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「切除不能」と判断された膵臓がん患者に希望の光を。50年の研究開発がもたらした革新的手術法

 公開日:2026/01/27

膵臓がんは治療が難しく、進行した患者さんの多くが「切除不能」と判断されてきました。その理由は、膵臓が多くの重要な血管に囲まれているため、安全に腫瘍を摘出することが困難だからです。しかし、50年にわたって膵臓がん手術に取り組んできた中尾昭公先生によって、「門脈カテーテルバイパス法」や「メセンテリックアプローチ」といった革新的な術式が開発され、従来は治療の対象外とされていた患者さんにも新たな治療の道が開かれました。全国から患者さんが訪れるその診療の現場から、臨床経験と科学的エビデンスに支えられた中尾先生の哲学に迫ります。

※2025年11月取材。

中尾 昭公

監修医師
中尾 昭公(名古屋セントラル病院)

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1973年に名古屋大学医学部を卒業。卒後、一般外科医として地方病院で研鑽を積んだのち、1980年より名古屋大学医学部第二外科(肝・胆・膵外科研究室)に勤務。1981年には、これまで切除不能とされた膵がんの門脈浸潤例に対して「門脈カテーテルバイパス法」を臨床導入し、さらに「Mesenteric Approach(メセンテリックアプローチ)」などを考案・確立して、膵がんの外科治療成績向上に貢献した。1999年より名古屋大学医学部第二外科教授、2006年からは大学院医学系研究科消化器外科学教授を歴任。2011年、名古屋セントラル病院院長に就任し、現在も臨床・研究・教育の最前線で活躍中です。専門は肝・胆・膵の悪性腫瘍外科であり、日本消化器外科学会・日本外科学会・日本肝胆膵外科学会などの指導医・高度技能医としても認められている。また、セカンドオピニオン外来を通じて、難治性膵がんを含む肝胆膵腫瘍患者の相談・診療支援にも積極的に取り組んでいる。

膵臓がん手術の困難さとの出会い

編集部

はじめに、手術の現場で直面した困難や限界についてお聞かせください。

中尾 昭公先生中尾先生

膵臓がんの手術がなぜ難しいのか。それは門脈(もんみゃく)という重要な血管が膵臓を貫通しているからです。1分間に1リットルの血液が流れるこの血管を、どのように血流を確保しながら安全に腫瘍を摘出するのかが、長年の課題でした。

1973年に卒業した当時、膵臓がんは本当に手術が困難とされていました。多くの患者さんが治療の対象外とされていたのです。この課題を解決すべく、1980年代から門脈バイパス実験を開始しました。流体力学に基づいて、圧が上がらず血液が円滑に流れ、中で凝固しないバイパス用カテーテルを開発し、門脈血を大腿静脈から下大静脈や肝内門脈へ流す方法を確立しました。1981年に臨床応用し、手術法を完成させ、発表したのです。

※門脈バイパス法:肝臓へ血液を運ぶ門脈が腫瘍や炎症で圧迫・閉塞され、血流が保てない場合に用いられる手術の方法。門脈の流れを別の血管に迂回させることで、肝臓の血流を確保し、臓器機能の低下や消化管の鬱血を防ぐことを目的としている。特に膵臓がん切除時に門脈に腫瘍が広がっている場合などで採用されることが多い

がん細胞の播種を防ぐ新しい手術法の開発

編集部

中尾先生が発表した手術法は、どのように画期的だったのでしょうか?

中尾 昭公先生中尾先生

従来の膵臓がん手術は、膵臓を揉みほぐすようにして剥がす手技が主流でした。しかし、この方法には大きな課題がありました。腫瘍を直接触ることで、がん細胞が血液中に放出される危険性があったのです。

そこで、「non-touch isolation」(ノンタッチアイソレーション)という概念を導入しました。膵臓に直接触れないで腫瘍を摘出する方法です。この概念を実現したのが、「メセンテリックアプローチ」です。腸間膜を切開して上腸間膜動脈を露出させ、膵臓への血管枝を先に切断する。この順序を変えることで、膵臓を直接触ることなく、安全に切除できるようになったのです。1992年に「アイソレイテッドPD」として発表し、映画フィルムでも手術を記録し、国内外に発信しました。

メセンテリックアプローチ:膵頭部がんの膵頭十二指腸切除で用いられる術式概念。腫瘍側からではなく、腸間膜根部で上腸間膜動脈・静脈周囲を先行して剥離し、血管浸潤の有無や切除可能性を早期に評価するとともに、膵臓への流入動脈、次いで流出静脈を結紮切離する。これにより、がんに直接触れることなくがんへの流入血と、がんよりの流出血を遮断して切除が可能となり、術中のがん細胞の血中への揉み出しを少なくすることが可能となった。かつ、腫瘍の完全切除(R0切除)の達成率を高めることが期待される

科学的エビデンスが証明する治療効果

編集部

開発した手術法の有効性はどのように証明されたのですか?

中尾 昭公先生中尾先生

革新的な手術法が本当に有効なのかは、科学的に立証される必要があります。全国の複数施設の参加で無作為比較試験をおこない、驚くべき成績が明らかになりました。

門脈血中の循環腫瘍DNA測定により、従来法と比較して術中門脈血中へのがん細胞の揉み出しは10分の1から100分の1に低下するという良好な結果が確認されたのです。門脈浸潤の程度による分類(A・B・C・D)を確立し、15年間の追跡調査を実施しました。A・B群では5年生存率が有意に改善されることが示されました。これらの結果は国際的な学会でも認められ、論文がアクセプト(採択)されています。

「切除不能」と判断された患者さんへの対応

編集部

難しい症例にはどのように対応されていますか?

中尾 昭公先生中尾先生

膵臓がんの中でも特に難しいのが、門脈や上腸間膜動脈に深く広く浸潤している場合です。従来は切除不能と判断されていた患者さんたちに対して、新たなアプローチを実施しています。

術前に化学療法(ジェムザール、アブラキサン、フォルフィリノックスなど)と放射線治療を組み合わせて実施し、その後に手術をおこなう戦略です。この化学放射線療法後の手術により、生存期間が大幅に改善されつつあります。

執刀の際に必ず意識している信念

編集部

執刀の際に必ず意識している信念や哲学をお聞かせください。

中尾 昭公先生中尾先生

手術の技術的な側面が重要であることは言うまでもありません。しかし、医師の心構えもまた同じくらい大切だと考えています。

江戸時代の思想家・佐藤一斎の言志四録にはこんな言葉があります。「少にして学べば壮にして為すあり、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず」。つまり、どの年齢でも学び続けることが大切だということです。手術は丁寧に、心を込めておこなうことの重要性を常に意識しています。50年の経験を積み重ねた現在も、この想いは変わっていません。

診療体制と全国からの患者さんへの対応

編集部

全国から患者さんが訪れるとのことですが、診療体制についてお聞かせください。

中尾 昭公先生中尾先生

年間約1000人近く、全国から「切除不能」とされた患者さんが紹介され、そのうち100~150例が手術適応と判断されます。土日祝日も含め、朝9時から夕方5時までセカンドオピニオン外来を実施していましたが、最近では火・木曜日とし、月・水・金曜日は手術日としています。

特に注目されたのが、NHKによる半年間の密着取材です。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介され、治療の道が閉ざされていると思っていた患者さんたちが、新たな希望を求めて来院するようになりました。全国からの相談体制を整えて対応しています。

若手医師への技術継承と教育体制

編集部

若手外科医や一般臨床医へのメッセージをお願いします。

中尾 昭公先生中尾先生

革新的な手術法がどれほど優れていても、それを実施できる医師が限定されていては、患者さんの利益は限定的です。そこで、教育体制の充実に力を入れています。術前の画像診断の段階から、上腸間膜動脈、腹腔動脈、門脈の枝まで詳細に描出する3D画像再構成を実施しています。熟練技師が40分程度で、複雑な血管走行を正確に把握できるようになりました。

ビデオレビュー、シミュレーション、実地見学を組み合わせた教育プログラムを確立しています。年間100~150例の臨床手術を通じて、若手医師が着実に学べる環境を整備しました。技術継承こそが、患者さんの治療機会を広げる最も重要な責務だと考えています。

77歳で現役を続ける理由

編集部

50年の経験を積み重ねた現在も、なお第一線で活躍されている理由をお聞かせください。

中尾 昭公先生中尾先生

リビングレジェンドと称されることもありますが、今なお第一線で活躍しています。週3回、年間100例の手術を継続しており、月・水・金曜日に手術を実施し、火曜日と木曜日にセカンドオピニオン外来をおこなうというスケジュールです。

学び続け、患者さんの命に向き合い続ける限り、医師として活動を続けたいという思いです。50年の経験があるからこそ、難しい症例に対応できる。その責任を感じています。コロナ禍においても、動線を工夫しながら診療を継続してきました。地域の患者さんだけでなく、全国から訪れる患者さんたちのために、現役医師として歩み続けることが私の使命だと思っています。

編集部まとめ

膵臓がんは進行した状態で発見されることが多く、治療成績も他のがん種と比べて非常に不良です。しかし、この医師が50年にわたって開発してきた門脈カテーテルバイパス法とメセンテリックアプローチは、そうした状況に大きな変化をもたらしました。科学的エビデンスに裏打ちされた革新的な手術法と、患者さんの命に丁寧に向き合うという医師としての基本姿勢。この両者が融合することで、初めて患者さんに真の希望が生まれるのではないでしょうか。

若手医師や一般臨床医にとっても、技術革新だけでなく、患者さんの治療機会を最大化するための努力を惜しまない姿勢は、大きな学びになるはずです。高齢化が進む社会において、膵臓がんを含む難治性がんの治療体制をいかに構築するか。その答えの一つが、ここにあるのかもしれません。

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