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【闘病】両胸に進行の早い『乳がん』が… 迫られた“女性の決断”は「本当に正しかった?」

 更新日:2025/10/29
【闘病】左右の胸に進行の早い『乳がん』が発覚 迫られた大きな決断に「私は本当に正しかったのか…」

会社の健康診断で再検査となり、その後定期的な検診をしていく中、42歳で「乳がん」が発見された広瀬さん。すぐに治療を始めなければならず、人生にとって大きな決断を迫られ、副作用にも苦労したそうです。会社員をしつつ、ミュージシャンとしても活動する広瀬さんに、「がんの経験の先にあった気づきと豊かさ」について、詳しく話を聞かせてもらいました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年5月取材。

広瀬さん

体験者プロフィール
広瀬 朝子

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東京在住、1979年生まれ。会社員兼歌手。2022年に両胸乳がんと診断される。初期治療を経て2023年からホルモン療法を受けながら職場に復帰し、その後音楽活動にも復帰する。現在は、平日は会社員として働きながら、週末は歌手として活動している。

発病と副作用に苦しむも理解ある職場環境が復帰の支え

発病と副作用に苦しむも理解ある職場環境が復帰の支え

編集部編集部

はじめに広瀬さんの現在の様子を教えてください。

広瀬さん広瀬さん

現在は、ホルモン療法を受けながら職場に復帰。その後音楽活動にも復帰しました。当初は、ホルモン療法による副作用の、疲れやすさ、ホットフラッシュ(ほてりやのぼせ)、記憶力の低下、不眠、胃腸の不調、アレルギー症状などに大変苦労しましたが、2年が経ち、少しずつ副作用ともうまく付き合えるようになってきました。

編集部編集部

副作用での体調不良にはどのように対応されていますか?

広瀬さん広瀬さん

突然の体調不良で予定を変更せざるをえない場面にも慣れてきたため、日頃からバックアップを整えてスムーズに対応できるように工夫しています。音楽制作においては、ニューヨークで録音された音源に、自宅で私が歌を録音するという手法をとり、自分のペースを大切にしながらも、2025年にアメリカからニューアルバムをリリースすることができました。

編集部編集部

平日のお仕事の職場環境はいかがですか?

広瀬さん広瀬さん

平日は正社員として企業に勤めていますが、幸い多様性や柔軟な働き方に理解がある職場で、復職後の業務量の調整に加え、体調の回復に応じて、徐々に重要な役割も任せてもらえるようになりました。こうした職場の支援が、心身の回復の大きな助けとなっていて、音楽活動を継続できている理由のひとつだと感じています。

編集部編集部

乳がんは発見しづらい場合がありますが、受診されるまでの経緯を聞かせてください。

広瀬さん広瀬さん

会社の健康診断で、D判定(要精密検査)が出て再検査となりました。その時点では悪性ではありませんでしたが、念のため、同じ先生に定期的に診てもらうことになりました。がんと診断される約3カ月前からは、倦怠感や微熱、理由のわからないイライラが続いていて、今思えば、あの頃すでに体は何かと闘っていたのかもしれません。

編集部編集部

診断時、広瀬さんの病気はどのような状態だと医師から説明されましたか?

広瀬さん広瀬さん

左右の乳房それぞれに、別のタイプの浸潤性乳管がん(乳管・小葉の周囲に広がった乳がん)を発症していて、右がステージ2、左がステージ1でした。1年で1cmから3cmにまで大きくなり、リンパ節にも転移が見られたので「今すぐに両胸手術、抗がん剤、放射線治療を始めたいが、化学療法をおこなうと卵子にダメージがあるので、もし妊娠出産の希望があれば卵子凍結を先にしなければならない。進行が早いので今すぐ決めてください」とのことでした。

迫られる決断 私は正しかったのか…

迫られる決断 私は正しかったのか…

編集部編集部

乳がんと診断されたとき、広瀬さんはどんなことを思いましたか?

広瀬さん広瀬さん

妊娠や出産に関わるのは婦人科系の病気だけだと思っていたので、その説明には戸惑いました。当時42歳で、妊娠や出産については自然の流れにまかせようとは思っていたのですが、突然「自分で決断しなければならない」状況になったことに大きなショックを受けました。治療を急ぐ必要があったため、その場で深く考える間もなく「卵子凍結は不要」と判断し、すぐに治療を進めてもらいましたが、その決断が本当に正しかったのか、しばらくの間、心のどこかで引っかかっていました。しかし昨年、久しぶりに会った友人から「あなたが今、生きてここにいることがその答えなんじゃない?」と言われ、ふっとその引っかかりがほどけていくのを感じました。

編集部編集部

大きく難しい決断をされたのですね。治療はどのようなことをしましたか?

広瀬さん広瀬さん

両胸全摘を勧められたのですが、どうしても決断ができず、「部分切除を希望しつつも、全摘もいとわない」ということでオペを進めてもらいました。術後、左右共に形は変わっていたものの両胸を残してもらいましたが、「今後の経過によっては全摘もできる様な形で切りました」ということでした。術後は通院で抗がん剤のドキソルビシン投与を4回受け、その後1カ月間放射線治療を受けました。2023年からは、ホルモン療法のゾラデックス投与と、タモキシフェン(ホルモン療法で使用される薬)の服用を続けています。

編集部編集部

治療中、どんなことに苦労しましたか?

広瀬さん広瀬さん

部分切除は全摘より負担が少ないと思っていたのですが、実際には術後の痛みが強く、眠れない日々が続きました。両胸同時手術だったため、両手とも荷物が持てない、吊革が掴めないなど日常生活にも支障がありましたが、ヘルプマークをつけることで周囲に助けを求めやすくなりました。脱毛中はウィッグや帽子で工夫しましたが、振り返ると何も被っていない写真が一枚もなく、自分の姿を直視できなかったのだと思います。また、数カ月で足腰が弱り、運動を再開した途端に足を痛め、手も足も痛いというときもありました。さらに、SNSで根拠のない情報に心が揺れることもありました。治療は医療のプロに任せて、社会復帰したときにそっと支えてもらえるのが一番ありがたいかなと思います。

広瀬さん闘病ヘルプマーク

「今日を生きた」ことが誇り

「今日を生きた」ことが誇り

編集部編集部

病気に立ち向かう力となったものを教えてください。

広瀬さん広瀬さん

「自分の経験を誰かの役に立ててもらいたい」そんな想いが、大きな原動力になりました。治療と並行して、オリジナル曲の制作にも取り組みました。ピアニストの山野友佳子さんに楽曲提供をお願いし、抗がん剤の投薬期間には山野さんが作曲し、私が動ける休薬期間に歌詞を載せてフィードバックを返す、というやりとりを重ねました。抗がん剤治療は回を重ねるごとにつらさを増していきますが、それと同時に作品が少しずつ形になっていくことで、「前に進んでいる」という実感を持つことができました。その曲は、「タダソコニ」というタイトルで、2025年9月発売のアルバム 『Dokkosa』(名義はAnerami with Asako Hirose)に収録されています。病気を経て、音楽は私にとって「表現」から「祈り」に変わった気がします。

編集部編集部

現在、日常生活で気をつけていることはありますか?

広瀬さん広瀬さん

しっかり睡眠をとり、ストレスをうまく逃すことです。また、サポートがほしいときは遠慮せずにいろんな人たちにお願いしています。病気をきっかけに、人とのつながりがより濃くなり、自然と人が集まってきてくれるようになった気がします。

編集部編集部

では、医療従事者に期待することはありますか?

広瀬さん広瀬さん

私の場合は緊急性が高い状況であったからこそ、迅速な判断をしなければならなかったのですが、先生のご説明を十分に理解することができませんでした。しかし、家族が獣医師ということもあり、私は医学的知見に基づいた説明を自宅で受けることができました。病院と自宅では、精神的な負担の度合いが大きく異なるので、自宅で専門家による説明を受けられる環境があれば、とっても心強いなと感じました。

編集部編集部

また、ご自身の経験を通して、同じく病気と闘っている方々に一言お願いします。

広瀬さん広瀬さん

どんなときでも、まず自分を大切にしてください。今ある時間を、どうか自分のために使ってください。誰かと比べる必要も、無理に前を向く必要もありません。私は、乳がんを経験したことで「どう生きたいのか」と真剣に向き合うようになりました。そして今、私は以前よりも自分を好きになり、生きていることへの感謝の気持ちを強く持てています。

編集部編集部

最後に、読者に向けてのメッセージもお願いします。

広瀬さん広瀬さん

「生きているだけで丸儲け」という明石家さんまさんの言葉が昔から好きなのですが、病気を経験した今、心からそう実感できるようになりました。生きていること自体が当たり前ではなく、かけがえのないこと。だからこそ、何もできない日があっても「今日を生きた」ことを誇りに思っています。たくさんの人たちに支えられて今の私があります。病気に限らず、困難な状況にある誰かの力になれたらうれしいです。

編集部まとめ

副作用のつらさ、がん治療の苦しさを体験された広瀬さんですが、この体験談では、ポジティブで前向きなエネルギーを感じられました。「今日生きたことが誇り」という言葉は、とても印象的でした。また、健康診断が「がん発見」のきっかけとなったという点で、改めて定期的な健康診断の大切さにも気づかされました。

なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

 
寺田 満雄

記事監修医師
寺田 満雄(名古屋市立大学病院乳腺外科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

この記事の監修医師