【闘病】大腸がん 「いつ死んでもいい」という想いと時おり訪れる「再発」の恐怖(1/2ページ)

大腸がんは、初期症状がほとんどなく、検診などで見つかることの多いがんだそうです。普通の生活を送っていたM.Oさん(仮名)も、子宮内膜症の検査をきっかけに偶然大腸がんが見つかり、手術を受けることになったと言います。がんの告知の受け止め方、家族の反応、手術や検査に対する想いなどを話してもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年3月取材。

体験者プロフィール:
M.O(仮称)
1977年生まれ、女性。愛知県在住。夫婦ふたり暮らし。2019年に、それまで継続治療していた子宮内膜症のMRI検査にて、直腸の異常を指摘され、再検査にて直腸がんが見つかる。ステージ1。現在は、仕事にも復帰して、ゆっくりペースで生活している。

記事監修医師:
岡本 彩那(淀川キリスト教病院)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
子宮内膜症の検査で、直腸の異常を指摘

編集部
最初に不調や違和感を感じたのはいつですか?
M.Oさん
自覚症状は全くありませんでした。でも、後になってから振り返ると、発覚の数年前から血便が時々ありました。
編集部
受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。
M.Oさん
別の病気(子宮内膜症)のMRI検査で、「直腸壁が肥厚している」と言われて精密検査を勧められました。勧められるままに消化器内科で大腸内視鏡検査をしたあとに、おそらく「がん」であると告げられました(確定診断は病理組織学的診断をもって行います)。
編集部
告知はどのような形でしたか?
M.Oさん
内視鏡の検査中、先生と一緒にモニターを見ていたのですが、素人目にも明らかに『何かある』と分かりました。その部分の組織を採取してきて顕微鏡の検査を行う(生検)とのことでしたが、先生からは「はっきりしたことは生検の結果が出てからお伝えしますが、おそらくがんでしょう」と言われました。「次の受診時は、家族と一緒に来てください」とも言われました。その後の受診で改めて「直腸がん」と診断されました。 がんとは別に、良性のポリープも数個あったようです。
編集部
その時どのように感じましたか?
M.Oさん
元々あまり体が丈夫な方ではなく、体調がいい日があまりないタイプで、親戚の中で私と一番似ている祖父が病弱でした。そんなこともあり、なんとなく「自分は何か大病しそうだな」と思っていたので、「あ、大腸がんか。時期が思ったより早かった(若かった)な」「見つかったからには治療するしかないか」 という感じで、結構淡々としていました。その時点でショックなどもほとんどなく、職場に迷惑をかけないか、身内にはどの順番で言おうかなどと考えていました。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
M.Oさん
まずは、内視鏡で切除できるか試してみて、取れなかったら手術をしましょうとのことでした。腫瘍の画像を見せてもらっていたこともあり、内心「あんなのが内視鏡で取れるのだろうか」「おそらく手術になるのでは?」と思っていました。
術後、まさかの合併症が…

編集部
実際の治療はどのように進められましたか?
M.Oさん
内視鏡では良性のポリープのみ取れて、がん病変は取れなかったので、やはり手術になりました。「がんの部分の腸を切ってまた繋げる」とのことでした。手術は腹腔鏡手術で、お腹に5箇所の穴と、お尻からも器具を入れたそうです。術後3日間、お尻に長さ10cmくらいの管が入っていて、縫ってあったとのことです。これがすごく痛くて大変でした。排尿はカテーテルでした。手術自体は成功し、術後は絶飲食、2日後から飲水のみOK、4日後から食事スタートの予定でしたが、手術部からの排液を流すドレーン内の排液が白濁してきて、「乳び腹水」という合併症と診断されました。また絶食となってしまい、切なかったです。
編集部
食べられないのは辛いですね。
M.Oさん
食べられなかったので、術後7日目にCVカテーテル留置の処置(鎖骨の上辺りから針を入れる)をして高栄養の点滴を入れることになりました。それと並行して、飲み物はOKでしたので、高栄養の液体を服用することになりました。個人的にはとても不味くて辛かったです。手術部の癒着を防ぐため、院内をなるべく歩く(牛歩でしたが)ようにしていました。このときまだ排液用のドレーンは入っており、それの量と色をチェックされていました。術後13日目にやっと食事がスタートし、重湯から徐々に三分がゆ、五分がゆ、七分がゆ、普通食と進みました。栄養士さんと話す機会もあり、パン食の対応をしていただいたり、今後の食事のアドバイスもいただいたりしました。
編集部
大変でしたね。
M.Oさん
病理検査の結果で「転移なし。深さは粘膜下層まで」ということで『ステージ1』という診断が出たのが救いでした。私自身もホッとしましたし、一緒に聞いていた主人の表情と「あー良かった」という言葉で、どれだけの想いを抱えていたのかが伝わってきて、そういう意味でも一安心しました。ちなみに、 一部リンパを取ったそうですがその中に子宮内膜症の嚢腫があり、爪なども入っていたそうです。ガス(おなら)が出て、排便があれば退院して良いと言われましたが、私の場合排便がなく、結局下剤に頼りました。術後17日目に退院となりました。
編集部
受診から手術、現在に至るまで、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。
M.Oさん
周りへの告知は難しいなと思いました。特に父はパニックになり、義両親にも電話をしてしまって、がんであることを言ってしまいました。それだけでなく「〇〇くん(主人)は一緒にいて気付かなかったのか」「もっと早く病院に連れていってくれれば」と、まるで『お宅の息子は何やってたんだ』みたいな言い方でした。幸い義両親は穏やかに収めてくれましたが、こちらとしては申し訳なくて仕方なかったです。主人や母は、とにかく心配、不安、物理的負担が多かったと思います。病気というのは時に、本人よりも周りが大変だとしみじみ感じました。職場には、ズバッと伝えました。誰にどこまでと線をひいてもどうせ伝わるし、間違った噂が立つのも嫌だったので。 ただ、後になって「言われてどう反応していいか戸惑った人もいたのかな」と思いました。




