【闘病】まさか看護師の私が「うつ病」になるとは… “薬物依存”と“摂食障害”で体重は30kg台へ

発症当時、看護師だったつくしさん(仮称)は、うつ病に伴う摂食障害と不眠に悩まされていました。26歳のときには、摂食障害で体重が30kg台にまで減少。次第に眠れない不安から、不眠症の治療薬を多量摂取するように。うつ病に併発して摂食障害や不眠が出現し、その過程で薬物乱用にいたった。母になった今でも、これらの病と闘い続けるつくしさんに、話を聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年3月取材。

体験者プロフィール:
つくし(仮称)
東京都在住。1児の母で、夫と3人家族。診断時は看護師だった。2006年にうつ病から摂食障害発症。睡眠障害もあった。次第に処方された薬の多量摂取が始まる。結婚、転職を経て出産を機に退職し、現在は子育てをしながら通院を続けている。
仕事のプレッシャーと兄妹のがん

編集部
はじめに、現在のつくしさんの体調や状況はいかがでしょうか?
つくしさん
現在は気持ちに大きな波はありませんが、うつ状態であるため家事がおろそかになることもあり、外出するのも面倒だと感じることが多いです。20代で摂食障害を発症しましたが、最近またそれが約20年ぶりに顔を出し、体重の増減が激しいです。2週間に1回精神科に通院し、薬物療法をおこなっています。睡眠薬の薬物依存については、仕事をしていないという安心感もあり、処方されている量以上を飲むことは一切なくなりました。最近の楽しみは好きなアーティストのライブに行くことです。
編集部
では、うつ病、摂食障害と診断されたきっかけを教えてください。
つくしさん
仕事中、お昼ご飯を同僚の人たちと食堂に食べに行くのがルーティンだったのですが、突然その行動が億劫になり、昼休みは喫煙所でただひたすらボーっと過ごすようになっていました。そういった生活の中で、朝も夜も食欲がなくなり、数カ月で明らかな体重減少があり、30kg台まで低下。看護師長が脳神経外科の先生に相談してくれ、その先生から紹介状を書いてもらい、心療内科を受診してうつ病と診断されました。
編集部
その後、不眠症と薬物依存(睡眠薬、頭痛薬)となったのですか?
つくしさん
定期的に心療内科を受診して睡眠薬(マイスリー)などを処方してもらっていましたが、効果が感じられず、全く眠れない状態で仕事をすることが多くなっていました。処方されている量を無視して倍量の薬を摂取するようにもなり、結果的に薬物依存と診断されました。寝る前に10錠以上飲んでいたときもありました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
つくしさん
言葉で表現するのは難しいですが、常に暗いトンネルの中でさまよっている感覚が続いていました。また、不眠に関しては夜が来るのが怖くて、「今日も眠れなかったらどうしよう……」という恐怖感から、薬をたくさん飲んでしまうようになりました。
編集部
病気になった原因について、どのようなことが考えられますか?
つくしさん
まずは仕事へのプレッシャーです。看護師になり5年となると、リーダー業務を任せられたり、夜勤での責任者になったりと、背負うものが多くなり、それがとても辛かったです。また、相談できる人がいなかったのも一因だと思います。
編集部
ほかには思い当たることはありますか?
つくしさん
同時期に兄妹が20代でがんになり、手術や抗がん剤治療などをおこなっていたことも精神的ダメージが大きかったです。ある程度医療の知識があるので、余計に辛かったですが、本人は治療をして現在は社会復帰しています。
1人で抱え込まずに誰かに話を聞いてもらう

編集部
医師からは、どのように治療を進めていくと説明されましたか?
つくしさん
とくに特別なことは、説明されませんでした。定期的に通院し、その都度、薬物治療をしていくといった感じです。
編集部
実際に効果があったと感じた治療は何ですか?
つくしさん
抗うつ薬や睡眠薬を服用している場合、車の運転は避けなければいけません。しかし、当時の私は運転してしまい、発症から数カ月後に人身事故(対車)を起こして精神科に入院することになりました。入院中、さまざまな精神疾患の人と話したり、精神的につらいときには、担当医や看護師さんがゆっくり話を聴いてくださったりしました。精神科病棟に入院して、仕事に明け暮れた今までの生活とは程遠い、ゆったりとした生活の中で体重も戻り、精神的にも落ち着いてきたような気がしました。結果的には半年間入院し、その後に職場復帰もできました。
編集部
病気を発症して、一番辛かったことは何ですか?
つくしさん
仕事を休職しなければいけなかったのが、とても辛かったです。発症当時は自分が病に侵されていることに気付けませんでしたから。
編集部
心の支えとなったものは?
つくしさん
母親と、当時交際中だった現在の主人の存在です。入院していた病院は、家から2時間近くかかるにも関わらず、毎日お見舞いに来てくれました。でも、当時の私は自分のことで精一杯で、その有り難さに気付けませんでした。
編集部
発症後、周囲の人からの対応はどうでしたか?
つくしさん
当時は、今ほど精神疾患が受け入れられていない時代だったような気がします。家族や主人以外の人たちからは、腫れ物に触るように接され、それが逆に辛かったです。そういった点では、最近は精神疾患に対して周囲が受け入れる環境になりつつあり、よい傾向だと思います。
編集部
過去の自分に語りかけたい言葉はありますか?
つくしさん
自分だけで背負い込まないで、ときには吐き出すことも大切だと伝えたいです。また、「仕事中心に生きることも間違ってはいないけれど、息抜きも大切だよ」と声をかけてあげたいです。
誰もが発症する可能性があり、早期発見・治療が大切

編集部
医療従事者に期待することはありますか?
つくしさん
自分自身が医療従事者だったので難しいのですが、やはり患者の気持ちに寄り添ってくれるような対応をしてもらいたいなと思いました。
編集部
子育てしながらの闘病はどうですか?
つくしさん
精神的に、なかなか家族計画を立てる気持ちになれず、気がつけば37歳になり子どものいない生活が続くのかと思っていた矢先に妊娠しました。38歳での出産でしたが、子どもを授かって本当によかったと最近、心から思えるようになりました。子どもから学ぶこと、自分より大切なものがあるというのは、子育てをしなければ一生経験できないことのような気がします。今は子どもも7歳になり、私の体調面を気遣ってくれるので、申し訳ない気持ちもあります。それでも「大好きだよ」「ママの一生の宝物だよ」と感謝の気持ちを伝えています。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
つくしさん
まさか看護師である私がうつ病になるとは夢にも思っていませんでしたが、誰もが発症する可能性があり、早期発見・治療が大切です。精神疾患は再発することもありますが、適切な治療と支援により回復して社会生活を送れる人も多くいます。時には生きづらさを感じますが、暗闇の先には必ず出口があると信じて毎日何とか生きています。つらくても明日はやってきます。明日はちょっとよいことがあるかもしれません。過ぎていく時間の速さは、誰もがみんな同じです。ちょっと不器用に進んでいても全然問題ありません。「頑張れ!」とは言いません。焦らず、ゆっくり、自分の歩幅で一緒にゆっくり歩んでいきましょう。
編集部まとめ
うつ病は人によって様々な症状や併発する病気があるようですね。そして、つくしさんの体験談とメッセージから、それらの病気と一生付き合っていくためのヒントを得たように思います。自分だけでは抱え込まず、たまには誰かに吐き出してうつ病を治していきましょう。「明日はちょっとよいことがあるかもしれません」。つくしさん、素敵なメッセージ、ありがとうございました。
なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

記事監修医師:
草山 好以(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。




