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【闘病】『子宮頸がん』ステージ4、突然訪れた「人生終了のお知らせ」

 公開日:2025/05/11
【闘病】「子宮頚がん」ステージ4 受け止めれなかった余命1カ月『人生終了のお知らせ』

「もう長生きはできそうもないですが、毎回ギリギリのところで生きれているので、自分の幸運を信じたいと思っています」。取材時そう語ったことのさん(仮名)は、がん検診を毎年受けていたにもかかわらず、がんと診断されたときにはステージ4、しかも「1カ月もたないかもしれない」と言われました。ご本人いわく「人生終了のお知らせ」だった告知を受けてからの治療内容や後悔など、さまざまな話を聞かせてもらいました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年12月取材。

ことのさん

体験者プロフィール
ことの(仮称)

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1964年生まれ。兵庫県在住。薔薇を育てるのが趣味の普通の主婦。筋力トレーニングやランニングをおこなうなど、健康への意識高く生活していたものの、2024年冬にステージ4の特殊な子宮頸がんと診断される。余命1カ月の宣告を受けたものの、抗がん剤治療が効いて、告知から1年以上が経過し現在に至る。

腸閉塞でCTを撮ったら全身にがん。「このままでは1カ月もたないかもしれない」と……

腸閉塞でCTを撮ったら全身にがん。「余命1カ月」と……

編集部編集部

最初に不調や違和感に気づいたのはいつですか?

ことのさんことのさん

2023年の春頃、おりものが急に増えたように感じたのが最初です。あまり深く考えず、尿漏れか老人性腟炎かと思っていました。毎年受けていた検診でがんは検出されていませんでしたし、腟からの薄い出血もあったのですが、すぐに止まったので「閉経後だし、こういうのもよくあることだろう」「病院に行くほどではない」と考えていました。

編集部編集部

受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。

ことのさんことのさん

夏くらいになって原因不明の咳が出ました。すぐに近くのクリニックを受診すると、アレルギーだといわれました。冬になり、腎盂腎炎になったときに撮影したレントゲンで「肺に何かあるから精密検査が必要」と大きな病院を紹介されました。基準値が37U/ml以下の「CA19-9」という腫瘍マーカーの値が、私は4000U/mlもあり、そこで初めてがんが疑われました。そのあと破水のような大量のおりものが出て、慌てて産婦人科へ。ここでも「よくわからないから、がんセンターへ」と紹介されました。その後すぐ腸閉塞で緊急入院となり、全身のCTを撮ったところ、がんが全身に広がっていたのです。

編集部編集部

告知はどのような形でしたか? また、そのときどのように感じましたか?

ことのさんことのさん

がんセンターへ入院したときに家族とともに個室に呼ばれ、「ステージ4Bの子宮頸がんです。今後は一生、がんとともに生きる人生になる」と言われました。さらに「腸閉塞を起こしているので抗がん剤治療ができません。抗がん剤治療ができなければ1カ月もたないかもしれない」と言われました。私は治るものと思っていたので、ただただショックでした。

編集部編集部

どんな病気なのでしょうか?

ことのさんことのさん

子宮頸がんの中でも特殊な胃型腺癌というタイプで、2-3%の人にしかならないのだそうです。そこから子宮体部、腹膜、肺にも転移していきました。

※【婦人科腫瘍専門医から一言】子宮頸部の腺癌は特にがん検診ではなかなか発見されづらく、進行してから見つかってしまうことがあります

抗がん剤がなかったら、私は今ここにいなかった

抗がん剤がなかったら、私は今ここにいなかった

「闘病中の私の相棒・点滴用の機械です。点滴が終わったり詰まったりしたらエラー音がなります」

編集部編集部

どのように治療を進めていったのですか?

ことのさんことのさん

まず、抗がん剤治療を開始するためには、腸閉塞の治療チューブが外れる状態になることが必要でした。主治医は、「まだこの状態では腸閉塞がぶり返してしまう」と思っていたようですが、一旦腸閉塞の治療チューブを抜いても、私は痛みを感じることも、吐いたりすることもありませんでした。そこで流動食から徐々に身体を慣らしていきました。ある程度食事が摂れるようになり、そこで無事、抗がん剤を入れてもらえることになりました。投与後も腸閉塞の症状が出ることはなく、無事に退院。その後は通院にて治療ができるようになりました。

編集部編集部

そのときの心境について教えてください。

ことのさんことのさん

はじめは救急車でいきなり入院になったので、自宅に帰れたことがシンプルに嬉しかったです。

編集部編集部

その後の治療はどのように進められましたか?

ことのさんことのさん

6時間かけて、パクリタキセル、カルボプラチン、ベバシズマブ、キイトルーダという4種類の抗がん剤を点滴で投与しました。これを6サイクル繰り返しました。その後、ベバシズマブとキイトルーダの2種類のみの点滴を続けていましたが、効果がなくなり中止。今はイリノテカンという抗がん剤を1種類だけ投与中です。副作用は毎回つらいですが、この世に抗がん剤がなかったら、私はここに居ません。

※【婦人科腫瘍専門医から一言】昔は2種類の薬剤を併用する薬物治療が普通でしたが、最近は2種類の抗がん剤に加えて、1~2種類の分子標的薬(がんの増殖する仕組みを止める働きをする薬で、ここではベバシズマブとキイトルーダのこと)を一緒に使うことが当たり前になり、より治療効果が期待できるようになっています

編集部編集部

受診から現在に至るまで、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。

ことのさんことのさん

私の場合、自覚症状がほとんどないままステージ4になっていました。主治医から「このままでは急激に弱って命を落とします」と言われ、とても受け入れることができませんでした。でも、先日母を膵臓がんで看取ったとき、「急激に弱る」ということを目の当たりにし、「こういうことか」と理解しました。

がん検診だけでなく、さらなる検査も大事

がん検診だけでなく、さらなる検査も大事

編集部編集部

病気の前後で変化したことを教えてください。

ことのさんことのさん

これまで健康オタクで病気らしい病気もせず生きてきました。筋力トレーニングやランニング、温泉にサウナと体によいことを一通りやっていましたし、料理も好きだったので健康面にも気を遣い、早寝早起きで働いていました。がん検診も毎年受けていました。そんな私が、初めての入院で「人生終了のお知らせ」を受けたのは、とてもショックでした。長生きするつもりで生きてきたのに「1カ月もたないかもしれない」と伝えられ、「病気の前後で変化したこと」というより、人生そのものが大きく変化しました。

編集部編集部

今までを振り返ってみて、後悔していることなどありますか?

ことのさんことのさん

がん保険に未加入でした。悔やまれます。これだけ気をつけていたらがんにはならないだろうと自他ともに認めていましたが、甘かったです。がん治療には大金がかかります。高額療養費制度を受けても100万円では足りませんでした。

※【婦人科腫瘍専門医の一言】非常に高価な分子標的薬(がんの増殖する仕組みを止める働きをする薬)を使うことが当たり前になり、薬物治療は今後も高額化していく流れです

編集部編集部

現在の体調や生活はどうですか?

ことのさんことのさん

あんなに健康だったのに、退職して治療に専念しています。治療も副作用もつらいです。でも体調がいいときは、やはり身体を鍛えています。「1か月もたないかもしれない」と言われてからもうすぐで1年(取材時)。今日まで生きのびられているのは長年の筋力トレーニングのお陰もあったかもしれないと思っています。

編集部編集部

医療機関や医療従事者に望むことはありますか?

ことのさんことのさん

いつも助けてくれて感謝しかありません。あえて挙げるなら、待ち時間が長いのがつらいところですね。通院の日は毎回まるまる1日かかります。

編集部編集部

最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

ことのさんことのさん

早期発見が大事だと充分承知していたので、がん検診は定期的に受けていました。それでも見つからず、気づいたときには全身に転移していたので、がん検診も100%ではないことを知りました。私の場合、特に見つけにくく、見つかりにくいがんで、見つかったときはほぼ手遅れでした。がん検診だけでなく、定期的な健康診断はもちろんのこと、人間ドックを受けるのもよいと思います。

編集部まとめ

人生の終わりを宣告されたような瞬間から、それでも前を向き、治療をされてきた姿勢には、多くの示唆が含まれているように感じます。このインタビューが、皆さんの検診や健康について考える一助となれば幸いです。

 

鈴木 幸雄

記事監修医師
鈴木 幸雄(神奈川県立がんセンター/横浜市立大学医学部産婦人科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

 

なお、Medical DOCでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

この記事の監修医師