【闘病】妊婦がシャワー中に「脳出血」で救急搬送 お腹の赤ちゃんはどうなるの…(1/2ページ)

シャワー中に激しいめまいに襲われた古井さん(仮称)。それは脳動静脈奇形破裂による視床出血でした。当時の古井さんは、育児に仕事に研究にと多忙な生活を送っていました。妊娠中でもあったため、さまざまな決断や苦労があったようです。発症から現在までの様子や感じた想いについて語ってもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年1月取材。

体験者プロフィール:
古井 光(仮称)
新潟県在住、1983年生まれ。大学文学部在学中に結婚し、中国語通訳などを経て第三子出産8カ月後にリハビリテーション大学入学。卒業と同時にPT(理学療法士)国家資格を取得。大学院修士課程を経て現在5人の子の母、夫と7人家族。2018年に脳動静脈奇形破裂による視床出血を発症。第四子妊娠中であった。

記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
妊娠中の発症から出産まで

編集部
はじめに脳動静脈奇形について教えてください。
古井さん
脳動静脈奇形は、先天性の脳血管疾患です。脳の血管の一部に毛細血管を通らない脳動脈と脳静脈が直接つながっている部分(ナイダス)が存在します。毛細血管は血圧を下げる役割がありますが、毛細血管を通らないまま血液が静脈に流入すると静脈側の圧が高くなり、血管が破裂することがあります。再出血のリスクが高い病気のため、治療が必須です。
編集部
古井さんが脳動静脈奇形と診断されたきっかけや、そのときの症状はどうでしたか?
古井さん
2018年5月第四子の妊娠20週時、シャワー中に、グラっと大きな地震が起きたときのように立っていられず、その場になんとか座り込みました。しかし、左側に力が入らなくなり、支えがないと座ってもいられない状態でした。
編集部
その後、どうなったのですか?
古井さん
夫に救急車を呼んでもらい、病院へ救急搬送されました。妊娠中で脳梗塞ならMRIだと考えていたところ、医師から「CT検査をする、眼球の動きなどの特徴から脳出血の可能性が高い」と説明を受け、「後遺症が残る」と自分でわかってしまい、ショックを受けました。CT検査の結果、視床出血と判明し、そのまま神経内科病棟に入院です。妊娠中で確定診断に必要な検査はおこなえなかったのですが、翌日のMRIとMRA検査の結果で脳動静脈奇形らしいと言われました。
編集部
お腹の子どもの出産はできるのでしょうか?
古井さん
この病院では脳動静脈奇形破裂例の出産症例がないとのことで、脳外科の医師が来て、「脳外科医としては母体優先の原則があるので、妊娠の継続は諦めてください」と宣告されました。「ここでは診られませんが、大学病院に転院しますか」と言われ、大学病院に転院しました。
家に残した子どもが心配で退院を懇願

編集部
妊娠中の発症ということで、大変苦労されたと思います。どのような治療をおこなったのですか?
古井さん
血圧は低かったので薬物治療は必要なく、再出血を起こさないよう安静とリハビリテーション(理学療法と作業療法)のため1カ月ほど入院しました。しかし、どうしても上の3人の子(当時中3、小6、小1)が気になり、教授回診の日に脳外科教授に退院したいと訴えると、ものすごく驚いた顔で諭されたものの、数日後に退院することになりました。出産まで入院される方も多いようです。車の運転は禁止でしたので、電車とバスを乗り継いで大学病院のリハビリテーションや産婦人科を受診していました。そして、その年の9月に予定帝王切開で第四子を出産しました。
編集部
出産後の検査や治療方針はどうなりましたか?
古井さん
出産から1カ月後にアンギオ検査(血管造影検査)で入院し、脳動静脈奇形と確定診断され、治療方針を決定。脳の中心に近く、感覚を司る視床という場所に脳動静脈奇形があるため、運動麻痺が出る可能性があるので根本的治療である開頭手術は適応外となり、放射線治療になりました。新潟県内ではガンマ線を利用した定位放射線治療ができる病院がありませんでしたので、山形県の病院まで行き、2泊で治療を受けました。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
古井さん
発症時は脳梗塞だと思っていました。3時間以内ならtPA治療(詰まった血管を溶かして血流を回復させる治療)ができるから後遺症は残らないと思い、落ち着いていました。脳出血と知った瞬間の絶望と落胆が強く、早く出血の程度と部位、予後を知りたいと思いました。お腹の子や今後の生活、大学院での研究の中断への不安が大きかったです。年間10万人に1人ほどの割合で若年男性に多い病気と学んでいたため、妊娠中の自身に起きるなんてと思いました。過去3回は大きなトラブルなく出産できたので、お腹の子に申し訳なく思っていました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
古井さん
当時は妊娠中で、家事・育児に加えて介護老人保健施設でのフルタイム勤務でした。さらには大学院生として研究中であったこともあり、産休よりも早い休職と1年間の休学をすることになってしまい、今後の生活が不安でした。思うように家事ができず、歩き方も不安定で、スポーツや重い荷物の持ち上げなど血圧が上がる行動も禁止されていました。しびれのため添い寝していた子どもの手を踏んだことに気付けなく、車の運転もできず、電話の相手の話を理解するのに時間がかかるなど、日常生活への適応に時間がかかりました。
編集部
治療中やこれまでに心の支えにしてきたものは何でしょうか?
古井さん
やはり、無事に子どもを産み育てる、子どもたちの成長を近くで見守る、落ち込んでいる場合じゃないという気持ちが踏ん張る力になりました。入院時にも土日は外泊許可をもらって、家で簡単な家事の練習をした中で、これなら子育てもできると自信がついたことが大きかったです。あとは職場の先輩と、大学病院のリハビリテーション担当者が私の状態を共有してくださり、職場復帰がスムーズにでき、生活の不安を減らしてくれました。