湧いてくるんですよ。
がん治療で孤独を感じている方は、ぜひ仲間を探していただきたいですね。
魚森先生
アグネスさんは、がん治療がよりよくなるような活動をたくさんしていますよね。
アグネスさん
はい。2008年から日本対がん協会の「ほほえみ大使」の活動をしています。当時の日本の乳がん検診の受診率が20%未満と知り、乳がん検診の受診をメディアで呼びかけたり、政府に働きかけて検診のクーポンを出してもらったりなどして、検診率を上げることに取り組んでいます。
魚森先生
検診の受診率をどうやって上げるかは、我々も頭を悩ませています。
アグネスさんのような著名な方が発信してくれるのは本当にありがたいですね。
受診率が上がらないのはどうしてだと思いますか?
アグネスさん
日本の女性は周りを優先して、自分のことを後回しにしてしまうからだと思います。
やっぱり自身の健康が大切です。そのため、男性にお願いします。お母様や奥様に「検診に行ってみたら?」と伝えてください。「検診の後に食事に行こうよ」や「僕のためだと思って行ってよ」など、なんでも良いので、男性に頑張っていただきたいと思いますね。
魚森先生
自分のことを後回し……それはすごくしっくりきます。日本の女性は、確かに自分のことを後回しにしてしまいますね。
アグネスさん
検診方法も、マンモグラフィとエコー検査があって、少しわかりにくいのかもしれませんね。
魚森先生
乳がん検診の方法としては、2年に1回のマンモグラフィのみが認められていますが、日本人の乳房はいわゆる「高濃度乳房」と言われていて、マンモグラフィで白っぽくうつるタイプが多く、同じく白くうつる乳がんを見つけにくいという難点があります。
一方で、しこりや石灰化の発見にはエコー検査よりもマンモグラフィが優れていますので、やはりどちらも受けていただきたいですね。
アグネスさん
ひとりで悩まずに何か少しでも気になることがあれば、お近くの病院で相談していただきたいです。検診に行って早期発見ができれば、乳がんはこわくないです。
魚森先生
そうですね。現在の制度では、検診を受けるタイミングが定められていますが、気になるところがあれば次の検診を待たずにぜひ相談してください。女性特有の病気で、受診を躊躇ってしまうお気持ちもわかりますが、何か力になれるはずですので、ぜひ相談してほしいです。
今日はアグネスさんのお話を聞いて、とても感銘を受けました。ありがとうございます。
アグネスさん
乳がんになる前は、生きているのは当たり前で、子どもたちの将来も当然見届けられると思っていましたが、乳がんになって、それは当たり前ではないと感じました。生きているだけで感謝です。こうやって皆さんと会ってお話ができているということも、ひとつの恵みだと思います。
がんになって、毎日がより輝くようになりました。それもやっぱり、早期発見・早期治療できたからです。
皆さんももっと、自分の体を大事にしてください。それが、自分のためにも、愛する人のためにもなります。魚森先生、今日はありがとうございました。
編集部まとめ
乳がんといっても種類があり、治療の選択肢、手術の選択肢もさまざまで、さらには早期発見のための検診方法にも種類があります。
今回の対談では、アグネスさんの経験を通し、さまざまな選択肢を専門医の立場で解説いただき、とても分かりやすかったのではないでしょうか。
「自分のことは後回し」にしている女性の皆さん、家族のために、大切な人のために、まずは乳がん検診の予約をすることから始めませんか。