【闘病】22歳で「なぜ私が?」 多発性硬化症と診断され就活でも苦労…
多発性硬化症は、脳と脊髄、目の神経に問題が起こる原因不明の病気で再発と回復を繰り返します。うえださん(仮称)は顔面の皮膚感覚の異常があり多発性硬化症と診断され、10年以上闘病を続けてきました。そんな彼女に、発症から現在までの話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年3月取材。
体験者プロフィール:
うえだ はるか(仮称)
東京都在住、33歳。診断時の職業はフリーター。2012年1月に左顔面の皮膚感覚異常が発生。耳鼻科を受診するも、原因判明せず経過観察となる。2012年4月多発性硬化症(MS)専門医を受診して多発性硬化症が確定。ステロイドパルス療法も開始した。
記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
多発性硬化症の診断と治療
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
うえださん
左顔面の皮膚感覚がおかしくなり、知り合いの整体師に相談したところ「三叉神経痛の可能性があるかも」と聞かされたので、耳鼻科にかかりました。原因がわからず経過観察となり、そのうちに左頬や左額にふれても、温度も触れている感覚もわからなくなったため、脳神経外科へ相談しました。じつは、顔面の感覚異常が発生する前にも顔面筋肉がうまく動かなくなったり、腕の動作不良の症状があったりもしました。
編集部
脳神経内科を受診した結果はいかがでしたか?
うえださん
MRIの結果、埼玉の多発性硬化症専門医の先生へ紹介状を書いていただき、そこでステロイドパルス療法を開始しました。その後、髄液検査や脳波検査などの検査の結果、多発性硬化症が確定しました。
編集部
ステロイドパルス療法について教えてください。
うえださん
状況によって主治医判断で変わりますが、私の場合ステロイド点滴を3日間連続で行い、1クールで再発症状が軽快しない場合は、最大で3クールまで行ってもらっています。幸いなことにステロイドがよく効いたので、これまでの再発はほとんどが後遺症も残っていません。
編集部
若くして病気が判明した時の心境について教えてください。
うえださん
「なんで私が?」と思いました。絶望しました。未来が思い描けなくなり、真っ暗になった感じだったのを覚えています。判明してすぐに開始したアボネックスが自己注射だったのですが、注射が苦手な自分に本当に打てるのか、すごく不安でした。
編集部
アボネックス注射の副作用があったそうですね。
うえださん
アボネックス注射を打っている時は、週に1日、ひどい関節痛と悪寒で、布団から出られなくなりました。アボネックスを打っている間にも1年間に最低2回再発があり、左右の目の視野が欠け、右手の握力の低下、右顔面の筋肉のこわばりなどの症状が起きていました。しかし、毎回パルス処置のおかげで、後遺症はほぼありません。副作用でうつ症状がひどくなったため、薬をコパキソンに切り替えてもらいました。
編集部
変更してどうなりましたか?
うえださん
アボネックスの時に比べて、再発頻度が下がってきました。副作用も痛みだけだったので、生活しやすくなっていましたが、注射薬の冷蔵保存が大変だったので、経口薬の認可が下りたタイミングでテクフィデラに切り替えてもらいました。
編集部
テクフィデラ内服に切り替えてからはどうなりましたか?
うえださん
右足の歩行困難などの再発頻度が下がり、ほとんど寛解状態となりました。毎回ステロイドパルス療法で処置していたので後遺症はほぼなく、副作用の胃腸症状も和らいでいます。
編集部
発症後の生活の変化について教えて下さい。
うえださん
アボネックスを打っている時は、ひどい関節痛と悪寒が出ていたので解熱剤を飲んでいましたが、体にだるさと微熱が残ってしまい、ウートフ現象で調子が悪かったので、友人との遊びの予定や、仕事との調整をどうやっていけばいいのか悩んでいました。再発による体調不良で急遽予定が変わることも増えたので、事前に予定している人に事情を伝えて理解をしてもらう必要がありました。予定に誘われたときに、最初の頃はドタキャンになるのが申し訳なくて、参加することに尻込みするようになっていました。
両親や友人など存在が支えに
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
うえださん
両親が病院までいつも一緒に通ってくれたことが本当にありがたかったです。最初の頃は病院で一人長い時間待ち時間を過ごすのはとても辛かったので、付き添ってもらえたのは支えになりました。あと、仲のいい友人たちの存在です。体調がいいときは一緒に遊びに行って、趣味の話を一緒にしてくれることが本当に気持ちを切り替えてくれました。同病者とのつながりも支えになりました。
編集部
同病者とのつながりとは?
うえださん
多発性硬化症などに関する情報発信をしているNPO法人さんやツイッターや病院で知り合った同病の方々にも、いつも支えてもらっていると感じています。NPO法人さんは、病気が確定した折からとても支えていただいています。とても信頼できる情報発信をしてくださっていたので、新薬の話など、未来に向かっての希望が持てて今でも心強く本当にありがたいと感謝しております。同病の方は、再発した際にお互いに励まし合い、声をかけ合えたので、自分だけが今、症状に悩んでいるわけではないと、仲間のように感じて、孤独な気持ちを支えてもらっていたことをよく覚えています。
編集部
現在の体調はいかがですか?
うえださん
テクフィデラの副作用による胃腸系の不具合が出ることはありますが、多発性硬化症の再発頻度が以前より下がり、比較的安定した状態になっています。わずかに後遺症が残っていますが、疲労がたまっていなければ問題なく過ごせています。現在の職場でも、病気のことをオープンにして働いており、再発して体調が悪いときはその状態に合わせた働き方をさせてもらえています。
ヘルプマークと就職への問題
編集部
多発性硬化症になって苦労されたことはありますか?
うえださん
就職活動で苦労しました。最初は障がい者窓口に相談しました。軽症なので障がい者枠での就職は難しいと説明があり、難病患者の就労支援を行っている企業に切り替えて就職活動を行いました。当時使用していた予防薬が週に1回投薬する度に必ず副作用の高熱が出ていたこと、再発回数が多く、安定していなかったこともあり、時間に融通の利く職場と身体的負荷の重くない職種での就職を希望していました。就職活動と並行して、時間に融通の利くアルバイト先を知人から紹介してもらい、面接時に持病のことも公表してアルバイトとして勤め始めました。最終的に友人から声をかけてもらっていた企業に、2年のアルバイトを経たのちに、持病も公表の上、正社員として採用され現在に至っています。
編集部
もし健康な時の自分に声をかけられたら、なんと言ってあげますか?
うえださん
「今していることを全力で楽しんで。夜更かし、偏食はしすぎないように」。それと、「家族、友人は大切にして、人との縁を大切に」と伝えます。
編集部
あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。
うえださん
ヘルプマークを認識する余裕を持ってもらえると、とてもとても嬉しいです。
編集部
医療従事者に伝えたいことはありますか?
うえださん
検査や診察をいつも丁寧にしていただき、また入院中は手厚く看護いただき、本当にいつもありがとうございます。医療従事者の皆様に、たくさん幸せや楽しいことがありますように。
編集部
最後に読者に向けてのメッセージをお願いします。
うえださん
同病の方は、予防薬や検査、一緒に頑張っていきましょう。病気について興味を持ってくださった方は、ぜひ周囲の方が困っているときは気づいて手助け頂けると、とても嬉しいです。
編集部まとめ
ヘルプマークを知らない人がまだまだ少なくないようです。難病と闘っておられる方は多いのに、世間に伝わりにくいのは残念です。また、職探しもご苦労されています。病気を持っていても働きやすい環境を雇用側は検討する義務があるし、雇用法の改正も望まれます。