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【闘病】「摂食障害」で体重30kgを下回る… 一人で頭も支えられず歩けない状態

 公開日:2024/04/26

本来、健康になるために行う「ダイエット」も、行き過ぎると体が悲鳴を上げてしまいます。摂食障害で体重が30kgを切り、半年間の入院・治療することになった三輪さんに、摂食障害になった経緯や当時の治療について話を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年2月取材。

 
≫三輪さんの闘病中と現在の写真

三輪春弥さん

体験者プロフィール
三輪 春弥

プロフィールをもっと見る

1996年生まれ・女性。石川県在住。2011年に「摂食障害(拒食症)」と診断される。現在は摂食障害を乗り越え、結婚・出産を果たし、第2子の出産も控えている(取材時)。

秋谷 進

記事監修医師
秋谷 進(東京西徳洲会病院小児医療センター)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

階段が昇れなくなっても「ダイエットの邪魔をしないで」と思っていた

階段が昇れなくなっても「ダイエットの邪魔をしないで」と思っていた

編集部編集部

最初に不調を感じたのはいつですか?

三輪春弥さん三輪さん

中学3年生の部活引退後から、ダイエットとして食事制限を始めました。夜ご飯に炭水化物を食べないことから始まり、次に肉や魚を食べなくなり、最終的には油が入っている料理(スープや出汁に油が入っているだけでもNG)も食べなくなりました。高校入学後もそんなダイエットが続き、高校1年生の夏休みに自宅の階段を昇れなくなったことや、頭が常にぼーっとして集中できないことなどから、違和感を覚え始めました。

編集部編集部

受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。

三輪春弥さん三輪さん

高校1年生の夏休み、周りから「こんなにご飯が食べられないのはおかしい」と言われ、母親に連れられて精神科へ行きました。病院では身長・体重の計測を行い、診察・問診(「自分は痩せすぎだと思うか?」などの質問がありました)を受けた結果、「摂食障害(拒食症のみ)」と診断されました。初めて病院へ行った時は身長162cm、体重44kg、BMIは「16.5〜17.0」くらいだったと思います。

編集部編集部

診断、告知された時はどのように感じましたか?

三輪春弥さん三輪さん

担当のお医者さんと私が向かい合い、母が私の隣に座っている状態で診断・告知をされました。診断された時は「このくらいのBMIならどこにでもいるのに大袈裟すぎる」「ダイエットの邪魔をしないでほしい」と思いました。

編集部編集部

どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?

三輪春弥さん三輪さん

治療方針の話をする時に、私は診察室から出されて母と担当のお医者さんの2人で話していたのでよくわかりません。診察の最後に「また2週間後に来てください」と言われました。いま思えばそんな見方をしてはいけないと思いますが、訪れた病院は精神科専門の病院だったため、院内には変わった行動を取る人や奇声を上げる人などが沢山いて、15歳だった当時の私は本当に怖かったです。「なんでこんなところに来なきゃいけないんだろう」と、待っている間ずっと思っていました。

体重が30kgを切ってついに入院

体重が30kgを切ってついに入院

編集部編集部

治療はどのように進められましたか?

三輪春弥さん三輪さん

2回目以降は担当医と「身長・体重の測定」「食べられる物と食べられない物の確認」「最近何があったか」などを話す治療が続きましたが、体重は減っていく一方でした。先述の通り夏休み中盤には階段が昇れなくなり、食べられるものはスイカ、きゅうり、トマト、そして栄養補助食品のみとなり、夏休み終盤になると体重が40kgを切り、自分一人では頭も支えられず、動けなくなっていました。

編集部編集部

それは生活に支障をきたしますね。

三輪春弥さん三輪さん

私自身、頭が支えられなくなったあたりから「自分はおかしいのかも」と思い始めて「何か食べなくては」と思い始めたのですが、ネットで「拒食のみの人は、リバウンドや過食・嘔吐が発症しやすい」という情報を見ると、やはり太ることが怖くなり、結局食べられませんでした。

編集部編集部

それは大変でしたね。

三輪春弥さん三輪さん

そうしているうちに私を心配した親が、通っている病院へ連絡をしてくれて、もっと大きい大学病院に入院することになりました。自分が動けなかったため、父親にお姫様抱っこをしてもらって車で病院まで運んでもらったのをよく覚えています。夏休み〜翌年3月までの約半年入院しました。入院した時はほとんど記憶がないのですが、体重が30kgを切っていて、食べ物もほとんど食べられていなかったのでずっと点滴を打ってもらっていました。その後、流動食→低カロリー食→普通食という流れで食事をしていき、退院する時には1日で合計2000kcalになる病院食を完食できるようになっていました。

編集部編集部

そこまでに、たくさんの苦労があったのではないですか?

三輪春弥さん三輪さん

苦労と言って良いのかわかりませんが、私の退院目標は「体重が45kgを超えること」の1つだけでした。当時は「いかに看護師や主治医にバレないように体重をカサ増しできるか」をずっと考えていて「病院内で出されたご飯を看護師にバレないよう隠れて捨てる」、そして「定期的な体重測定の際に重い物を服の中に隠して測定する」など色んな姑息な手を使っていました。でも、結局はバレて、ペナルティとして外出禁止になり、入院期間も半年という長い期間になってしまいました。

簡単で単純な言葉に「SOS」が隠れているかも

簡単で単純な言葉に「SOS」が隠れているかも

編集部編集部

病気の前後で変化したことを教えてください。

三輪春弥さん三輪さん

過度なダイエットをしていた時期から退院後2年くらいまでは「細いのが正義」「細い方が可愛い」「50kg以上とかデブやろ」という頭でいっぱいで、毎日体重チェックをしていました。ですが、友達が増えたり彼氏ができたりと自分の環境が変わっていったことで、「細さ(痩せ)にこだわる必要はない」ということに気付かされました。発症から12年経った今では「体重は増減するものだし、増減しても自分が一定の生活を送っていると、また元の体重になる」ということが分かり、体重測定も全くしなくなりました。

編集部編集部

今までを振り返ってみて、後悔していることなどありますか?

三輪春弥さん三輪さん

私の場合、反抗期が重なったこともあり、面会に来てくれた両親に冷たい態度を取ってしまうことがよくありました。いま思うと、半年もの間、毎日仕事終わりに来てくれていたのに本当に申し訳なかったと思います。

編集部編集部

現在の体調や生活はどうですか?

三輪春弥さん三輪さん

体調はとても良いです。何も気にせずご飯を食べることができるようになりました。また、現在は縁があり結婚をして、第1子を出産、現在2人目を妊娠中です。妊娠後期のいまでは入院した当時の2倍くらいの体重になっています(笑)。

編集部編集部

医療機関や医療従事者に望むことはありますか?

三輪春弥さん三輪さん

あくまで私のケースですが、同じ摂食障害の患者さんを見て「私より細い」「私より退院が早い」「私よりご飯のカロリーが低い」などの嫉妬心が芽生えて「なんであの子は良くて私はダメなの?」と比較して、反抗的な気持ちが芽生えることが多かったので、そういう情報が入りにくいような環境で入院できたら良かったなと思います。

編集部編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

三輪春弥さん三輪さん

人それぞれな部分もありますが、「食べたい」「痩せたい」「食べられない」「つらい」こんな簡単で単純な言葉の中に、「話を聞いて欲しい」「誰か助けて」とSOSを発しているのかもしれません。もし、摂食障害で悩む方が近くにいて「話を聞いて」と言われた時は、是非親身に話を聞いてあげてほしいと思います。

編集部まとめ

「痩せたい」と思ったことが一度もないという人は多くはないと思います。三輪さんが思っていた「細い方が可愛い(格好いい)」も、決して特殊な価値観ではなく、誰もが一度は抱いたことのある感情ではないでしょうか。三輪さんの体験談は、決して特殊なケースではないと感じさせられます。記事監修医の秋谷先生によれば、「そんなありふれた感情に対して、周りの人が身体を心配して『体重を増やすこと』ばかり求めてしまうと、本人が「気持ちを分かってもらえない」と感じてしまい、結果的に摂食障害の治療戦略を難しくする要因の一つとなっています」とのことです。

なお、Medical DOCでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

この記事の監修医師