【闘病】子どもたちを守れない…27歳で若年性「乳がん」発症の母が日々の幸せを噛みしめる理由
妊娠・出産は、本人やご家族にとっても本当に幸せなものです。しかし、今回お話を聞かせてくれたゆりりんさん(仮称)は、産婦人科を退院するその日に乳腺クリニックを受診することになり、「乳がん」と告知を受けました。「同じ病気でも周りはみんな年上で、孤独を感じていた」という入院生活から、SNSで多くの人と繋がり「ゆりりんさんが光です」と言われるようになるまで、そして現在のご家族との生活についてなどを伺いました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年01月取材。
体験者プロフィール:
ゆりりん(仮称)
若年性乳がん、aya世代。3人目産後1ヶ月(当時27歳)で乳がんと告知される。腹部・背部リンパ節複数・膵臓転移・脳転移・浸潤性乳管がん。HER2 3+stage IV grade3。
記事監修医師:
寺田 満雄(名古屋市立大学病院乳腺外科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
未来が見えなくなり「子どもたちを守れない」と思った
編集部
最初に不調や違和感があったのはいつですか?
ゆりりんさん
最初の違和感は、第2子を妊娠した時です。胸に小さなしこりができ、痛みや腫れ、熱感もあったので、産婦人科の先生に相談したところ「乳腺炎かな」と言われ、漢方薬を処方されました。当時その先生からは、妊娠中でも乳腺炎になることがあると言われましたが、あとから妊娠中に乳腺炎になることは基本的にないことを知りました。
編集部
その後、状況はいかがでしたか?
ゆりりんさん
外科で膿を出す処置をしてもらったこともあり、その時はしこりは消失したように感じたのですが、第3子を妊娠するとまたしこりが出現。ですが、医師からは前回と同様に「乳腺炎」と言われ、しこりがどんどん大きくなる一方。ついに出産の頃には胸を覆い尽くすまでに成長していました。産後、不安になって助産師さんに相談すると「これは乳腺炎じゃない気がする。先生にお願いして、良い乳腺クリニックに行けるようにしてもらうから。退院の日に直接いける?」と動いてくれて、やっと乳腺クリニックを受診することになりました。そこでX線検査や超音波検査、細胞診などを受け「乳がん」と告知を受けました。
編集部
そこでようやく告知されたのですね。具体的にどんな説明を受けましたか?
ゆりりんさん
乳がんは誰でも1度は聞いた事があると思いますが、私はその中でも、「浸潤性乳管がん 硬性型」だと言われました。乳管だけに留まらず、ほかのリンパ管にもがん細胞が浸潤してしまう、転移性のあるがんです。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
ゆりりんさん
「しこりが大きすぎるので、まずは手術でしこりを取りましょう」と言われました。さらに、周りのリンパ節に転移もみられるので手術の際は転移しているリンパ節も切除し、その後に抗がん剤治療をしながら放射線治療も行うと言われました。
編集部
当時の心境について教えてください。
ゆりりんさん
「私ががん……? こんなに進行してしまっているならもう未来が見えない。子どもたちの成長を見ることができないな」と、まずは死を覚悟しました。家族の顔が浮かんできて「夫や家族に謝らないと。ごめんね、私お母さんなのに子どもたちを守れない」と、とにかく情けなくて心が痛くて辛かったです。
孤独を感じていた時に「AYA世代」という言葉と出会う
編集部
実際の治療の経過について教えてください。
ゆりりんさん
医師の説明通りの治療をうけました。抗がん剤治療をうけつつ、私のがんのタイプには「分子標的薬」がよく効くとのことで、その治療も受けました。
編集部
受診から手術、現在に至るまで、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。
ゆりりんさん
手術した病院は「乳腺クリニック」で、周囲が乳がん患者さんばかりだったので少し安心したのですが、私のように全摘治療をしている進行性のがんの人はほとんどいないとわかりました。同じ病気といってもみんな私より年上で孤独を感じていた時に「AYA世代」という言葉を知りました。「AYA世代」とは、私のような若年性のがん治療をする世代を指す言葉です。そして「私も誰かの支えや孤独感をなくすことができるかな」との思いからInstagramを始めると、日本中のAYA世代と繋がることができ、ひとりじゃないと思えました。今は年代関係なく、乳がんにかかってしまった方の力になりたいと思いInstagramの更新をがんばっています。「投稿が支えになっています」と言ってくださる方が多くなり、私自身もSNSでつながった方に救われています。
編集部
治療後のお身体はどうですか?
ゆりりんさん
治療はうまくいったのですが、2022~2023年に再発、膵臓と脳にも転移し、手術や抗がん剤治療を再び行っています。転移を知らされた時や、脳転移のせいで言葉が出てない時、左足の感覚がほとんど失われた時に、もうダメかも……と何度も思いましたが、医師や医療の力でまた生きることができ、希望を与えてもらいました。医療の力に感謝しつつ、自分も「当たり前の毎日は無い」と実感し、子どもたちと過ごせる日々をとにかく大切に生きることを大事にしています。
編集部
病気の前後で変化したことを教えてください。
ゆりりんさん
健康でいること、働けること、子どもたちを追いかけることのできる元気な体、家事をこなせること、今までできていたこと全て当たり前ではないということを知りました。今は毎日、子どもたちと過ごせる日々を噛み締めて生きています。そして、とにかく笑って生きています。生きているから大丈夫、病気だけどまだ生きている、そう思いながらなるべくがんに心を奪われないよう努めています。その心がInstagramでは誰かの支えになることもあり、そういう方がいるから私もまた頑張ることができています。
子どもたちと一緒に病気と闘う、この日々が私の宝物
編集部
今までを振り返ってみて、後悔していることなどありますか?
ゆりりんさん
最初に「乳がんではなく乳腺炎です」という誤診を受け続け、納得できずに自分で乳腺クリニックに電話しましたが「妊娠中であれば産婦人科の医師に従ってください」と言われて動けずにいました。「若くても、妊娠中でも乳がんになることはある」という認識がもっと広がれば私のようなケースも減ると思います。 乳がん検診は40歳以降といわれていますが、実際は若年性の乳がんも多いことをもっと知ってもらいたいです。あと一歩、専門医にみてもらうというところまではいかなかったのが、悔しくてたまりません。
編集部
それは辛い経験ですね。それとともにもっと多くの方に知ってほしいと思いました。
ゆりりんさん
はい。初めて乳腺の先生にみてもらった時「どうしてもっと早く来てくれなかったの」と言われ、辛かったことを今でも思い出します。もちろん医師はプロフェッショナルで診断に従う必要はありますが、自分の違和感を絶対にないがしろにしてはいけないと思います。ちなみに産婦人科の先生は第1子の時からお世話になっている産婦人科のプロで、大好きな先生です。
編集部
現在の体調や生活はどうですか?
ゆりりんさん
今はステージ4の末期がんです。痛みも強いので医療麻薬の力を借りながら抗がん剤治療をしています。抗がん剤治療の副作用や体の痛みもあるのであまり元気とは言えませんが、子どもたちと一緒にいられるので日々幸せに過ごしています。その日の体調にもよりますが、なんとか家事・育児もできています。入院の度に家族と離れるのが辛く、テレビ通話でお互い泣いた日々、退院すると抱きしめてくれる子どもたちの小さな温もり、一生懸命書いてくれた手紙、似顔絵、死ぬのが怖くて一緒に泣いた日、子どもたちと一緒に病気と闘うこの日々が私の宝物です。
編集部
医療機関や医療従事者に望むことはありますか?
ゆりりんさん
若年性乳がんの存在をもっと一般の人に布教させてほしいです。また、妊娠・出産時の補助金や、家事や子育てをしながらがん治療をする人のための家事サポートやシッター制度などが手厚くなったら嬉しいです。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
ゆりりんさん
この記事を読んだ方は、ぜひ乳がんについてアンテナを立ててほしいです。若い人はセルフチェックを欠かさずに、違和感があれば納得いくまで病院で診てもらってください。40歳以降の方は必ず乳がん検診を受けてほしいと思います。子どもたちと過ごす毎日を大切に私はこれからも頑張って生きていくので、皆さんもどうか毎日幸せに笑顔で当たり前ではない日々を噛み締めて過ごして欲しいと思います。
編集部まとめ
若年性乳がんの闘病について、ゆりりんさんにお話をうかがいました。乳がんは日本人の9人に1人が発症するがんです。乳がんは、検診開始年齢の40歳以前に発症することも珍しくはありません。日頃から、自分の乳房の状態を知っておき、定期的にセルフチェックをすることを習慣づけましょう。変化に気がついたら医療機関を受診することが大切です。
なお、Medical DOCでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。