【闘病】結婚式目前に発覚した「乳がん」 ステージ4、骨・肺・脳への多発転移(1/2ページ)

入浴前に鏡をみて、胸にしこりを見つけたという嘉藤さん。検査の結果は乳がんでした。その後、治療、再発を経てステージ4まで進行。骨・肺・脳への多発転移もみつかり、現在(取材時)も治療を続けています。そんな嘉藤さんに、これまでの治療や発覚の経緯、共に闘う乳がん患者さんへのメッセージなどを聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年12月取材。

体験者プロフィール:
嘉藤 美波
大阪府在住、1990年生まれ。家族は夫と犬。診断時の職業は会社員。翌月に結婚式を控えていた2022年11月に乳がんと告知される。2023年2月に左胸の全摘出(再建なし)を受け、病理結果はルミナールb、ホルモン弱陽性、HER2マイナス、ステージ3Aであった。3月に妊孕性温存治療で胚凍結をおこない、4月から7月まで抗がん剤治療を実施。その後、ホルモン治療や放射線治療をおこない、分子標的薬による再発予防をおこなうも、約一年後、骨・肺・脳への多発転移が同時に見つかる(ステージ4に進行)。生検ではトリプルネガティブへ変化していた。2回目の抗がん剤治療を開始。現在はパクリタキセル+アバスチンを組み合わせた抗がん剤で治療を続けている。
Instagram:katochami2820

記事監修医師:
寺田 満雄(名古屋市立大学病院乳腺外科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
翌月に結婚式を控えている中での乳がん告知

編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
嘉藤さん
私は人生で2度大きな病気を経験しました。1度目は20歳のとき、くも膜下出血を患いました。そして、2度目は今回の乳がんです。乳がんのしこりは、自分で発見しました。入浴前、何気なく鏡を見ていると、ビー玉くらいのしこりがポコッと浮かび上がっているのを見つけました。その瞬間、直感的に「これはまずい」と感じました。翌日は日曜日でしたが、休日でも診療しているクリニックを探して受診しました。検査を経て、乳がんであることを告げられました(ルミナールb、ホルモン弱陽性、HER2マイナス、ステージ3A)。
編集部
診断がついたときの心境について教えてください。
嘉藤さん
「ああ、やっぱりか」という想いと、「そうであってほしくない」という2つの感情が入り混じっていました。診断を受けた日は、主人と実母と私の3人で結果を聞きに行きました。不安はもちろんありましたが、当時は翌月に控えた大切な結婚式の準備が進んでいる最中でした。式の段取りやドレスも決まり、「あとは当日を迎えるだけ」という状況だったので、本当に結婚式を挙げられるのかという大きな不安がありました。
編集部
結婚式を挙げることはできたのですか?
嘉藤さん
はい。幸いにも主治医と相談をした結果、「まずは式を挙げてから治療に専念しましょう」と言ってもらいました。結婚式後、最初の通院の日には、主治医や看護師さんから祝福の言葉と「これから治療を頑張っていきましょうね」と励ましてもらえたことで、とても心強く感じました。
編集部
自覚症状などはあったのでしょうか?
嘉藤さん
しこりに気がつくまでは、自覚症状はまったくありませんでした。しかし、針生検を受けた後、検査した箇所の出血がなかなか止まらず、数日間は下着が血だらけになるほどでした。また、病巣部は少し物が触れるだけでも激痛を伴い、痛みに耐える日々を過ごしていました。このような状況の中で、胸を失うかもしれないという恐怖と、早くこの痛みから解放されたいという想いで、非常に複雑な感情が渦巻いていました。
さまざまな治療の選択肢から選んだ治療方法は
初発の抗がん剤時。脱毛が始まり、副作用もひどく出ていたころ
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
嘉藤さん
さまざまな治療の選択肢がある中で、主治医から伝えられたのは「手術先行」で全摘一択というものでした。同時再建の話もありましたが、初めて聞く内容ばかりで頭の中を整理することができませんでした。そのため、術前に人工乳房の工場を見学したり、あらゆる選択肢を調べたりしましたがなかなか決心がつかず、手術の日を先延ばしにしていました。
編集部
手術の決心がついたきっかけは何だったのでしょうか?
嘉藤さん
ある日の診察で、「ただ単に胸がなくなるのが怖いだけなんだな」と自分の中で気づき、「再建は落ち着いてから考えればいい」と思うようになり、胸を取る決心がつきました。今のところ、再建する予定はありません。術後の結果ではリンパ節への転移が多かったため、主治医から「抗がん剤治療をおこなったほうがよい」との説明がありました。そこで、事前に妊孕性温存の治療を受け、術後は標準治療をすべておこなうという方針で進めていくこととなりました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
嘉藤さん
当時勤めていた会社には、手術さえ終わればすぐに復職できるものだと考えていました。しかし、その後、抗がん剤治療をおこなうことが決まり、休職を延長せざるを得ませんでした。抗がん剤治療が始まると、自分のメンタルを保つことだけで精一杯の毎日でした。さらに、副作用が日によって異なるため、寝たきりのような日々が多くあったことを覚えています。本当に大変な日々でしたが、少しずつ乗り越えてきたと思います。
編集部
乳がんに向き合う上で心の支えになっているものを教えてください。
嘉藤さん
治療中でも体調がよいときは、夫婦共通の趣味であるキャンプに出かけることが多かったです。いったん私生活を離れて、自然の中で何もしない時間を過ごすことが、私にとって唯一のデトックスタイムでした。また、昨年の5月には、以前から迎えたいと願っていた犬を家族に迎え入れました。新しい家族が日々癒しを与えてくれる存在になり、とても幸せな時間を過ごしています。
編集部
もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
嘉藤さん
う~ん。特にありません(笑)。今までの人生も自分が選択してきた人生ですし、生きてきた人生に後悔はないかな。強いて言うなら、「手厚いがん保険に入っておいた方がいいよ」ということくらいでしょうか……(笑)。
がんであっても、がんではなくても、自分の人生を思い切り楽しんでほしい


