【闘病】「イレウス」で瀕死状態 小腸は6分の1に…『食べて大丈夫な身体に回復したい』
腸閉塞とイレウスは、厳密には別の疾患なのだそうです。緒方結衣子(おがたゆいこ)さんは、もともと持病(1型糖尿病)があり、痛みなどの症状が出にくかったため、腸の違和感などが全くなかったことで、イレウスの発見が大幅に遅れてしまいました。救急搬送され、手術により一命を取り留めたものの、目が覚めた時には通常6mほどもある小腸のうち5mが切除されていたのだそうです。自宅から救急搬送されるまでの、そして、術後から現在までについて、話を聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年5月取材。
体験者プロフィール:
緒方 結衣子
神戸市在住。フリーランスライター。1968年生まれ。20代の次男と犬たちと同居中。2019年に1型糖尿病と診断を受ける、月1回の診察と1~2年に一度の検査入院をしながら、SEO記事やシナリオ執筆、小説執筆などフリーライターとして仕事を続けている。2024年2月にイレウスで救急搬送され緊急手術。再発を繰り返し治療中。
記事監修医師:
岡本 彩那(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
息子曰く「生きてはいないかも、と思った」
編集部
最初に不調や違和感を自覚されたのはいつですか? どういった状況だったのでしょうか?
緒方さん
私はもともと持病で1型糖尿病があります。今回は消化器疾患で闘病することになりましたが、発症したと考えられる数日間に腸の違和感はなく、腹痛や嘔吐、便秘などもありませんでした。しかし、その2カ月ほど前から、腸以外ではいろいろ不調はありました。食欲が落ち、筋力も低下し、歩けなくなっていました。体調を崩し続けていて、糖尿病の通院予約を取ったものの、歩けずに診察に行けなかったのが2月中旬でした。
編集部
そこからどのように受診にいたったのですか?
緒方さん
2月下旬に差し掛かる頃には、ベッドに寝たきりで、傾眠状態(意識障害のひとつで、眠くなってしまう症状が続く)となっていました。成人し、仕事をしている息子が、「何とか病院に連れて行かないと埒が明かない」と休みを取って対応してくれました。その日の朝、私はもう意識がないような状態で、体を触ると氷のような冷たさにあり、息子は「生きてはいないかも、と思った」と後で話してくれました。慌てて救急車を呼び、息子も同乗して搬送されたときには、意識喪失後に瀕死状態だったため27℃の低体温で呼吸もままならず、呼吸器をつけるために挿管もされたとのことでした。もちろん私は、後になって病院から受け取った書類で知ったことです。
編集部
いつ頃から意識が戻ったのですか?
緒方さん
目が覚めたのは搬送から5日後、手術が終了した後でした。多くのスタッフに囲まれ「お腹の手術をしたのよ。悪いものが腸にたまり続けて、放っておくと死んじゃう病気になっていたからね」と言われ、元々医療従事者でもあった私は「あ、イレウスですか」と小さく答えたのが第一声です。
6メートルの小腸が1メートルに
編集部
イレウスとはどんな病気なのでしょうか?
緒方さん
種類によりますが、腸が何らかの理由で動かなくなってしまい、本来排出されるべきものが溜まってしまう病気です。腸閉塞とイレウスは同じように考えられがちですが、厳密には多くの種類に分類されるため、腸閉塞とイレウスは区別する、というのが近年の考え方なのだそうです。私の場合、小腸に原因があり、小腸の大半を切除したと言われました。
編集部
術後、どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
緒方さん
目覚めた時点で、右の鼻孔からイレウスチューブ(イレウス管)が入っていました。絶飲食し、このイレウス管から排液を出し続けて消化管の中の圧を下げ、停滞している流れをスムーズにするという、一般的な治療法です。
編集部
そのときの心境について教えてください。
緒方さん
当時わたしの中では、イレウス(=腸閉塞でもある認識)は、とても厄介で致死率もそこそこ高いという認識でしたので、一生、固形物を食べることは難しく、余命も短縮したと覚悟しました。それぐらいの重病という認識でした(監修医師註:イレウスは保存的加療で大半が治癒しますが、一方で再発も多い疾患です。ただし、病態によっては発見が遅れると致死的になることがあります)。もともと摂食障害の拒食傾向があり、食べることは好きではありませんでしたが、小腸を切除して、今後完治が見込めない、食べる力が欠如する病気と言われると、やはり大きなショックがありました。
編集部
実際の治療はどのように進みましたか?
緒方さん
水の摂取は3日ぐらいで解禁になりました。それだけでも精神的に落ち着いたので、感謝しています。しかし、排液はなかなか減らず、搬送された病院にいた約半月で大きく回復することはなく、1型糖尿病で何年もお世話になっている病院に転院になると伝えられました。日常的な通院だけでなく、教育入院や評価入院で何度もお世話になっている病院で、もともとの主治医の先生が担当となり、1型糖尿病とイレウスを同時に診ていただいて入院治療することになりました。
編集部
そこではどのような治療を行いましたか?
緒方さん
6mの小腸を1mしか残さずに切除することになり、栄養を吸収するために大切な部分が欠けているため、経口栄養摂取だけで生き続けるのは難しくなります。そこでどのように栄養摂取するかを模索する治療が始まりました。輸液ポンプでつながれたままになり、濃度の高い点滴が一日中続き、落ち着いたところで、エレンタールという栄養剤の経口摂取がスタートしました。水に溶かした大量のエレンタールを毎日飲んでいたのですが、逆に吐き気や腹痛が出たため、フレーバーを入れてゼリーにしたものを出してくださいました。
小さな異常も見逃してはいけない
編集部
現在の体調や生活はどうですか?
緒方さん
まだ入院中(取材時)で、絶食から流動食、さらにミキサー食に段階を上げるたびに、再発しています。イレウス管も抜いたり再挿入したりを行ったり来たりしています。45キロ弱ぐらいあった体重が、33キロに落ちました。治療のゴールは「元の食生活に戻る」ではなく、「再発予防」が優先となりました。
編集部
リハビリテーションなどは行っていますか?
緒方さん
体組成計(体重に加えて体脂肪率や内臓脂肪レベルなどの項目を測れる計測器)で、筋肉量を計ることがリハビリのひとつです。さらに、体を動かすリハビリもスタートしました。これまで取材や撮影というライター業を通して長時間歩いていたことが功を奏し、歩行リハビリをスタートすると、スタッフの皆さんがびっくりするほど短期間でスムーズに歩けるようになりました。
編集部
入院生活で、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。
緒方さん
術後、まだ水が飲めないころに、看護師さんが毎日、小さな氷片を口に入れてくださったことです。絶飲の患者さん用だということでした。あの時の氷の美味しさは、口から水が飲めるようになった今でも忘れられません。もうひとつは、転院先(糖尿病で世話になっていた)に介護タクシーで搬送されたとき、スタッフの方が「おかえりなさい。連絡を受けて、みんなでびっくりしてたのよ。早く診察に来てくれたらよかったのに」と嬉し泣きのような表情で、手を握ってくださったことです。これには大きく感動しました。
編集部
病気の前後で変化したことを教えてください。
緒方さん
口から食べられるものが大きく変わりました。それとともに、食べることへの意識や、健康への意識も変わりました。再発を繰り返し、食事はほとんど取れていないので、おそらく、半年と予定されている入院期間を終えても、流動食を少量取れるだけという状態のまま退院することになりそうです。食べたいのではなく、食べて大丈夫な身体にまで回復したいのです。食べることへの認識と、小さな異常も見逃してはいけなかったという、健康面への認識の変化が大きくありました。
編集部
今までを振り返ってみて、後悔していることなどありますか?
緒方さん
腸は比較的健康で異常がなかったため、そこに病巣ができるなど想像もしていませんでした。動けなくなった時期に、いつもの病院に行けばよかったと強い後悔があります。
編集部
医療機関や医療従事者に望むことはありますか?
緒方さん
頻繁すぎるおむつ交換、イレギュラーへの対応など、感謝しかありません。手術をした大病院では、スタッフ間で情報が共有されていないことや対応がバラバラの点もあったので、それは改善されればなお良いと思います。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
緒方さん
目で見えない部分の異常は気付きにくいものです。私は今回、お腹の痛みや嘔吐がなかったのでイレウスだとはまったく思いませんでした。でも、どんな病気でも、気付いたときには手遅れのことがあります。健康診断を受けて異常の早期発見につとめ、持病のある方は、通院がしんどくても持病の治療は中断しないでください。
編集部まとめ
緒方さんの言う通り、消化器など、目に見えない部分の異常は気付きにくいので、「健康診断を受ける」「違和感があればすぐに受診する」などを心がけ、異常の早期発見につとめましょう。
なお、Medical DOCでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。