【闘病】「私死ぬんですか?」 ステージ4の『乳がん』から如何に生還を果たしたか
竹本さん(仮称)は、ある日の入浴中、胸にしこりを感じたそうです。不安を抱えて病院を受診すると、診断は乳がん、しかもすでに転移があり、ステージ4という厳しい現実に直面しました。しかし、治療のための病院の予約は2ヶ月先。焦りと恐怖の中、竹本さんはどのように行動したのでしょうか? しこりを発見してから診断、治療開始までについてや治療中の想い、現在の体調や生活について、話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年7月取材。
体験者プロフィール:
竹本さん(仮称)
50代女性のシングルマザー。2020年11月、入浴中に、ピンポン玉位のゴリッとした胸のしこりに気付き、あっという間に「乳がん」と診断される。全く痛みなども無く、健康意識も高かったが、「3cm・HER2陽性・ステージ4」「肝臓・腰骨・リンパ転移有」と言われる。2020年12月、抗がん剤治療開始、身体中・頭の中・の細胞が壊れていく感覚を経験する。2022年3月より社会復帰。
記事監修医師:
寺田 満雄(名古屋市立大学病院乳腺外科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
「悪性って何?」
編集部
最初に違和感があったのはいつですか?
竹本さん
2020年11月30日の入浴中でした。お肌の余計な油分を取ることなく洗えるというボディソープで身体を洗っていたところ、左胸に違和感がありました。確認するとゴルフボール位のしこりというか、「こぶ」のような感触がありました。何度も両胸を触って確認しましたが右胸には何もなく、一人で「まさか? えっ……?」と気が動転していました。一度ゆっくりお風呂に浸かり落ち着いてから上がり、携帯で情報を調べ始めました。以前、ブレストクリニック(乳腺専門のクリニック)へ検診に行った事があったので、まずはそこに診察予約を入れました。
編集部
受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。
竹本さん
2020年12月1日にブレストクリニックを受診すると、診察後、あっという間に「悪性です」と言われました。「急いで転移してないかを調べるPET検査予約を入れます」「組織検査をするので横の処置室へ入ってください」と矢継ぎ早に指示をされ、涙も出る暇なく、何も考えられないまま言う通りにして、会計も済ませてクリニックを出ました。帰り道、「あの先生は何を言っていたの?」「悪性ってどういうこと?」と自問しながら仕事に戻り、外回りの営業をして夕刻会社へ戻りました。それから1週間後、検査結果を聞きにクリニックへ出向きました。
編集部
告知はどのような形でしたか?
竹本さん
診察室では女医さんが画像を見せてくださり、「左乳がん3cm悪性HER2陽性。かなり進行の早いタイプです」「肝臓、骨、リンパに転移しています」「ステージ4です」と説明されました。頭が真っ白になり、初めて涙が出ました。一言だけ「私死ぬんですか?」と聞いた事だけは覚えています。先生は否定も肯定もせず「進行が早いタイプなので急ぎましょう」とだけ言ってくれました。
「進行が早い、急ぎましょう」なのに診察が2ヶ月先…
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
竹本さん
喘息の持病があったので、ここでは治療できないと言われ、ほかの病院へ受け入れの手配をしてもらうことになりました。その病院の予約日が、2ヶ月以上先の2021年2月10日と言われ、「進行が早いタイプなので急ぎましょう」と言われていたのにあまりに先過ぎないか、と不安になりました。
編集部
そんなこともあるのですね。
竹本さん
がんだとわかり、「進行が早い」と言われたのに、診察まで2ヶ月以上必要というこの現実に愕然としました。「こんなに医療が充実している日本という国で、自分のがんをすぐに治療してくれる病院、先生が見つからないなんて……」と絶望的な気持ちになったのを覚えています。それまでは誰かが簡単に、治療する病院を決めてくれるものだと思っていました。誰かが敷いてくれたレールに乗るだけと思っていましたが、現実は違っていました。
編集部
そこからどうされたのですか?
竹本さん
喘息の主治医に連絡し、事情を話して嘆願すると、12月10日に別の病院を受診できるように手配してくれました。そこが現在も通院している病院です。クリニックから、病理プレパラートや諸々の書類をもらい診察に行きました。主治医が決まるまでが不安でしたが「すぐに抗がん剤を投与します。期間は未定」「やるだけの事を最大限やります」と言ってくれて、本当に安心して大泣きしてしまいました。自分の感情が分からなくなっていました。先生はいっぱい泣いたら良いよと声を掛けてくださり、背中をさすってくださいました。まさに「手当て」でした。その手当てに本当に救われました。何も言わず横に座って背中に手当てをしてくださる。言葉にできない優しさを感じました。
編集部
実際の治療はどのようにすすめられましたか?
竹本さん
2020年12月15〜18日まで入院して、抗がん剤治療を行いました。使った抗がん剤はハーセプチン、パージェタ、ドセタキセルです。初日に喘息発作が出てしまい、呼吸困難となり、正常値が98%以上と言われる酸素飽和度が90%まで低下してしまったので、抗がん剤を中止することになりました。薬の種類や順番を変えて投与してみたところ、その後は大きな喘息発作が出ることもなく、3週間に1度の通院での抗がん剤治療を続けました。
生きていたらまた頑張れる
編集部
受診から手術、現在に至るまで、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。
竹本さん
主治医と化学療法室の看護師さんに救われました。今でも定期検診で病院に行くたびに、化学療法室へ寄り、元気になったことをお話しし、逆にほかの患者さんにもパワーを送っています。診察日と抗がん剤の日はお洒落をしていきました。ウィッグは毎回変えて、帽子も変えて、今まで選ばなかった色の服を着るようになりました。病院の玄関にいらっしゃる方にも「今日もお洒落ですね! リサイタルですか?(笑)」と話し掛けられ、仲良しになりました。「気持ちで負けたらあかん!」と思い、見た目から気合いを入れて、自分を奮い立たせていました。
編集部
病気の前後で変化したことを教えてください
竹本さん
ズボラになる練習、嫌な事からうまく逃げる練習、「自分ファーストで良いんだ」と思う練習を重ねて「鈍感力」がつきました。あとは、お金や保険のこともしっかり考えるようになりました。がん保険にも色々ありますが、今はホルモン治療や通院でも給付金が出るパターンがほとんどです。病気になると、思った以上に長期にわたってお金が掛かります。治療で辛い気持ちを紛らわすアイテムや気分転換も必要ですし、本当にお金が要りました。
編集部
今までを振り返ってみて、後悔していることなどありますか?
竹本さん
「強いて言うなら」という前提ですが、食事を疎かにしていた事の反省はあります。食事を楽しむことをしていませんでした。自分の食べるものを疎かにすると言うことは、自分を疎かにしていたのではないかと思います。
編集部
現在の体調や生活はどうですか?
竹本さん
日によって不調はありますが、日常生活は思う様にできています。がんになる前の動きにはかないませんが、フルタイムで働けています。旅行にも行きますし、お洒落も楽しんでいます。現在の方が健康的です。
編集部
医療機関や医療従事者に望むことはありますか?
竹本さん
望みよりも感謝です。親身になって支えてくださいました。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
竹本さん
わたしはステージ4から復活できましたが、まだまだ転移の可能性もあるので日々病気と共存する気持ちで過ごしています。「がん」という人生の荷物がひとつ増えただけ、歳を取ると老眼鏡が必要になるのと同じことだと思う様にしています。と言っても、最初からここまで前向きだったわけではありません。当時は「まさか私が」の、そのまさかが自分に訪れ、本当に何もかも全てが嫌になりました。今、通常の生活だけで大変な方はたくさんいらっしゃると思いますが、この記事を読んだその日だけでも、ひと呼吸ついて自分の身体、女性は胸をしっかり意識して触ってみてほしいです。少し違和感があればすぐに病院へ行ってください。 生きていたらまた頑張れます。 自分ファーストで自分を大切にしてあげてほしいです。私も、お空に旅立ってしまった友達の分まで頑張って生きていこうと思います。
編集部まとめ
竹本さん(仮称)は、多くの困難を乗り越え、前向きに生活を続けています。初めてしこりを見つけたときの不安や、ステージ4の診断を受けたときの恐怖を抱えながらも、自らの力で治療を開始し、「がんを味方につけて楽しむ」日々を過ごしています。たくさん泣き、辛い思いもしましたが、今は新たな一歩を踏み出している竹本さんの体験が、同じような状況にある方々に希望と力を与えることを願っています。
なお、Medical DOCでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。