【闘病】乳がんは「検査ミス」により運よく発見できた 全摘した右胸に再発のまさか
国による文化や習慣の違いを経験することは、興味深く、時には人生を豊かにしてくれますが、良い面ばかりではありません。話を聞いたマクドゥエル久美子さんは、アメリカ在住で、同国にて乳がんの検査や手術・治療を受けるにあたり、日本との違いを強く感じたそうです。検査を受けるだけでも一苦労、説明がないことへの混乱、日帰りでの手術など、日本と全く違う医療体制での闘病体験と、そこで感じたことなどを聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年4月取材。
体験者プロフィール:
マクドゥエル久美子
1965年生まれ。40代後半で渡米。アメリカオレゴン州在住。2019年と2023年に乳がんと診断される。大学図書館勤務の傍ら大学院博士課程で日本文化を研究。
記事監修医師:
寺田 満雄(名古屋市立大学病院乳腺外科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
「がんでは想定外のことが起きるから」
編集部
最初に不調を感じたのはいつですか?
マクドゥエル
不調はありませんでした。私は 2019年に右側乳房の「非浸潤性乳管がん」のため右乳房の全摘手術、再建手術を受けて以来、年1回のマンモグラフィと、年2回の腫瘍内科医の診察を受けながら、何の不調もなく過ごしていました。しかし、2023年に受けたマンモグラフィで異常が発見されたため、超音波検査やCTスキャン、生検を受けることになり、結果「乳がんです」との診断を受けました。
編集部
告知を受けた時どのように感じましたか?
マクドゥエル
2019年に非浸潤性乳管がんと診断された時は「切除すれば大丈夫」と言われ、それほどショックはなく、むしろ早く見つかってラッキーだと思いました。しかし、今回「右側乳房浸潤性乳管がんステージ1」という結果を聞いた時は、耳を疑いました。右側乳房をすでに全摘していたので、また乳がんになるとしても左側だろうと思っていたからです。
編集部
確かにそうですね。
マクドゥエル
また「毎年検診を受けていたのに、なぜ9mmの大きさになってしまったのか」「進行の速い悪性のがんなのか」「転移はするのか、もしかしてすでに転移があるのではないか」などと考えると、気が動転しました。乳がんのリスクとして「出産経験がない」「肥満」「喫煙」「遺伝」などがあることは知っていたので、2度出産をし、肥満でもなく喫煙者でもない、近親者に乳がん患者もいない私が、なぜ2度も乳がんになるのか信じられない思いでした。主治医に聞きたくても、肝心の腫瘍内科医もこの結果を聞いて混乱しており「がんでは想定外のことが起きるから」などと言って、まともに説明してくれませんでした。
編集部
前回と今回の乳がんは異なるのですか?
マクドゥエル
2019年に見つかった右の非浸潤性乳管がんは、乳がんとしてはステージ0でしたが、3.5cmくらい広がっていました。最初は日本で部分切除を受けましたが、取り残しがありアメリカで再手術をしました。その後、結局全摘し、乳房再建手術を受けました。新たに見つかったがんは「右側乳房浸潤性乳管がんステージ1」で、ホルモン受容体陽性HER2陰性。ルミナ―ルA型でした。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
マクドゥエル
検査の結果、全身の転移はないことがわかり、またセンチネルリンパ節生検の結果、リンパ転移もなかったので、まずは手術、そして術後はホルモン療法のみということでした。また、同じ右胸で2度目の乳がんということと、遺伝子検査の結果から、予防的に左乳房も全摘を勧められました。
編集部
それは結局どうされたのですか?
マクドゥエル
「左側は残せれば」と思ったのですが、左側再発のリスクをできる限り減らしたいと思いました。迷いもありましたが、当時は再建するつもりだったこともあり、左も全摘することにしました。結果的に乳房再建は諦めたのですが(後述)、もし左側が残っていれば、左右のバランスを考えて、右側を再建しないわけにはいかなかったので、結果的に良かったと思っています。
編集部
そのときの心境について教えてください。
マクドゥエル
転移がないと判明するまでは、生きた心地がしませんでした。2回目の乳がんなので、転移したのかと思い、悪い結果ばかり考えていました。私の住む地域(アメリカオレゴン州)では、画像検査ができる施設が限られており、予約もなかなか取れません。また、医師が検査の指示をしても、そのクリニックで検査予約を入れてくれるわけではないので、いつかかってくるかわからない検査施設からの電話を待ちます。せっかく入れた検査予約も、予約係が受け付けた予約日を間違ってしまい、予定した検査がキャンセルされたこともありました。
編集部
日本と比べ、検査するだけでも大変だったのですね。
マクドゥエル
腫瘍内科医、かかりつけ医師、腫瘍の手術をする外科医、乳房再建を担当する形成外科医それぞれ別のクリニックなので、誰が何の検査予約を入れたのか、いつ結果を説明してくれるのかわからず、とても混乱しました。検査結果は基本電話がかかってくるのですが、それに出られないで折り返し電話しても「忙しいから」と言って、なかなか繋いでもらえません。ただでさえ不安で気が狂いそうなのに、検査の予約を入れるのも、結果を聞くのも自分で何回も電話をかけなければならず、ストレスがものすごかったです。このストレスで胃が痛むようになり、今度は胃がんが出来てしまうのではないかと思いました。結局、最初に異常が発見されてから、MRIや骨シンチグラフィなどのすべての検査結果が出そろうまでに2か月かかり、その間不安とストレスに押しつぶされそうな毎日でした。日本だったら、こんなに電話をかけまくる必要はなく、スムーズに検査できるのにと思いました。
予防のため、がんのない左胸も全摘
編集部
実際の治療はどのように進められましたか?
マクドゥエル
左右両方の乳房を全摘した後、ホルモン療法を行いました。ホルモン剤は、最初のタモキシフェンから、途中でより強いホルモン抑制剤のアナストロゾールに変えました。全摘手術の時、再建手術に備えて皮膚を広げるティッシュ・エキスパンダーを両胸に入れました。エキスパンダーを徐々に膨らませて、胸の皮膚を広げていくのです。2019年に再建手術を受けた時は何も問題がなかったのですが、2回目は胸の中のエキスパンダーの違和感がひどくて夜眠れないこともありました。
編集部
その後はどうしたのですか?
マクドゥエル
手術の3か月後に左胸のティッシュ・エキスパンダーを挿入した部分に感染が起こり、これを取り除く手術を受けました。医師からは「6か月後にエキスパンダーを再挿入する手術、さらに6か月後に再建手術をします」と言われましたが、手術のたびに体力が低下し、コロナ感染や胃腸障害、長引く咳などの症状が起こっていたため、手術はもう受けたくありませんでした。またティッシュ・エキスパンダーを挿入している間は、歯のクリーニングや治療を禁じられていたり、MRIを受けることができなかったり、体のほかの部分のメンテナンスや検査が制限されていたのも不安でした。乳房を再建しても、また10年以内に入れ替え手術が必要になるので、「再建しなくても良いのでは?」と思い始めました。
編集部
悩む気持ちもお察しします。
マクドゥエル
以前インプラントが入っていた時は、豊かな胸が気に入っていましたが、50代も終盤になり、大きな胸はもう自分には必要ないと思いました。夫も胸がなくても特に気にしないと言ってくれたので、再建手術はもう受けないと決めました。その4か月後、残っていた右側のエキスパンダーも取り除く手術を受けました。この決断はかなり迷いました。アメリカでは、全摘手術には当然のように再建手術が組み込まれています。がん告知を受けて動揺している時は、本当に再建が必要なのか考える余裕はなく、医師に言われるままに再建手術を承諾しました。でも今後の人生において、豊かな胸を持つことの優先順位はかなり低く、それよりも再建手術に伴う時間や苦痛、ストレスを避けたいと考えました。エキスパンダーを取り除いた胸、特に2回も全摘した右胸は大きくえぐれて、乳首も取り除かれ、傷だらけで、かなりグロテスクな見た目です。それでも恥ずかしいとは思いませんし、自分の選択に後悔はしていません。むしろ、私ががんと戦った証として誇りに思っています。
編集部
何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。
マクドゥエル
アメリカでは、両胸を全摘しても日帰り手術で対応し、入院させてもらえません。当日病院に行き、1時間半後くらいに手術が始まり、麻酔から覚醒後1時間くらいで帰宅させられます。両胸から排液を貯めるドレーンチューブが挿入された状態で帰宅し、自分でドレーンに溜まった液を絞り出し、その量を記録します。ドレーンからの排出液が1日20ml以下になったら、形成外科医のクリニックに行ってドレーンチューブを抜いてもらうことになっています。痛み止めや抗生物質も自分で管理して決まった時間に飲まなければならず、うっかり飲み忘れることもありました。
編集部
それは日本の環境だとあまり想定できない経験ですね。
マクドゥエル
「入院できたらどんなに楽だろう」とも思いましたが、早くから普通の生活に戻れるというメリットもありました。在宅で仕事ができたので、術後3日目から自宅ベッドで仕事を始め、手術の2週間後、ドレーンが抜けてまだ3日しかたっていなかった時期に、4日間に及ぶ大きな仕事(大学図書館でフルタイムで働きながら、大学院博士課程にも在籍しています)を仕切りました。入院なしの自宅療養は大変でしたが、いつまでも病気を引きずらず、早く通常生活に戻って前向きな気持ちになれたのは良かったと思います。
がん発見のきっかけは技師のミスだった
編集部
病気の前後で変化したことを教えてください。
マクドゥエル
今回の手術をするまでは、自分の病気や治療に対して受け身の態度で、積極的に情報を集めようとはしていませんでした。最初に右胸の全摘を受けた後、ホルモン療法は続けていたものの、これで全て解決したものと考えていました。だから今回、同じ右側に浸潤がんができた時は、全く予期しておらずパニックに陥りました。しかし、全摘後も完全に組織が取り除かれたわけではないので、またがんが生じる事もあり得るわけです。
編集部
なにかを変える出来事としては十分ですね。
マクドゥエル
今は何が起きても不思議ではないと考えて、1日1日を大切に生きようと思うようになりました。自分にとって大切な事に優先順位をつけ、取捨選択し、自分が無駄だと考えることを思い切って切り捨て、生活の充実度を高めることが重要だと考えています。他人の顔色を窺ったり、「周りの人がどう思うだろうか」などを気にしたりするのはやめようと思いました。私の病気と治療に対して無神経なことを言う人には、たとえ親族であろうと距離を置くことにしました。他人に迷惑をかけない限り、自分のやりたいことをやりたいように実行しようと思うようになりました。
編集部
生活面は変わりましたか?
マクドゥエル
今まではお酒が好きで、毎日のようにビールを飲んでいましたが、今は週末だけ少し嗜む程度になりました。これは、自分でお酒を控えようと思ったのではなく、自然とそうなったのです。また、仕事や学業でどんなに忙しくてもヨガやウォーキングの時間を確保し、意識してしっかり体を動かすようになりました。特に今服用しているホルモン抑制剤は、肥満や骨粗しょう症になりやすいと言われたので、運動は必須です。また、質の良い睡眠の確保と余裕のあるスケジュール調整に気を付けるようにもなりました。
編集部
今までを振り返ってみて、後悔していることなどありますか?
マクドゥエル
私の場合、2度目のがんは年1回の画像診断で見つかりましたが、実は本当にラッキーな偶然だったようです。私の腫瘍内科医は、定期画像検査の際に、全摘した右胸のマンモグラフィは検査せず、左側だけの検査指示を出していたのですが、たまたま技師が間違って指示のなかった右胸のマンモグラフィを撮影した結果、異常が発見されたのです。症状はなかったので、もし、技師が間違って右胸を撮影しなかったら、かなり発見が遅れたと思います。しこりなどもなかったようで、手術前の検診でも、誰も私のがんを触知できませんでした。医師ですら触診で気づくのは不可能だったのです。
編集部
発見できて良かったですね。
マクドゥエル
アメリカでは医療費が高く、保険適用外の自費診療は法外な費用がかかるので、マンモグラフィや超音波検査は、1年に1度しか受けられません。でも、私の場合1年に1~2回は日本に帰るので、その際に画像検査を受けておけばよかったと思いました。1年間も待つのは不安になるので、これからは日本に帰るたびに検査を受けたいと思っています。アメリカでは手軽に利用できる人間ドックのような制度もないので、これからはほかのがん検診なども日本で毎年受けようとも思っています。
編集部
現在の体調や生活はどうですか?
マクドゥエル
手術後1年になりますが、体調はとてもいいです。昨年はヨーロッパの学会にも出席しましたし、論文も発表しました。術後から数か月間も続いていた気分の落ち込みや疲れやすさ、胃の不調も解消しました。これからは、もっと体力強化に努めたいです。
編集部
医療機関や医療従事者に望むことはありますか?
マクドゥエル
医療関係者は大変忙しいので、一人ひとりの患者に寄り添う事は難しいとは思いますが、がんの宣告を受けた患者は精神的にもかなり深刻な状態です。私も、健康な時には気にならないような些細なことが気になり、当時はとても傷つきやすくなっていました。その点を理解して、病気の説明をしていただきたいと思います。がん告知直後の患者は、冷静な判断力を失っているので、説明を受けても、それを理解するのには通常より時間がかかります。その辺をわかっていただきたいと思います。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
マクドゥエル
私は、全摘後の乳房再建手術をやらない決心をしました。これは悩みに悩みましたが、自分の人生の優先順位を決め、再建のメリット・デメリットを検討した結果、再建しないことに決めました。自分のがん治療やそれに伴う処置、検診など、医師から言われたことを受け入れるのも大事ですが、自分で考えて判断することもとても大事です。今後についても、担当医は「もう両胸を全摘したからマンモグラフィはできない」「これからは、自分でしこりを見つけたら検査をしましょう」という方針でした。しかし、今回のがんにもしこりはなかったことから、私は納得できず「何らかの画像検査を定期的にするべきだ」と交渉し、年1回の超音波検査を了承してもらいました。それでも、私としては不安なので、日本に行ったときに日本の医師と相談して納得できる検査プランを立てようと考えています。病気になってもそれを受け入れながら、楽しい充実した人生を目指してプランを立て、実行していくことが大切だと考えます。そのために、どうしたら自分が再発の恐怖に負けずに、幸せな生活を送れるかを第一に考え、必要な事は取り入れ、また不必要な事は思い切って切り捨てていくべきだと考えています。「災い転じて福となす」。今回の経験を、自分の人生のプラス要因となったと言えるようにしたいと思っています。
編集部まとめ
話を聞くだけでも、日本との違いに驚かされました。当事者であるマクドゥエルさんは、比べものにならないくらいの不安やストレスを感じていたではないでしょうか。この闘病体験記が、同じ病気に悩む人、特に異国の地で闘病している人たちに、少しでも勇気を与えられたらと思います。
なお、Medical DOCでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。