【不妊治療体験】「私だけじゃない」孤立を防いだSNSと、パートナーとの共有がもたらした安心感(2/2ページ)

妊娠・出産はゴールではなく、子育てへのスタートライン

編集部
そして、めでたく妊娠となるわけですが、そのときの印象は?
うぇい旦那さん
とても嬉しくて興奮したと同時に、変に顔がひきつったことを覚えています。むしろ「出産」という本番が見えてきて、本当のゴールを知らされたというのか。この瞬間を失わないためには、何が必要なのかと考えちゃいました。「妊娠からがスタート」という気持ちはありましたね。
編集部
いずれ、子育てというステージも待っているはずです。
うぇいさん
はい。私自身、不妊治療を経験したことからどうしても妊娠・出産がゴールに感じていましたが、実際に子育てが始まるとここがスタートだったと思い知らされました。ただ、忙しく慌ただしい毎日も、夫婦で心から願った生活だからこそ前向きにとらえて乗り越えることができています。
編集部
旦那さんはどうでしょうか? 男性目線で構いません。
うぇい旦那さん
妊娠や出産は妻が「主役」です。男性からしたら、主役の負担をパートナーとしてどう支えていくかがポイントだと考えます。とくに不妊治療は「妊娠が叶わない」という落ち込みからスタートします。2人で落ち込むと“沼”ですので、意識してでも「陸地に立って引き上げる存在」にならないといけないですよね。物理的にはどうしても男性にやれることは少ないので、「私たちは妊娠して、子育てするのだ」という前向きな気持ちでサポートに徹しました。
編集部
続けて旦那さんに伺います。出産に立ち会ったときの印象は?
うぇい旦那さん
じつは、コロナ禍によるお見舞い規制で出産には立ち会えませんでした。妻は帝王切開で別途、入院していたのですが、その間も含めて会えませんでした。我が子に会ったのは、退院して妻の実家に行った日になります。あの瞬間は忘れません。
編集部
治療を経て、夫婦の絆に何か変化はありましたか?
うぇいさん
新型コロナウイルスで会えなかったことが、良い意味の緊張感や見えない絆を築いたのかもしれません。夫と自由に会えないのは残念なんですけど、逆に会えたときを大切にしよう、思っていることをきちんと伝えようと。相手をより意識することで、強く正直になった印象です。もちろん、電話などの連絡は日々取り合っていて、一定の支えになりました。
編集部
思うように「会えないこと」に対して、旦那さんはどう捉えていましたか?
うぇい旦那さん
電話だけだと「支えている感」はなかったですね。ただ、後で知ることになるのですが、SNSと一緒で「電話だとしても、妻に居場所がある」ということが大きかったようです。何かを解決する必要はなくて、受け皿として居続けることが大切なのかもしれません。
編集部
実際に不妊治療を経験した身として、国や医療従事者へ望むことはありますか?
うぇいさん
私たちは間に合いませんでしたが、不妊治療が保険適用されたことで、今まで以上に困っている人に適切な治療が届くよう望んでいます。受診のハードルは間違いなく以前よりも低くなると思います。ただ、費用負担の点はありがたい一方で、実際の運用面が今後どうなるのかが気になります。「不妊治療を知られたくないので、クリニックに行きたくない」という層も一定数いらっしゃるでしょうし、必要な人がきちんと治療を受けるにはまだまだ課題がありそうですね。
編集部
これから不妊治療をはじめる夫婦、もしくは治療中の夫婦へメッセージをお願いします。
うぇいさん
人それぞれでしょうが、私は周囲からの“妙な気の遣われ方”が重荷でした。その意味で、そこまで人的交流の少ない割に同じ立場の「SNSのフォロワーさん」は、気が楽でしたよね。良い思い出になっています。また、感情のコントロールに困ったら不妊治療の不成功をできるだけ「楽しいイベント」に置き換えてみることはいかがでしょうか。私たちは生理が来たら、思いっきりお酒を楽しんだり、お寿司を食べに行ったりと、妊娠できなかったからこそできることを探していました。
編集部
旦那さんからも一言お願いします。
うぇい旦那さん
不妊治療は「夫婦とも同じ熱量であること」が難しいですがベストだと思います。不妊治療のゴールは妊娠にとどまらず、子育てまでシームレスです。これから夫婦で不妊治療に取り組む方々が、実際に子どもが生まれてからも協力しあえる関係性を不妊治療中から構築できる状況、環境であることを願っています。
編集部まとめ
親しい間柄だからこそ、気持ちを汲もうとしてしまう。こうした配慮は、良い方向にも悪い方向にも動きえるようで、難しいですよね。その点、SNSは同じ境遇にいる「他人」と出会える場です。うぇいさんの場合「良い思い出になっている」とのことでした。また、うぇい旦那さんの「何かを解決する必要はなくて、受け皿として居続ける」という姿勢も秀逸でした。受け皿であっても、支えになっていたに違いありません。





