【闘病】“離婚”を選んだのは「将来動けなくなる自分」を介護させたくなかったから《脊髄小脳変性症》

2011年に脊髄小脳変性症を発症し、現在も病気と付き合いながら日々を懸命に過ごしている真壁さん(仮称)。現在も脊髄小脳変性症によるふらつきや手足の動きにくさなどがあり、車椅子中心の生活を送っています。ほとんどの方にとって、脊髄小脳変性症は聞いたことがない疾患かもしれません。真壁さんの話からどのような病気なのか、患者にはどのような苦労があるのか、何に気を付けて生活しているかを知ってください。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年4月取材。

体験者プロフィール:
真壁さん(仮称)
2011年頃に身体のふらつき、滑舌不良、手先の細かな作業がしにくいなどの症状がたまに出現するようになる。原因がわからず、病院に行くも診断は確定できなかった。その後も少しずつ症状は進み、2018年に「脊髄小脳変性症」との正式診断が出る。定期通院を続けながら、運動失調を改善する内服薬と筋トレ、ストレッチをしながら生活している。
診断を受けてから3年間は病気を受け入れられなかった

編集部
初めに脊髄小脳変性症という病気について教えてください。
真壁さん
脊髄小脳変性症は後頭部の下側にある小脳に変性を起こすことで、様々な身体症状を来たす病気です。代表的なものとしては歩行時のふらつき、手の震え、ろれつが回らないなどの運動失調症状です。動かすことはできるのに、うまく動かせなくなります。現状はホルモン剤によって運動失調を緩和する対症療法が標準的な治療です。
編集部
真壁さんの病気が判明した経緯についても教えてください。
真壁さん
2011年から身体に異変を感じ、すぐに脳のMRI検査を受けました。しかし、診断が確定するほど小脳の萎縮は見られず、「もう少し様子をみましょう」と医師に言われました。その後、症状は徐々に進んだことで、2018年に「脊髄小脳変性症」との正式診断が出ました。この病気にはわかっていないことも多く、個人差もあるようなので、私の場合は正式診断が出るまでに7年かかりました。
編集部
かなりの時間を要しましたが、判明したときの心境も教えていただけますか?
真壁さん
病気以前は、20年以上フィットネスインストラクターをしていて、身体をフルに使っていました。病気そのものもショックでしたが、インストラクターをできなくなったことも同じくショックでした。「自分が難病になるわけがない」と、診断後も受け入れられないまま、症状は少しずつ進みました。診断を受けてから3年くらいは塞ぎ込んでいて、ほとんど誰とも会いませんでした。
編集部
治療はどのように進めていくと説明されたのでしょうか?
真壁さん
「根本的な治療方法はないので、進行の経緯を見守ることと、筋力をなるべく落とさないように」と言われました。治すことはできませんが、「運動失調を緩和する薬を毎日飲むように」とも説明がありました。また、「症状の進行にも個人差があり、あまり進まない人もいれば、数年で寝たきりになってしまう人もいる」とのことでした。
編集部
脊髄小脳変性症になってから、日常生活はどのように変化しましたか?
真壁さん
歩く、話す、字を書くなどの当たり前にできていたことが困難になったほか、外出、買い物、食事、トイレ、お風呂、着替えなど、生活全般が大変になりました。人に会うことも非常に少なくなり、笑顔はかなり減っていたと思います。何をするにも何倍も時間がかかり、自分だけではできないことも圧倒的に増えました。
編集部
日常生活にも多くの苦労が予想できますが、真壁さんが日頃から努めて取り組んでいることについても教えてください。
真壁さん
一日一日を大切にしています。特に、人の意識や考え方、モチベーションの上げ方、幸せな生き方などに興味を持つようにしています。脳をなるべく働かせ、フル回転させることも意識しています。どうしたら自分が社会に貢献できるか、どうすれば自分の難病体験を活かせるかをいつも模索しており、今回の取材も1つのきっかけになるのではないかと思います。
思い通りに身体を動かせない中でも友人の存在が支えに

編集部
真壁さんの現在の体調や生活の状況なども教えていただけますか?
真壁さん
体調面に関しては歩行困難で車いす生活を送っており、手足や全身の素早い動きができず、身体のバランスがとれないこと(四つん這いになっても転がってしまうこともあります)、滑舌不良、字がうまく書けない、めまいなどの症状と付き合っています。また、車いす生活なので、掃除・洗濯はヘルパーにお願いしています。字を書くときはその都度代筆を頼んでいます。食事は自分で調理することはなく、電子レンジのみでできるものを食べるのが基本です。病気の診断後3年は夫婦ふたりで生活していましたが、いつか寝たきりになって妻に介護してもらう道を選びたくなかったため、その後、離婚して独り身になりました。
編集部
病状は現在も進行しているのでしょうか?
真壁さん
根本的な治療方法がない進行性の病気なので、運動失調を緩和する薬を定期通院で処方してもらっています。そして、とにかく筋力を落とさないように、筋トレやストレッチなどのリハビリを行っています。ですが、一年単位くらいでみると、症状の進行を感じています。
編集部
真壁さんが心の支えにしていること、支えになってくれた存在は何でしょうか?
真壁さん
つらい本心を打ち明けられる友人の存在が支えでした。病気に最低限の配慮は示しつつ、それ以外は健康な人と同じように私に接してくれたからです。友人がいなければ、今の私はいなかったと思います。
病気が「毎日を大切に生きる」という幸せを気付かせてくれた

編集部
もしも昔の自分にアドバイスできるなら、どんなことを伝えたいですか?
真壁さん
「生きられているだけでいい」「懸命に生きようとしている」、そのことだけで自分に満点をあげていいと自分に言います。病気でいろいろなことが出来なくなった自分や、病気を治せない自分を責めて認められない日々が続き、それがより自分を苦しめたと思うからです。
編集部
脊髄小脳変性症について知らない人に向けて、伝えたいことはありますか?
真壁さん
私の病気は、大脳に損傷があるわけではないので、人の言っていることや外部で起きていることはほぼ認識できます。ただ、反応や表現が遅いので、それがとても自分自身のストレスでもあり、周りもこの病気の症状を理解しにくい部分だと思います。それをわかってほしいとは望みませんが、「何かあるんだな」と想像をしてもらえると嬉しいです。
編集部
ご自身の経験から医療従事者の方に期待すること、伝えたいことはありますか?
真壁さん
私の場合は、かかった医師のほとんどが機械的で、病気を持つ人の心に寄り添おうとする姿勢はあまり感じられませんでした。たとえ病気を治すことが困難であっても、少しでも相手をほっとさせるような一言をもらえることを望みます。
編集部
最後になにかメッセージがあればどうぞ。
真壁さん
今も大変ですが、病気を通じてそれよりも大きな気づきや幸せをもたらしてくれましたし、これからもそうだと思っています。病気だけでなく、人生で大きな困難が起きたとしても、命があれば必ずできることがあると思うからです。私は朝目覚めたときに「今日という一日が、また私に与えられた」と思い、一日に感謝することから始めます。今日一日は私にとっての何かのチャンスだと。いろいろな困難に直面しても、あきらめずに生きていく姿勢を、私はこれからも示していきたいです。私は難病体験を通じて「この世の中に当たり前はない」と気づかされたと思っています。歩けること、人と会話できること、働けること、食べられることなど、今までは当たり前だとして生きてきましたが、それらはすべて覆されました。そして病気や怪我などで大変な思いをしている人たちの本当の大変さを、それまでの自分は全然わかっていなかったと反省しました。あらゆることを当たり前だと思わなくなると、それらのことに自然と「感謝」が生まれるのです。住まい、食べ物、着るものがあることも「ありがたい」と感じ、人にあいさつされたり、ちょっと親切にされたりするだけでもすごく嬉しくなるのです。ですから私は難病になる前よりも、今の方が幸せだと思います。難病体験は私に感謝を思い出させてくれました。
編集部まとめ
脊髄小脳変性症は患者数こそ少ないものの、甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン誘導体で症状を一定程度緩和できることがわかっています。また、2023年10月にはロボットスーツによるリハビリテーションも保険適用となり、患者にとって1つの希望となっています。完治できる治療法は発見されていませんが、今後の医療技術発展によって改善が期待できる病気の1つです。家族や知人に脊髄小脳変性症と思われる症状の方がいたら、すぐに神経内科への受診を進め、早期に治療を開始することを意識してください。
なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

記事監修医師:
上田 雅道(あたまと内科のうえだクリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

