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【闘病】24歳で『シェーグレン症候群』宣告。「妊娠できないの?」絶望から這い上がった10年

 公開日:2026/05/16
【闘病】24歳で『シェーグレン症候群』宣告。「妊娠できないの?」絶望から這い上がった10年

2015年、24歳だったみなみやんさんを襲ったのは、1カ月以上続く微熱と目・喉の極度の乾きでした。内科では「不明熱」と診断されるばかりで原因は分からず、働きながら昼休みに点滴を打つ日々。ようやくたどり着いた病名は、「シェーグレン症候群(涙腺や唾液腺などを免疫が攻撃する自己免疫疾患で、国の指定難病)」でした。「治療法はない」「普通の病院では出産できない」と告げられ、トイレで号泣した日から10年。2度の離婚やうつ病、ステロイド治療と断薬、唾石症(唾液腺に石ができる症状)の発症などを経験しながら、フリーランスの「パーソナル編集者®」として独自の働き方を確立したみなみやんさん。「ご自愛」をライフワークに掲げる彼女に、難病と共に生きる10年間を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年11月取材。

みなみやんさん

体験者プロフィール:
みなみやんさん

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ライター、パーソナル編集者®。大学卒業後、広告代理店に入社。2015年、1カ月以上続く微熱、目と喉の極度の渇き、難聴、倦怠(けんたい)感からシェーグレン症候群と診断される。同時にうつ病とも診断され休職し、復職できず退職。2018年、1回目の離婚を機に症状が悪化し、経口ステロイド薬による治療を開始。2019年、唾石症(唾液腺に石ができる症状)の発症やムーンフェイス(顔が満月のように丸くなる症状)の副作用がつらくなり断薬。現在は、膠原病内科に2カ月に1回通院し、内服薬とセルフケアを中心に治療を継続中。

自ら動いてたどり着いた診断

自ら動いてたどり着いた診断

編集部

最初に異変を感じたのは、どんな症状だったのでしょうか?

みなみやんさんみなみやんさん

2015年のことでした。夜中に何度も喉が渇いて、水を飲むために起きてしまうんです。そのせいで眠りが浅く、朝起きると目薬をささないとまぶたが開けられないほどのドライアイ、さらに微熱が1カ月以上ずっと続いていました。中でも一番厄介だったのが、微熱です。頭が回らず、だるくて仕事になりません。でも、内科に行っても「不明熱」と言われるだけで、原因が分からない。昼休みに内科で点滴を打ちながら昼寝をして、午後から働く、そんな生活を続けていました。

編集部

そこから、どのように病名にたどり着いたのでしょうか?

みなみやんさんみなみやんさん

会社の先輩が声を掛けてくれたんです。微熱と体調不良を打ち明けると、「自分も甲状腺の病気なんだ」と教えてくれ、すぐに専門医を調べて検査を受けました。ところが、先生に「甲状腺には問題ありません。ただ症状を聞くと膠原病かもしれません。紹介状を書くので大きな病院を受診してください」と言われて。初めて聞く病名に、いよいよ不安が募りました。紹介先の大学病院で、ようやく「シェーグレン症候群」という診断名がつきました。

編集部

診断を下された瞬間の心境を教えてください。

みなみやんさんみなみやんさん

大きな病院特有の長い待ち時間と無機質な空間で、心底疲れていたことを覚えています。その中で先生から告げられたのは、「抗体の数値が高いので、シェーグレン症候群で間違いない。特に治療法がなく、その程度の症状なら薬も出せません。妊娠するときだけ気を付けてください。普通の病院では産めませんよ。子どもに1〜5%の確率で心臓に障害が出ます」という言葉だけでした。
聞いたこともない病名で、しかも治療法がない、子どもに障害が出るかもしれない——。軽いパニックになって、診察室を出てすぐトイレに駆け込んで号泣しました。「治療法がないってどういうこと? 妊娠できないの?」と突然人生が終わるような気持ちでした。

病気を理由に諦めたくなかった

病気を理由に諦めたくなかった

編集部

発症してからの生活は、どのように変わっていったのでしょうか?

みなみやんさんみなみやんさん

朝を迎えるたびに、まず直面するのは乾いた目の痛みです。涙が分泌されていないので、まぶたを開けるというより、「バリバリバリ」と引き剥がすという表現が近いかもしれません。目薬をささないと目が開かず、毎朝が試練でした。鏡を見ると、とんでもない量の目やにもたまっており、毎朝憂鬱になりました。また、寝ている間にたくさん水を飲むので、朝起きると枕元のコップはいつも空っぽ。渇きがひどいときはコップでは足りず、500mLのペットボトルが床に散らばることもありました。

編集部

乾燥以外の症状はどうだったのでしょうか?

みなみやんさんみなみやんさん

寒い日は関節の痛み、レイノー現象(寒さや緊張で手足の血管が収縮し、指先が白く冷たくなる症状)による霜焼けが足先や指先に出ます。階段を下りるとき、膝に痛みが走るときは、まるで自分の体がおばあちゃんになったかのようでした。寒い日の朝は体が硬くこわばって、ベッドから起き上がるだけでも一苦労です。
そして、常に付きまとう疲労感もつらいですね。単なる「疲れた」という感覚ではなく、体の芯から力が抜けているような感覚で、十分に睡眠をとっても改善されないことがほとんどなんです。
何より最もつらかったのは、外見からは病気が見えないことです。「元気そうに見える」と言われると、説明する気力もなく、ただ微笑むしかなくて……。「体の不調を言い訳にしたくない」という思いと「理解してほしい」という気持ちの間で揺れ動く日々を送っていました。

編集部

治療の経過についても聞かせてください。

みなみやんさんみなみやんさん

診断直後は「薬も出せない」と言われたので、初めのうちは症状に応じて対症療法を続けていました。ですが、2018年に1回目の離婚を経験したころから症状が一気に悪化してしまい、経口ステロイド薬による治療を開始することになります。それも長くは続かず、唾石症が起きたり、顔が丸くなるムーンフェイスの副作用がつらくなったりした結果、2019年には断薬を選択しました。

病気と付き合っていくための結論が「ご自愛」だった

病気と付き合っていくための結論が「ご自愛」だった

編集部

闘病中の10年間、みなみやんさんの心の支えになったものは何でしょうか?

みなみやんさんみなみやんさん

まずは、病気の基礎知識を勉強したこと、そしてほかの患者さんの闘病記を読んで、さまざまな生き方を学んだことです。体験談を参考に、紫外線に当たらない暮らしを徹底するだけでも、体の負担はぐっと減ります。実際、紫外線に当たらないことで、肌もとてもきれいになったと感じています。
後は、幼いころから望んでいた「自由と自立」を手にしていることも大きいですね。フリーランスとして働く中で、クライアントに恵まれ、今では自分でセルフケアの費用を賄えるようになりました。それが自信につながっています。

編集部

病気によって、自身の内面で一番変わったのはどんなところですか?

みなみやんさんみなみやんさん

病気と共に生きる上での工夫や気付きが多くて、限られた中で豊かに過ごそうと心持ちが変わったことでしょうか。おかげで、昔よりも優しくなったと思います。自分の体調と向き合いながらも、「できないこと」ではなく「できること」に目を向ける。小さな自己決定の積み重ねが、私の「ご自愛」になっています。

編集部

現在の体調と1日の過ごし方を教えてください。

みなみやんさんみなみやんさん

現在は膠原病内科で2カ月に1回通院して、薬を受け取りながら治療を続けています。半年に1回のペースで血液検査も行い、病状をチェックしている状況です。また、睡眠薬がないと渇きで起きてしまうので、心療内科にも月1回通っています。2025年は2回目の離婚をきっかけに一時心身のバランスを崩しましたが、トラウマ治療(過去のつらい記憶による心身の症状を和らげる心理療法)の結果、症状が改善しました。もしかしたら、今まで一番体調が良いかもしれません。
1日の過ごし方としては、目を開けた瞬間の乾きに対応するため、ベッドサイドの手に届く場所に目薬を常備して、起き上がる前にまず目に潤いを与えることから始まります。朝食は鉄瓶で沸かした白湯から飲み、腸内環境を整えるためにグラノーラや玄米おにぎりを食べています。デスクワークと運動のバランスを取ることも大切にしていて、3時間働いたら3時間休むペースが自分に合っているみたいです。とにかく体調のためには睡眠が大事なので、21〜22時には寝て、5〜6時には起きる生活を送っています。

編集部

今はどのような仕事に従事していますか?

みなみやんさんみなみやんさん

フリーランスの「パーソナル編集者®」として個人の創作に寄りそう活動をしています。ライフワークとして家事代行とベビーシッターも行っていて、家事代行は仕事というよりは、運動目的や、健康的なごはんを作って一緒に食べるという、心身のための時間としての意味合いが強いかもしれません。

編集部

もし、症状が出始めたころの自分に何か伝えられるとしたら、どんな言葉を掛けますか?

みなみやんさんみなみやんさん

「もっと周りを頼っていいんだよ」と言いたいですね。そして、「自分を甘やかして。これ以上頑張らなくても、世界は優しいと思えたら世界は優しいのだ」とも伝えたいと思います。
難病になって10年目の2025年、離婚をして頼るものがなくなった私は、社会保障制度を使うことを決心しました。障害福祉の案内で初めて知ったのですが、日本には障害者総合支援法(障害のある人への支援を定めた法律)というものがあって、シェーグレン症候群も対象者だったんです。正直に言うと、「自分なんかが社会の世話になっていいのか」という葛藤もあります。でも、人生がどうにもならなくなる前に、最悪の事態を想定して動けるうちに動くことも、きっとセルフケアの一部だなって……。申請するまでの決心には10年かかりました。

編集部

医療従事者の方々に、望むことはありますか?

みなみやんさんみなみやんさん

「いつも私たちのために働いてくれてありがとうございます」という気持ちしかありません。医療従事者が長く健やかに働ける環境や社会制度の改善を願っています。

編集部

最後に、読者へのメッセージをお願いします。

みなみやんさんみなみやんさん

「病気は治るもの」という人からすると、治らない病気という存在は恐ろしく、受け止められなくても仕方がないと思います。でも、病気だけが人生ではありません。
最近、『優雅な生活が最高の復讐である』(カルヴィン・トムキンズ著)という本を読みました。その中で特に心に響いたのは、「無視はしないが過大視したくない。大事なのは、何をするかではなくて、何に心を傾けるかだと思っているから、人生の自分でつくり上げた部分しか、僕には意味がないんだよ」という言葉でした。
病気や離婚など、人生にはままならないことが多いけど、ファッションを楽しんだり、インテリアにこだわったり、暮らしそのものを丁寧に味わったりする——それこそが自分で創り上げることのできる人生の部分なのかもしれません。「病気」も「離婚」もあくまでも私の一部であって、過大視はしたくありません。好きなもの、美しいものに目を向け、ただ自分のために過ごす時間こそ、自分でつくり上げることのできる人生の美しい部分なんだと思います。

編集後記

難病は、誰にとってもひとごとではありません。原因不明の不調に苦しみながらも、自ら動いて専門の医療機関にたどり着くこと、そして診断後も自分に合った暮らし方を模索し続けることが、病と共に生きる上で何よりの支えになります。
難病と診断されても、人生そのものを諦める必要はありません。原因不明の微熱や乾燥、慢性的な倦怠(けんたい)感が続いているなら、早めに膠原病内科や眼科、耳鼻咽喉科を受診してください。そして、もし周囲に難病と闘う人がいるなら、「見えない病気」であることを想像して、時間をかけて寄り添ってあげてください。自分を愛することから、次の一歩は始まります。

本稿には特定の医薬品、医療機器についての記述がありますが、情報提供のみを目的としたものであり、医療上の助言や販売促進などを目的とするものではありません。

なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

田島 実紅

記事監修医師
田島 実紅(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

この記事の監修医師