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日本の創薬力を支える人材戦略 ~第一三共が挑む、がん治療薬開発を加速させる組織改革~

 更新日:2025/07/25

日本の製薬会社が開発した薬が、世界中のがん患者の命を救っています。その代表例が、第一三共が開発した「エンハーツ(トラスツズマブ デルクステカン)」という抗がん剤です。この薬は、特定のタイプの乳がんや胃がんなど、これまでの薬では十分な効果が得られなかった患者さんに、新たな希望をもたらしています。

しかし、世界の製薬業界では、遺伝子を使った治療法やDNA・RNAといった核酸を利用した薬など、最先端の技術を使った新薬開発競争が激しくなっています。この競争に勝ち抜いて、日本で生まれた革新的な薬を世界中の患者さんに届け続けるためには、優秀な研究者や開発者の確保と育成が欠かせません。第一三共は2025年5月、これまでの日本企業によくある年功序列型の働き方から脱却し、世界基準の新しい人事制度を導入することで、この課題に真正面から取り組むことを発表しました。

なぜ今、製薬企業の人事改革が患者の未来を左右するのか

世界では、遺伝子治療や核酸医薬などの新しい薬、治療法の研究が日々進歩し、目まぐるしい新薬開発の競争が繰り広げられています」と第一三共の奥澤宏幸社長は語っています。この競争の中で、日本の製薬会社が直面している最大の課題の一つが、高度な専門知識を持つ人材の不足です。

特に不足しているのは、次の3つの分野の専門家だと言います。

  • グローバル
  • バイオテクノロジー
  • デジタルトランスフォーメーション(DX)

例えば、遺伝子治療や核酸医薬などによる最新のがん治療法を開発するには、分子生物学や免疫学、細胞工学、データサイエンスなど、多くの専門知識が必要となります。

深刻なのは、こうした優秀な人材を巡る国際的な奪い合いです。アメリカやヨーロッパの大手製薬会社は、高い給料と最先端の研究環境を用意して、世界中から優秀な研究者を集めています。一方、日本の会社は長年勤めた人ほど給料が上がる年功序列の仕組みや、英語でのコミュニケーションの壁などがあり、世界的な人材の獲得に苦戦してきました。

人事部長の徳本氏によると、「第一三共がそうした世界と同じ土俵で戦い、今後も革新的な医薬品を生み出し続けていくためには、先端技術に精通する世界中の優秀な人材の獲得が欠かせない」と言います。優秀な研究者が集まらなければ、新しい薬の開発スピードは遅くなり、その分、患者さんが新しい治療を受けられるようになるまでの時間も長くなってしまいます。つまり、製薬会社の人材戦略は、患者さんの命と直接関係しているのです。

第一三共の挑戦 年齢・国籍を問わない実力主義への転換

こうした危機感から、第一三共は2024年度から段階的に、世界共通の新しい人事制度を導入しました。この制度の最大の特徴は、年齢や勤続年数ではなく、その人が担当する仕事の内容と成果に基づいて評価や給料を決める「ジョブ型」と呼ばれる仕組みへの転換です。

最も象徴的な変化は、若手社員の抜擢です。これまでの制度では、管理職(部下を持つ責任者)になるのは早くても40歳前後でしたが、新制度では30代前半でも管理職になれるようになりました。実際に、高い専門性と優れた成果を出している30代の社員が管理職に登用され、年収が約40%アップしたケースも出ています。

給料面でも大胆な改革がおこなわれました。特に重要な仕事を担う経営幹部層では、人材市場における競争力を確保するため、従来の最大50%程度給料が引き上げられました。また、大学を卒業したばかりの研究職などの初任給も水準の再設定をおこなっているそうです。

この改革の成果は、採用実績にも現れています。2024年度の中途採用者数は新卒採用の1.5倍に達し、2022年度以降はこの逆転現象が続いています。特に注目すべきは、アメリカのFDA(食品医薬品局)で働いていた専門家が入社する事例が出始めていることです。

実際に、現在約230名の社員が駐在員として海外で働いており、国や地域を超えたグローバルチームでの協力が当たり前になっています。その中には、ほかの会社から転職してきた社員も多く含まれており、様々な経歴を持つ人材が、がん治療薬の開発に取り組んでいます。


社員の成長を促す新しい評価制度

新しい人事制度の中でも特に注目されるのが、評価制度の改革です。第一三共は「パフォーマンスマネジメント」という考え方を導入しました。これは、社員の能力やモチベーションを引き出し、主体的な行動を促すことで、個人のパフォーマンスを最大化するマネジメント手法です。

具体的には、以下の3つの点で大きく変わりました。

  • ストレッチ目標の導入:社員が少し背伸びをして達成を目指す挑戦的な目標を設定し、個々の成長を促す
  • 絶対評価への転換:組織内での相対的な順位ではなく、設定した目標に対する達成度で評価する
  • 継続的なフィードバック:上司と部下が定期的に1対1で話し合い、タイムリーなコーチングとフィードバックをおこなう

実際に2024年10月に実施された社員調査では、評価者(上司)、被評価者(部下)ともに肯定的な回答が多く、新制度が社員に受け入れられていることが分かりました。


「アカウンタブルマインドセット」が組織を変える

次世代リーダーの育成と日本の創薬力

奥澤社長は、社員に対して「アカウンタブルマインドセット」を持つことの重要性を繰り返し強調しています。これは「目の前の問題を自分事として捉え、解決するまで諦めず主体的に行動する姿勢」のことです。

目の前に次々と現れてくる問題に対して、自分もその問題の一部である、当事者であるという意識を持つこと。直接自分がその問題の解決者になれるのか、あるいはそうではないけれども目の前の問題から何かを学ぶことができるのか、いずれにしても主体的に問題を見ていくことによって、必ず何か会社に貢献できる」と奥澤社長は説明しています。

実際に、奥澤社長自身が2023年度から日本の全拠点を訪問、松本CHROと共に海外のグループ会社も順次訪問しています。これまでに21のグループ会社を訪問し、約1万7500名の社員と直接対話を実施。こうした取り組みを通じて、社員一人ひとりが会社のパーパス(存在意義)と自身のパーパスを重ね合わせ、エンゲージメント(仕事への熱意)を高めることを目指しています。


次世代リーダーの育成と日本の創薬力

第一三共は、次世代のグローバルリーダーを育成する「DSアカデミー」を2024年度に立ち上げました。日本国内外の約30名の経営者候補を対象に、集合研修やグループ討議、経営陣とのメンターセッションなどを通じて、高度なリーダーシップとマネジメントスキルの習得を図っています。

同時に、グローバル共通のエンゲージメントサーベイ(社員意識調査)を毎年実施し、組織の課題を把握しています。2024年度の調査では、「パーパスへの共感」「チームへの信頼」「帰属意識」が強みとして挙がった一方、「失敗から学ぶ文化」が課題として浮かび上がりました。これを受けて、2025年度は「経験から学び、手順を改善する環境の醸成」をグローバル共通の目標として掲げています。

こうした人材育成の取り組みは、最終的に日本の創薬力向上につながります。世界基準で育った人材が最先端の知識を日本に持ち込み、日本発の革新的な薬の開発を加速させるでしょう。その結果、私たちが病気になったとき、世界標準の治療をより早く受けられるようになるのです。

より良い医療の実現に向けて

第一三共の人事改革は、単なる会社内部の制度変更ではありません。それは、日本で生まれた革新的な薬を世界中の患者さんに届け続けるための、必要不可欠な取り組みです。

今回の改革により、年齢や勤続年数に関わらず優秀な人材が活躍できる環境が整い、世界中から集まった多様な人材が協力して新薬開発に取り組めるようになりました。これは、新薬開発のスピードアップにつながり、最終的には患者さんがより早く新しい治療を受けられることを意味します。

また、この改革は日本の製薬業界全体に影響を与える可能性があります。ほかの製薬会社も同様の取り組みを始めれば、日本全体の創薬力が向上し、世界の医療に貢献できる国としての地位がさらに高まるでしょう。それは最終的に、私たち一人ひとりがより良い医療を受けられる社会の実現につながるのです。

編集部まとめ

第一三共の人事改革は、単なる制度変更にとどまらず、日本の創薬力を未来へつなぐ挑戦であると感じました。成果重視の環境づくりにより、若手やグローバル人材が活躍しやすくなり、新薬開発のスピードも加速しています。医療の進歩を支える「人」の力に、改めて注目が集まっています。人材が企業価値と医療の未来を左右する時代、こうした改革が業界全体の変革を促す起爆剤となることを期待します。

※この記事は、2025年5月に行われた第一三共株式会社の記者説明会を基に作成しました。

この記事の監修医師