【闘病】足を切断した日は「涙が止まらなかった」 絶望からアジア最速のパラ陸上選手へ《井谷俊介選手》(2/2ページ)

自分が前に進めば、人生は必ず拓ける

編集部
事故から義足になり、現在まで印象に残っているエピソードがありましたら聞かせてください。
井谷さん
実は、東京・パラリンピックの出場も目指していましたが、それは叶いませんでした。本当にショックで、半年くらいは走ることへの情熱が持てずにだらだらと過ごしていたら、脇阪さんに「自分を見失ってるぞ!」と叱責を受けたんです。言われてみると確かに、東京・パラリンピックの選考前は初心を忘れていた気がします。「自分の実力を証明したい」「もっと評価されたい」という承認欲求で走っていました。脇阪さんと仲田さんが「原点に立ち返って、次こそ夢を叶えよう」と励ましてくれて、情熱を取り戻せました。2人がいなかったら、自分は堕落したままだったと思います。私にとって、ただのチームではなく、家族のような存在です。
編集部
3年後のパリ・パラリンピックは日本代表として出場されましたが、こちらはいかがでしたか?
井谷さん
これまでの国際大会では、現地に着いたらワクワクしたり高揚したりといった気持ちになっていたのですが、パリはいい意味で普段通りでした。当日会場に入り、トラックに出て、自分のレーンに立っても緊張はなく、これまで応援してくれたみんなの顔が浮かんできて力をもらえましたし、走っている最中に「楽しい!」と思ったのは今までにない感覚でした。やはりパラリンピックは特別な舞台ですね。みんなを笑顔にできましたし、夢を叶えた瞬間でした。
編集部
今後の目標について教えてください。
井谷さん
まずは2028年のロサンゼルスと2032年のオーストラリアのパラリンピックです。2032年には37歳になっていることを考えると、やはりあと2回かなと思っています。もうひとつは、現在、年間30〜40回の講演活動やかけっこ教室をしているのですが、この活動で全国を回りたいですね。自分の活動が、障害や共生社会について考えるきっかけになってくれたらと思いますし、障害者とか健常者とか関係なく、コンプレックスや苦手を受け入れて前向きに生きることの素晴らしさを伝えたいです。
編集部
最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。
井谷さん
障がい者でも健常者でも、年齢に伴って、体が動かなくなっていくことは避けられません。そんな時も、運動することで少しでも体の活動性が保てれば幸福度も上がります。アスリートのようなハードな運動でなくても、筋力や基礎体力を維持することはとても大事です。少なくとも私は、体を動かすことで、やさぐれていた気持ちが前向きになりました。交通事故で右足を失って、人生が閉ざされたような感覚になっていましたが、決してそんなことはありませんでした。自分が前に進めば人生は必ず拓けます。この記事を読んでくれた皆さんがパラスポーツに興味を持ったり、障がい者や共生社会について考えたりする入り口になってくれたら嬉しいです。

編集部まとめ
アルバイトの帰りの交通事故から、右足の切断、リハビリ、義足ランとの出会いやパラリンピックへの挑戦などについてお話を伺いました。「(障害者であっても)みんな普通だ」という言葉と、「自分が前に進めば人生は必ず拓ける」という力強いメッセージが印象的でした。井谷選手は、ロサンジェルス・パラリンピックでは走り幅跳びでの出場も目指すなど、これからも挑戦を続けるそうなので、これからもたくさんの人を笑顔にできるよう願っています。
なお、Medical DOCでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。





